感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

受容の儚さ から 慣れと鈍化 冒涜 縁と可能性 雲 アナスタシア

受容の儚さはそれが自分の中でしか完結しないことなのかも。そりゃ自己を通して外を見るのだから当たり前だけど。弱さであっても愚かさであっても、自分のそれを血肉に宿した在るがままというのは、例えばそれらを穢れとする人からすると嫌なものなんだよね。嫌っていう自覚があるなら外側から断じてくれるだけだしまだいいけど、そうでない場合は嫌悪感を呼び起こすだけでなく内側からダメージを与えてしまうのではないだろうか。やり取りしているだけで触れちゃいけない傷を抉ってしまうというか。だとすると自分を突き通すことに正当性はあるのだろうか。浅い付き合いなら自分を出さなければいいだけなの話だけど、深い部分での繋がりだとこの変化は切れ目になるくらい大きなものなのかもしれない。その必然性というか、そういうものは大分前から意識してはいたんだよね。

 

孤独っていうのはその孤独なのかな。人と人が本当の意味で理解し合えないのはある程度前提だとは思いつつも、あまりにも広大なスペースでの孤独を突き付けられているような感覚。孤独感の受容も自己受容の一部だから尚更だろう。大体こんな、受容だとか統合だとか、この軸は他の人たちと相容れるものなのだろうか。共有できる気もしないし、表に出せば嫌がる人が多い感覚もある。多分出さないけど。

まぁ、だからもっと浅い部分での繋がりにも感謝して生きましょうっていうのは分かるけど、僕が普段過ごしているのは井戸の中なんだよね。地表じゃなくて。性質はどうしようもない。

孤独が深まるのはイメージできるけど浅くなるイメージは浮かばない。これを後何十年も続けるとなるとやっぱり辛いな。先人はどういう世界を生きて死んでいったのだろう。

 

慣れる?でも慣れるってなんか妥協みたいで嫌いなんだよね。慣れってある意味で鮮烈さを失うことだと思う。鈍化。昔食べれなくて今食べれる食べ物って色々あるけどさ、長ネギとかね。それが一概に良いことなのかと考えると分からないんだよね。美味しさは今わかるわけだけど、味覚が歪むほど強烈な匂いが口内から鼻に広がる気持ち悪さっていうのを失ったわけじゃない?バーターだよね。

孤独に慣れれば強いとか、そんな意味の分からない欺瞞に満ちた理屈に染まってまで生きたくないっていうのもあるけど、単純に感覚っていうのが好きなんだろうね。芸術に触れる時も作者のそういう感覚に触れるから、そういった部分での美意識に内側から共鳴するのだろうし。そっちの方が自分にとっては大事だから、そういった様々な感覚は大切にしたいのだろう。

 

あれもなんか合わないんだよね。マイナス感情とかいう言葉。感情に正も負も無いだろうって思う。マイナスをプラスに変えようとか意味わかんないし、マイナスにも意味があるとか言うなら、じゃあマイナスっていう見方を先ず捨てたら?って思う。感情が可哀想。ある意味で冒涜を感じる。駿風に言うと「極めてなにか感情に対する侮辱を感じます」。

まぁ、それだけ自分にとって大事なんだろうってことでしかないのだけど。

冒涜って言葉久々に出たな。感情に対しては初めて出たかも。面白い。冒涜かぁ。

 

冒涜ってさ、人間しかし得ないことだよね。それは崇高や清らかさを見るのも人間だからであって、そういう前提に立っているからなのかな。それだけ崇高や清らかさというものと自然に同一な状態から切り離された存在だってことだよね。その意識故に。人間であることの辛さの一つ。自己意識なんてなければなんて思ったところで仕方ないけど…。

 

縁の結び代わりとかいうけど、それもオープンに生きてる人の理屈だよね。まぁでも交差した糸が別の方向に流れても、川と同じで流れは常に一定ではないからね。いつかまた交わる糸もあるだろうし、そうでなくても可能性は永遠に生き続けるものだから楽観が生まれるんだろうな。人生レベルの視点での繋がりなら尚更ね。関係性も個々の性質があってのものだから、それぞれの変化の先ではまた違ったものになるだろうしね。今合わないことがずっと合わないことを意味するわけではないし、変化を許容するなら合わない今も許容するというだけのことで。それもまた必然。信じるからどうのっていうのではなくて、想えばこそというのもあると思う。

そういう意味でも一概な縁のあり方などないのだろうし。

 

最近雲がとても綺麗。最近というかいつもなんだけど、見る度にまた違った綺麗。この前モモを少し読み直したんだけど、雲は時間の花みたい。

昨日は凄く色んな雲が一つの空に浮かんでいて、まるで雲の見本市みたいだった。今日は夕方、雨の合間に傾いた日がクリーム色に輝く雲の世界を作っていて、ヴァルハラみたいだなぁって思った。ヴァルハラ行ったことあるのかよって話だけど。

雲は、空はいつもそこに居てくれる。

 

今はウラジーミル・メグレのアナスタシアを読んでる。

アナスタシア、なんかこう、作者の思想的な部分はまぁあれだけど、文明の価値観に左右されず自然と共に生きる人って憧れるし共感する。

この本はとても運命を感じる出会いだった。アナスタシアって名前以前からなんか好きで、よく頭に浮かぶ。特定のキャラが頭に浮かぶわけでもないんだけど、なんか好きなの。響きかな。アプリの捨て垢名にもAnastasiaってつけたりしてた。この時も二元の統合の本を探していたら、あなたへのおすすめか関連書籍にこの本が出てきて、あ、アナスタシアだって思った。電子版買おうか迷ってたらkindle unlimited2カ月99円来てたから丁度良かった。解約忘れないようにアラームもセットした。ケチくさい。

 

そういえば今日も車を運転してたら前の車に『Anastasya / アナスタシア』って丁寧にもカタカナのフリガナ付きのステッカーが貼ってあった。スペルはAnastasiaの方がなんか好きなんだけどね。はい。

 

 

またKai Engel聴いてた。この曲も大好き。


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