感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

曖昧 美と虚無感と諦観 下の階の猫のこと 孤独と記憶 Reminiscence - Johannes Bornlöf

そこにあるものが何か分からなくても、そこに何かがあることは確か。それが何かを無理に分かろうとすれば決めつけになってしまう。明確にされたものというのは多かれ少なかれそういう部分がある。でもそれはあんまり好きじゃない。

なら曖昧でも、不明瞭でも、混ざり合っていても、自分の感じたものそのものを眺める方が合うのではないか。

 

沢山明確にしようとした。それは必要なことだったから。でも今はその必要性が薄らいだのだろう。どれが自分でどれが外側から入ってきたものかは大方選り分けたから。

 

今はただ眺めていたい。眺めているものが何かはっきりわからなくても、曖昧には曖昧の美しさがある。外に見るものもそうだし、感情も、感覚も、気持ちも。

一つの気持ちの中に色んな気持ちや感情や記憶や思考が入り乱れる。それら一つ一つの形や境界も曖昧になって一つの風景を作り上げる。あんまり気になるものがあるとそれに引っ張られると思うのだけど、そういう部分を過ぎ去ったからなのか全体として見るのが好きになった。

答えがないから揺らぐし、揺らげばまた新しい色彩を生む。自分の内側にある様々な観念が形を失い、固体ではない何かになる。見るものも、感じるものも、そして自分さえも全てが枠を失い曖昧さを増す。これはモヤモヤした辛さが伴うけど、でもずっと求めていたものなのかもしれない。雲に憧れているぐらいだからね。このまま自分が溶けてしまえれば、それは破滅ではなくただ薄まり広がるだけかもしれない。夢の中のように。ぼやけていく。

 

少し前ならなんでこんななんだろうとか思ったと思う。ずっと靄の中に居たのも、どうして抜け出せないんだろうって思ってた。でも今はこれでいい気がする。

厳密や精細という縛りの外側。

絵も印象派が好みだし、そもそも印象の中に生きているようなものだったしね。はっきりと生きようとするのが無理がある。

視力0.1以下の裸眼で見た世界も、はっきり見えない何かが何であるかを気にせずに、ただ全体という作品として眺める分にはそれはそれで悪くない。

対極にあるように見える鮮烈が刹那であるなら、それだって相対的により強く、大切に感じられるかもしれない。初めて眼鏡をつけて見た星空みたいに。

 

ただ、この感覚は少し、と言うかかなりおじいちゃんになったような感じがする。同じ美でも、内側から自分を引きずり出されるようなワンダー的な感覚は若々しさ、子供心を思い起こさせるけど、この美意識のようなものはどこかに諦観が混じってるからかも。それは実質的に虚無感の延長。美しさだけが理屈の無い世界に価値を与え、虚無の形を変えてくれてる。あぁこれでいいんだって感覚。世界の在り方がどうあれ美しいのだし、ならそれ以上何があるだろうって。

多分、意欲とかとは別の軸なんだと思う。枯れちゃうのかな。

そういうこと考えると少し不安もあるけど、心地良いから暫く浸っていたい。ニュートラルがこれになっちゃうとあれかもしれないけど、モードの一つってことでいいんだろうしね。能動は疲れるからね。ただ流れていたいし、ただ眺めていたい。

 

 

話は変わるんだけど、階段を降りたところにいつも二匹でくっついて寝てる猫がいて、その表情がとても穏やかで、暖かそうだなって思って見てた。兄弟なのかつがいなのかわからないけど、オスは去勢済みとは聞いていた。いつものんびりくっついていて羨ましかった。

最近、オスの方が轢かれて棄てられていたと、餌をあげていた下の階のおばちゃんが泣きながら話していた。その人は猫や犬といつも話したり餌をあげたりしてる人で、暫くの間とても落ち込んでた。

それからというものメスの方は寝場所を変えたのか時々しかそのマットでは寝ていないのだけど、その寝転がる姿がとても寂しそうで、寒そうに見える。寒さが辛いのは暖かさを知っているからだよね。ずっと一緒に居たなら尚更だろう。

 

この前は夜の散歩の帰りにその子の頭を撫でたらうちのドアまでついて来て暫く帰らなかった。オスの方が生きてる時はあんまり人のこと気にしてなさそうだったのに。やっぱり寂しいのかな。寒さも寂しさも、孤独は記憶との対比なのだろうか。相対する何かを知ってるからこその孤独。だから孤独を嚙みしめたい?

 

丁度日付が変わった。一か月。変わらないな。うーん…やっぱり孤独は孤独だし寒いや。

 

 

先週からこの曲何回も聴いてる


www.youtube.com

 

Johannes Bornlöfはデンマークの人らしい。この曲大好き。

"Reminiscence"記憶の中に消えてしまいそう。特定の記憶ではなくて、記憶と同じ場所にある空間。

 

 

金曜日から8日間だけだけど久々に村に帰れる。移動があるから実質6日。これだけ短期だとほぼ草刈りと掃除で終わりそう。それでも森の空気が、空間が、肌触りが楽しみ。まだ迎え入れてくれるかな…

長距離運転。今道路酷いからちょっと怖い。前回追突されたし…運転を思うとメメント・モリな気分になる。