感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から最果ての荒野。

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窓際ガーデニング 会話と言葉 前概念と抽象 別野加奈2

もう6月も終盤だよぅ…速い…

最近も相変わらずかなぁ。以前にも増して疲れやすい気がしていて、中々物事が進まない。運動もあんまり出来てないなー。

 

もうずっと放置してしまい、荒廃して鳥たちの砂浴び場と化していた窓際ガーデニングの再興にようやく着手した。定期的に2週間ほど家を空けるので、それが頭にあると留守前に植えてもなぁって思って中々手がつけられなかった。

今回は不織布フェルトのバッグプランターを3つ買って、培養土は注文して運んできてもらった。種も個人で栽培してる人からの通販。便利な世の中です。

プランター1つ目はチェリートマト1本、2つ目はドワーフトマトを2本、3つ目にはカーボロネロを2本植える。背が高くなるチェリートマトは僕の真後ろに配置したから、日除けとしても役立ってくれることでしょう。あと今回は、たまたま以前買っておいたコーヒー豆の麻袋があったので、それを切ってマルチ代わりにした。鳥たちの砂浴びは嫌いじゃないけど、家の中に土が入ってくるからね…トマトとカーボロネロとバジルとコリアンダーは無事に芽が出た。シソは芽を出してくれるのでしょうか。

赤紫蘇と大葉、バジル、タイム、コリアンダーは鉢植えにして、深めのバッグが手に入ったら唐辛子も植えようと思ってる。サボテンとアロエベラを少し減らさないと置き場が足りないなぁ…でも捨てるのはなんかなぁ…吊る?

 

園芸は小学生の時から好き。農協でやってた園芸まつりで配ってた苗とかもらってきて育ててた。ナスとかししとうとかトマトとかパセリとか、結構色々育てた記憶がある。植えたのは食べれるものが多かったかな。

僕はなんだか、世話が好きっていうより、待つのが好きなんだよね。釣りや網漁もそう。釣りはあんまり忙しいのより、夜釣りのぶっこみとかゆっくり待てるのが好きだし、網や延縄も翌朝かかるのを楽しみに待つために仕掛けるし、アクアリウムなんかも眺めるのが楽しみで組んでたし、果物も7年後、10年後実をつけてくれるのを楽しみに植える。

そうそう、僕が10年くらい前に村に植えた果樹が今年は初めて花をつけてくれたの。嬉しい。

野菜は生育が早いから毎日見る楽しみは大きいかな。一日に何回も見ちゃう。ここに住んでると気持ちも滅入ってきちゃうけど、こうやって待てる楽しみを作っていくのはいいかも知れない。前回のは長期の留守で給水失敗があって枯れちゃってからの放置だから、今回は早めに給水を考えとかなきゃ…

 

 

あとは最近思ったことでも書こうかな。何があったかな。
そうそう、久々にオンラインの定例会で話してくれって頼まれて話したんだよね。まぁ聞く感じ好評ではあったのだけど、僕が伝えたかった話って結局変換されて受け取られてるんだなってグループチャットでやり取りしてて思った。

僕はこう、現象を力学的に見ていて、その視点からの語りには主体とか入れてないんだよね。例えば理念について話すときも、色んな角度、距離から理念とはこれこれこういうもので、こういう運動をする性質があるように僕からは見えますよって。で、気づいたのは、まず人はそれを抽象語的に誤読するのと、その人にとっての理念というものに付随する観念も一緒くたにした何かを受け取るみたい。

前者は僕も最近気づいたけど、僕の言葉って一度概念から観念を剥ぎ取っているのだけど、そうすると結構知覚、概念、観念(意味や価値も)を分けて扱うようになってると思うのね。それで、好みもあって僕の軸足は知覚に寄るのだけど、概念を使う時は割と意識的に概念として使うし、感覚に合わない言葉は意識的に使わないって判断をしてる。その上で、概念以前に感じるものや見えるものを、既存の語彙を引っ張て来て使うことになる。

要するに、感じられるものを、好き勝手に意味を剥がして感覚に合うようにした言葉で無理やり形にしているのだけど、その感じられるものから割と徹底して概念や観念を削ぎ落しているから、頭に浮かんだ何かを粘土で形にする作業をしてるって感じ。

その僕の言葉って、曖昧なのと、観念の乗っていない語彙の感じもあってか、僕が言っていることとは逆方向の抽象語として受け取られてしまう。僕もこの抽象(化)と前概念(の言語化)って混同しがちだったから文句も言えないんだけど。僕はこれははっきりと言えるのだけど、抽象化という操作はしていなくて、単に手触りや雰囲気を言葉の型枠に当てはめているだけ。それでも抽象語と似てしまうのは、僕が抽象語の語彙を持ってきてるのもあると思う。だって誰かの観念がバリバリに乗った言葉と違って感覚に合うし、誰かの感覚が乗っているという違和感なくそのまま使えるんだもん。直喩が多くなるのも多分それなんだよね。というか、僕は直喩的に言葉を使ってて、それには感覚・現象的な単語のほか、観念が薄れてレディトゥユーズな抽象語が合いやすいって言った方が良いかも。うん、こっちだな。(でも観念って言葉も、意味的観念と感覚的観念を分ける必要が出てきそう。僕は後者を観念として扱っていないけど、メタからは観念として説明するしかないからね)

で、後者はもっと単純で、僕は非概念的な言葉を概念の型枠で成形してアウトプットしてるんだけど、多くの人は、特に通常の会話の場では、多分まず言葉を概念的に受け取るんだよね。共通語として。そこでもうズレるじゃん?で、更にここで、多くの人は概念と観念を区別していないから、僕がその型枠にすら使っていない何かを含んだ概念として、時には観念、像だけじゃないかって思うような受け取り方をされたり、概念を概念で説明したような応答をされたり、なぜか(はわかるけど)反論的な反応をされるんだよね。僕は知覚されるもの、現象とその力学が、こう見えるよって話してるだけで、意味も判断する価値も言葉には乗せていないのに。

あのお魚はこれこれこういう性質があって、それがこういう行動を引き起こしているように僕からは見えますって僕が言ったとしてね。魚だって悲しいんだと思うし、その行動は悪いものだけど守らなければいけません。って返されるみたいな。

こんなの、?????!ってなるじゃん。

僕はそこで、別に悲しいっていうのはどういう悲しいですか?とか野暮なこと聞くつもりもないし、僕はその行動を良い悪いでは見てないし、別に守りたいなら守ればいいんじゃないかなとは思うけど、それ以前にそんなこと言ってないんだけどなーってなる。だってこの時点で僕が言ったことは何も受け取られておらず、勝手にその人の熱のための燃料に変換された上、僕自身がそのジャッジメントの中に引きずり込まれてるんだよ。改めて言語化すると誤読どころの問題じゃないよね、これ。

 

まぁ相手からしたら変な奴だけど真摯に分からせてあげようってことなんだろうからお互い様なんだけど。それにこれは昔からのことで、今はそれが何となく言語化できて見えるってだけなんだけどね。

 

ふぅ、ちょっとすっきりした。しない!言葉なんて嫌い!ふん!

もし言葉なんて必要なく、感覚がそのまま伝わる世界ならさ、まぁどうせそれにも嫌気がさすんだろうな。 完

 

 

この2曲は日本語版と英語版なんだけど、ほんと好きでずっと聴いちゃう。


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日本語の方は少しほんわかとしてて、何で天国に近づきたいかって部分は触れそうで触れないところが、過ぎ去ってしまった温かさを思い起こしているような、希求を包み隠しているような、そういう優しい寂寥感みたいな空気が余白と溶け合っているようで好き。今と記憶が混ざり合ってるんだよね。

水平線を傾けたら天国へ近づけるかな

のフレーズが本当に好き。夜中暗い部屋で天井に手を伸ばしている時の感覚になる。

 

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英語の方はもっと表現はストレートなんだけど、その分喪失感が深い感じがしてこっちも好き。この2曲が重なり合ってるけど少し違う感覚を補完し合ってるようで、両方聴いちゃう。歌詞が見つからなくて、youtube musicとかにはあるけど多分自動生成で滅茶苦茶だから、わからない部分もあるんだけど、それもそれでいいかなって思えてくる。

CD欲しかったなぁ。

一時期国のこととか2 バタバタ 母と子 別野加奈

久々の日本から帰ってきてまたいつもの日常。熱波で風が温風になってる。

帰りがバタバタしたんだよね。羽田の便取ったと思ってたら成田でショック。成田遠いよ…って思いながら準備した。最終日にシャツとか食べ物とか買って詰めたら、機内持ち込みの方はもうほぼいっぱいで、預け入れの荷物は15kgしか持ち込めないから、折角買ったお味噌は諦めることになった。手荷物にはギリ入るけどお味噌は預け入れじゃないとダメなんだよね。

それで帰る日、結構余裕見て家出たつもりが新宿で乗り換えた成田エクスプレスは次発だったら危なかったし、成田エクスプレスに手荷物の方忘れかけるし、我ながら結構危なっかしかった。何か最近ぼーっとしてるんだよね。普段と違う荷物だと危ない。

仁川経由だから仁川でちょっと時間があって、夕食にタコスを食べた。1500円。空港価格だけど美味しかった。

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その後は特に問題もなく家まで帰れた。

 

日本では甥っ子といっぱい遊んだ。初甥っ子嬉しい。最終日にはかなり懐いてくれてたけど、次会う頃にはもう覚えてないかな。もうすぐ1歳のお誕生日だからプレゼント買ってあげなきゃ。弟の方も第一子が来月生まれるそうで、こっちも甥っ子になりそう。

これで弟夫婦も妹夫婦も賑やかになるわけだけど、どっちも実家を離れてるから心配なのは母かな。色々あって少し統合失調っぽくて疑心があるし、その原因になった叔母は祖母の葬式が終わっても実家に出入りしてるし。この二人の相性がもう少し良ければいいんだけど、性格的に真逆過ぎて些細な言動も敵対的に認識されちゃう部分がある。

祖母を含めたこの三角関係が母をかなり追い詰めていたのだけど、祖母が亡くなってどう動くかが僕は気になってる。この人が出入りし続ければストレスも疑心も収まらないだろう。

それに加えて母は介護者という役割も失った。今は仕事もしてないし、友人ともあまり会っていないようだし、体力の衰えも実感しているようだし、あまり孤立するようなら色々悪化するかもなって思う。ヒトはどこまでいっても社会的動物だからね。

 

それで妹や弟には、母をもう少し連れ出したり、何か役割を体感できるように、仕事でも子守でも頼んでくれって伝えた。でも僕の文章って伝わりづらいから、多分あんまり伝わってないんだよね。妹は何となく理解してくれた気はしてるけど、弟は多分ズレて受け取ってる。今まで仕送りは月にいくらしてて、朝時間がある時は顔を出しているけど、今度食事につれていくねって返事が来た。ズレてと言うか、防衛が働いてるんだよね。お金の話なんてしてないんだけど、それを持ち出すのは僕の文章に攻撃性を見出してるということだから。多分、彼は子供の頃色々あったから後ろめたさがあって、それを今生産するために真っ当に生きようと頑張っているのだろう。だからその自己イメージの防衛として仕送りの話が出たのだろう。かなり、狭い範囲での合理的価値判断が強く出てる。まぁ、彼は彼なりに、妹は妹なりに母に向き合ってくれればそれでいいと思う。僕としては、こんな頼みをするのは我ながら結構異例なんだけど、取り敢えず前提が共有できたからこれでいいと思う。

僕もいざとなったら短期でも日本に帰ればいいのだけど、まぁ難しいよなぁ。日本で社会生活が送れる気がしないし、母との関係性もなんだかよく分からないしね。母にとっては僕は子で、とても良くしてくれたのだけど、僕にとってはずっと小さい頃から頼っちゃいけなさがあったから、微妙な距離感があるんだよね。物心ついた時から支えてあげなきゃって思ってたから、母という言葉がしっくり来ない。じゃあ何なんだって話だけど、よくわかんない。精神的な部分の繋がりって結構状況によりけりなんだろうな。

それで思ったんだけど、母のような存在を求める人って、その満たされなさを母が満たしてくれると知ってるんだよね。中学の時の友達がそうだった。何年か前に傾聴モードで色々聴いてしまったけど、とても興味深かった。それが、彼が小さな頃に知った母なのか、後になって意味として学んだ母なのかはわからないけど。

僕の中ではそれに近い希求は姉という元型に向かってる。僕はそもそも、母という存在が精神的な部分で何を満たしてくれるのか、その前提の部分が未分化ないし放棄されているのだと思う。だから単純に分からない。まぁ、だからではないけど、妹がちゃんと母を母親と認識していると知った時は嬉しかったし、その辺は妹や弟がやった方がしっくりくる気がする。

まぁ、実家も停滞していた祖母を中心とした力学に一区切りがついて、どうなるにせよ変化が生まれるのだろうから、今はそれを様子見かな。

 

 

あとねあとね、凄く好きな曲と最近出会ってしまったの。もっと早く知りたかった。


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ほんとに凄い。メロディから深く惹き込まれるし、歌声も歌詞も好き。今日もずっと聴きながら夜の散歩してたけど、溶けてしまいそう。

別野加奈って人なのだけど、この曲の入ってるdeath has lightってアルバムずっと聴いていられる。他の曲も凄く合うの。


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インスト曲もとても素敵で大好き。


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CD買って実家の暗くした部屋でリクライニングチェアに寄りかかりながらサラウンドで聴きたいな。

祖母の死と春の一時帰国

祖母の葬儀のため急遽帰ってきた久々の実家。

なんか変な感じだなぁ。こんな時期に帰ってくるのは何年ぶりだろうか。散りかけで緑の混じる桜、春の嵐の夜の空気、とても懐かしい。

 

今日は自室の使われなくなって久しい、一部断線した5.1chのサラウンドシステムを復旧させ、レイジーボーイのリクライニングチェアを昔と同じ位置に設置して、音楽を聴いた。音質も良いしとっても落ち着く。やっぱりこのお部屋だな。僕の城。辛かった時期、どれだけの時間をここで過ごしただろう。丁度この誰にも邪魔されないリクライニングチェアが、僕が何かに没頭する場所であり、僕が深く沈むための場所だった。

 

今日は散歩にも行った。町並みは大分寂しくなっていた。それでも傘を持った高校生たちが楽しそうに歩いていて、変わっているようで変わっていないなとも感じた。大きなお店が無くなった代わりに、こじんまりとしたおしゃれな飲食店がいくつかできていた。

踏切を越えた先の交差点は、スクランブル式のように縦横の信号が同時に青になるようになっていたのだけど、斜め横断禁止の看板が貼られていて、何の意味があるのだろう?と思った。自転車が危ないのかな。

昔からやっている種苗店は相変わらずこじんまりとやっていて、自転車屋さんは色んなサービスを作って頑張っているようだった。

 

ブックオフは昔ゲーム売り場だった2階が古着売り場になっていて、丁度いいシャツが売ってたから何枚か買った。一階ではデュルケームの自殺論が安かったから買った。家族に見られたら誤解されそうな表題だけど、僕の関心は自殺そのものより、自殺という行動が本能的に起きる社会的動物としてのヒトの方。人という生き物は自殺なしには語れないよね。

 

帰り道は雨が少し強くなっていた。駅を通り、近くのデパートに行った。売り場は変わっても、雰囲気や空気はあまり変わらない。色んな記憶がある空間。向こうに帰る時に持っていきたいものは、大体ここで揃いそうだった。

最後に食料品売り場に行った。めかぶと煮豆を手に取った後、甘酒が欲しいなと思って探し回ったけど中々見つからなかった。以前はヨーグルトとか牛乳のエリアにあったはずなのに、もっと入り口側の豆腐売り場の所にあった。

 

祖母の遺体は家にあって、時々親戚や馴染みの人が会いにくる。今日は祖母と何十年も、祖母の美容院で一緒に働いていた人が来た。大分腰が曲がって頭も真っ白になっていたけど、頭はしっかりしているようだった。祖母は足が悪いだけだと思っていたから、急な訃報にビックリしてしまったそう。祖母の遺体に色々話しかけていた。それが何だか、僕には興味深かった。死んでいるのに話しかけるって、どこかとても人間らしい。

祖母の姉も結構ショックを受けてしまったそうだ。

会う機会が減っていると記憶が止まっていてショックを受けやすいのかも。

 

僕は何というか、割と予測通りの展開が続いていたのであまりショックがないんだよね。祖母とは昔から毎日会うような距離感だったから、近しいのだけど。

5年前くらいの一時帰国で店をたたむと聞いた時は、完全に仕事やめちゃうと始まりかけていたボケが高確率で一気に進むよと家族には伝えたし、3年前の一時帰国では実際にそうなっていた。僕の中では、その認知の悪化が、記憶とそれにくっついた人格の切り替わりに見えて、僕にとっての祖母という存在は、目の前の祖母の奥深くに行ってしまったように感じたんだよね。時々出てくるのだけど、やっぱりちょっと違うって。その時にはもう、好転は期待できないのはわかってたし、僕は徐々に自分の中で区切りをつけていたのだと思う。二年に一回とかしか僕は日本に帰らないからね。毎度一時帰国が終わる頃には次は会えないかもという覚悟をつける必要もあったし、だからこそ悔いのないように可能な限り一緒に過ごしたりもしたしね。その時は体調を崩したり食欲もなかったりで大分痩せていて。

で、一年前に帰ってきた時は、体調は回復して体重も結構戻っていた。けど認知はやはり、更にちょっと悪化していたかな。おかげで僕もかなり準備が整った。記憶の中の祖母と、目の前の祖母を切り離すことが出来ていて。

それで今年の初め頃だったかな、足を折ってしまったと聞いた。家族が言うにはリスクもあるから手術はせず、出来たらリハビリをすることに決まったとのことだった。それを聞いた時、僕の中では、祖母はもう長くないなというのがわかった。足をやってしまうのは多くの場合終焉の始まりだからね。そこで温存に向かうなら、家族はその流れを受け入れたことに等しいなと思った。その理解も意識もない選択だとしても、流れとしてはね。

まぁそんなこんなもあったから、先週容体が悪化した時に、今のうちに会いにきてくれるかと家族から連絡があった時に僕は少し困惑した。

だって僕の中では、会ったところでっていう部分が引っかかるから。多分この辺は見え方捉え方の違いだろうけどね。祖母とはどれなのか。そして会ったところで、僕の知ってる祖母はどこにいるのか。少し譲って認知悪化後の祖母も祖母だとしても、仮に目を覚ましたタイミングでも認知どころか意識レベルが低い祖母が、実際に僕と会うことを望むのだろうか。そりゃ、多くの人々の共通認識としては危篤の人に会うのは道徳的で善なのだろうけど、だからこそそれは強引な理屈に思えてね。

長くないのなら、仮に会いに行ったって、もしかしたらまもなくお葬式にも行かなきゃいけなくなってしまうだろうし。

 

でもまぁ、結局、その翌日にビデオ通話で意識のない祖母に少し一方的に声をかけて、30分後に訃報が届いた。

その日の内に飛行機を取って、2日後の便で1日かけて帰ってきたのです。

そういえば一人で一時帰国するの、祖父のお葬式の時以来かな。厳密にいえばその時はまだ向こうには住んでいなかったけど。

 

まぁなんだろう。人によっては僕の言動は冷たく見えるのだろうけどね。泣きもしないし、悲しむ素振りも見せないし。うーん、悲しいというより寂しさはあるんだけどね。僕はその、記憶の中の祖母がもう手の届かない所にいる寂しさを、3年以上感じてきたわけだし、最期のフェーズというのもずっとそう思ってきたわけだから、今の今になって喪失を感じる人に対しては僕は逆に困惑してしまうぐらいなのだけど、見え方の違いなのはわかるからまぁね。

 

お葬式やだなぁ。あの感情を一つに揃えることが要求される場。数々の意味やしきたりやマナーに疑問を抱いてはいけない場。そこでの所作が親戚一同に審査される場。あぁデュルケームよ。

 

トランジットの台北も福岡も雲がとっても綺麗だった。

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寂寥感 から 寒さと防寒

なんか大きなセールがきてたので、ヘッドフォンをようやく買った。故障してからずっとイヤフォンオンリーライフだったから嬉しい。SennheiserのHD620Sっていうやつで、定価の7割引くらいで手に入った。外界はできる限りシャットアウトしたいからクローズドバックのこれが良かった。音は満足だけど今のお部屋用眼鏡とちょっと相性が悪いかな。そのうち慣れるとは思うけど。そこまでこだわりがあるわけでもないのだけど、音楽に守られて生きてるようなものだから、やっぱり音はいい方が嬉しい。

 

最近はよく寂寥感について考える。寂寥感は孤独感とは質感が違う。僕にとってのそれは、寒さのように、外側から体感される。環境のようなものだ。これを強く感じるようになってから久しい。満たされなさとも違うんだよね。それが他者とのズレが明確になったことによるものなのか、自己を固定しなくなったことによるものなのか、様々な意味を解いたことによるものなのか、どれなのかはわからない。これらは連鎖しているから、複合なのだろうけど。

この寒さは辛いのだけど、寂寥感は悪いことばかりではない。寒いけれど澄んでいる。それがこの環境。澄んでいるから、よりはっきり見ることは出来る。バーターなんだよね。

 

以前ブログで少しやり取りがあった人に久々にコメントしたら返信してくれてね、とっても嬉しかったの。その人は今暗いところに居るのだけれど、怖い時もぬいぐるみを連れて行っているから大丈夫なんだって言っていた。

何かを連れて行く、僕にはその発想がなかった。でもその通りなんだよね。寒いなら温かいものを持っていけばいい。内的な世界にルールなんてないのだから、イメージを具現化することもできるだろう。何か大切なヒントをもらった気がした。

僕はなんというか、歪めずに見たい、読みたい、感じたいっていう欲望が強いのだと思う。言葉の意味の構造、人の意識の構造、群れの力学、そういったものを見ているのも、歪みには敏感だからだろうか。そんな僕にとっては実在の世界は現象であって、知覚も現象であって、それが触れ合うところに感覚を澄ましている。内的な世界も同じ。現象であって、受動的に感じる環境という認識だった。僕の能動は、それを澄ますための破壊。相対化の方。

内的な世界に能動的に何かを持ち込む、これは僕にとっては新しい試みになる。大きく改変してバランスが崩れないように、小さなものがいいかな。僕はこの寒い荒野のような内的イメージを、耐え難い寒さ以外は気に入っているのだから、それが壊れない程度に。

 

温かさってなんだろう。温度?温もり?別に人肌が恋しいわけでもないと思う。孤独感と寂寥感とこの寒さは全部似ていて別なんだよね。なぜ寒いのか。拒絶するような寒さ。痛みは避けさせるため、疲れは休ませるため、身体の意図から考えれば、寒さもまた、何かを伝えようとしている。ここに居たら耐えられないと。暖を取れと。安全な場所に戻るように。でもあいにく、僕はヒトだ。ヒトは己の欲望のためには危険も冒す。僕にとっての欲望は、世界をそのまま感じること。そのためには意味を相対化しなければならなかった。でも相対化した意味たちは、意味として機能しなくなる。不思議なことに。

意味には重力のような力がある。そこに温かさの源泉があるのなら、その外へ外へと向かい続けてきた僕が寒さに震えるのは当然なことなのかもしれない。

 

知覚される内的な世界。そこで意味によって防寒する、温かくするということは、僕は避けてきた。それは人々の欺瞞と同じだからというのもあるし、欺瞞は無意識にされるからこそそこまでの効果が生まれるのだろうから。意図的にやっても僕はその意味を信じることが出来ない。信というのは、その意味体系の内側にしか視点がないからこそ効力を発揮するのであって、多義化して絶対性を解かないと気がすまない僕とは相性が悪すぎる。

だけど何かを持ち込むというのは意味でなくてもいい。イメージ。知覚を基点に見るなら、実在とイメージは絡み合い、浸透し、干渉しあう、それぞれが別の世界でありながら、人の中では一つのもの。という認識の僕には、イメージは相性がいいかもしれない。信じるのではなく、生み出し、持ち込めばいい。

あまり歪めないようにしたいから、塩梅が難しいかもしれないけどね。まぁ歪めまくって崩れたのなら、その向こう側に何が見えるのかも気になっちゃうけど。

はい。

 

 

これとっても好きでよく聴いてるの。


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幼少期の記憶

年が明けるの早いなぁ…

とりあえず森の中の村でまったりとした年越し。こっちは新年が違うからあんまり祝わないけど。道中タイヤがリムごと逝ってしまい、帰りどうしようかなってなってる。エアコンも壊れたし出費が多いなぁ…

 

去年は妹が男の子産んで、弟からも彼の妻が妊娠中なのを遠回しに聞いた。もうそんな歳なんだなぁって。妹は結婚してから母と仲が良い。弟も結婚してからはそうかな。長男なのに外国に出てしまった僕としてはありがたい。

妹は母をママと呼んでいた。結婚式の挨拶を遠隔で見たけど、お母さんにはとても感謝してるって話がビデオでストーリー仕立てになって流れてた。人々はこういう演出が好きなんだなぁとかそっちに行っちゃうと話がズレるからちょっと待って。そうじゃなくて、僕は妹が母に感謝していることも、しっかり親子できてたってことも嬉しかった。一応泣いていたし結婚式用の単なる演技ではないだろう。

弟は不登校で色々あったからどうなのか知らないけど、母を母親と見て育ったのだろうか。

 

僕は下の2人とは5歳と7歳離れていた。だから少なくとも5年は長くあの夫婦を見てたんだよね。しかもソロで。見て育ったと書くと感触が違う。でもなんなんだろうな。僕が夫婦の間にいたわけでもないし。

あの頃の僕にとっては保育園とあの家が世界の殆どだったわけじゃない?母は働きながら料理もしてくれて、色々してくれた。母の役割とされるものもしてくれた。僕のアレルギーの治療とかも色々試してくれたしね。客観的に見ても母親をしてくれたはずなんだよね。ただ僕は母を母親と見ることができなかった。前にも書いたけど僕の中での母は可哀想な人。守ってあげなきゃいけないとまでは言わないけど、なんだろうな、戦友でもないけど、割と自分と対等に見ていたのかな。支えてあげなきゃいけないでしょ。それが僕の生存本能なのかは知らないけど。

僕は母が辛い思いをするのがとても嫌だった。でもあの人は結局いつも辛い思いをする羽目になる。理不尽だった。時には自分から喧嘩を売ってでもね。勿論これは暴力沙汰を招くことをよせば良いのにと切に願っていた子供視点だけど。だから結局僕はDV事後の母を慰めるの。可哀想だから。それしかできないから。

 

いつも無力だった。でも出口というものすら思い浮かばないその時の僕にとっての世界そのものはそういう場だった。

勿論毎日ではないよ。どのくらいの頻度だったのかも覚えてない。でも一度あると数日は続く。

 

 

弟や妹にとっては、仮に彼らがそういう現場を覚えてたとしても、5人家族の中で元父親が暴力を振るったっていう感じになるんだろうね。少なくともオーディエンスは3人居て、止めに入ったりなんかは少し大きくなった僕がやることだし。なぜか僕が暴力に反抗する母に代わってその場を治めるために勝手にあの男に謝ったりしてるよくわからない光景が浮かんだ。子供とはいえ意味わからないよね。誰が得するんだろう。まぁ必死だったのだろう。ただ何事もなく一日が終わって欲しかった。それがいかに儚い願いなのか。そんな願いが不条理に蹂躙されるのが日常だった。そりゃ不条理哲学と相性が良いわけだ。子供の時から不条理を受け入れるしかない場面が日常や学校生活で多かった。

 

母は弱みを見せることはあまりなかった。泣いていても、血を流していても、大丈夫と言って気丈に振る舞っていた。その上で母親として子供を育てていた。弟や妹が生まれてからも、より母親として子供を楽しませようとしていた。客観的に見ればとても母親だった。ただ、僕は知ってしまっていた。当時の日々も、無理していることも、台所で酒を飲んで泣いている日があることも。借金や理不尽な暴力は続いていたしね。僕にとってはただあまりに可哀想な人だった。そこまでしてくれなくてもいいのにとも思った。喘息も酷くてあまり眠れていない日もあった。背中をたたいたりさするのは僕の役割だった。苦しそうだった。背中をさすっている間に眠りにつく母親に安堵した。

 

親が離婚したのは僕が18歳の時。でも14歳の頃には祖父母との二世帯住宅に引っ越していたし、僕が10歳ぐらいの頃からDVを見る頻度は減っていた。時々大きなのがあったくらい。弟はギリ覚えてるくらいかな。どうなんだろうか。本人に聞いたことないけど。

僕は別に親のDVを見たから自分の性格や人生がどうなったとか意味付けするつもりもない。そんなことしたって理想の家庭像の対岸にある機能不全家庭に育った人間だと固定するだけだしね。そんなのはお前の家庭が悪かったせいでお前はおかしいんだと、個と社会の摩擦を生んだ責任の所在を個人と家庭に押し付け、目を逸らさせるために社会が立ち上げる理想の家庭像に過ぎないとも思うし。こんな数十年しか歴史のない核家族社会で何が理想の家庭像だよって僕が言うと反抗してるみたいで笑えるけど。

ただまぁ、そういう幼少期があって今があるという意味ではそうかもしれない。でもそんな幼少期抜きの今の自分なんて想像したところで自分ではないだろう。悲劇視して意味づけたところで当時から続く自分の歴史、そして今を否定することにしかならないからね。

 

まぁそんなことが書きたかったわけでもなく、ただ妹が母を母親として育ったらしいのが嬉しくてね。あんな張りつめた破滅的な空間に独り閉じ込められる時間の支配する毎日は過ごす必要もない。

楽しいこともあったはずなのに、それがほとんど浮かばないんだよね。浮かんでもやっぱり一人の時間。世界があって、僕しかいない記憶。崩れる前の、見える終わりの影に諦めを抱きながら感じていた平穏。

 

悲惨に見えるでしょ?でも実際悲惨だったのは毎日ではないんだよ。家庭では僕が故意に暴力を振るわれたことは殆ど無かったし。ただ当時の日常とその後の記憶が嫌な思いに占領されてるだけ。

でもそんな平穏の一幕がどれだけ優しかったか。誰もいない夕暮れの公園がどれだけ綺麗だったか。焦燥感や帰りたくない気持ちもあるからその光景が特別なものになる。そういう意味では、妹や弟が恐らく知らない世界の美しさを僕は記憶に持っているのだろう。

 

姉という存在を持つことへの憧れもそう。僕には年上の兄弟がいなかったからね。あの不条理に支配された中、誰にも理解されない自分を近くで見てくれる人が欲しかったのだろうか。誰にも感じたことを話せなかったからかな。暴行主と支えてあげなきゃいけない可哀想な人と、大分後から生まれてきた弟と妹しかいなかったからね。何を感じようが思おうが伝える相手は確かに居なかった。多分誰にも話したことがない。ここに吐露していても直接的な感情は蓋がされて出てこないし。

そういうこともあって姉という元型的な象徴を欲していたのだろう。弟や妹に与える側だった僕の影なのかな。実際何かを与えたかは別として、何というか長男って役割の名残は残ってるからね。でも実際姉がいないのに、像はしっかり浮かんでいた。バークリーの観念論読んでるんだけど、その姉の像は削られて個別化、普遍化する観念像とは違う気がするんだけどな。

 

これは前にも書いたけど、小学生の時、母が僕の担任の先生に、僕が一人で会話をしている事があると心配されたと言っていた。そんな記憶は全くないけど、イマジナリーフレンド的なものとか別の自己とか居たんだろうか。

 

憧れることができる。求めることができる。それは嬉しいこと。叶うか叶わないかは別として。でも叶わないから抱き続けることができる。記憶が縛られている分、美化された景色も残る。消えた記憶に思いを馳せることもできる。

微かなご褒美。

 

新年早々中々のが出たなぁ(お通じ感覚)

まとまりとの断絶

久々にこっち。ゲロゲロモード。

うーん。こっちで保全プロジェクトをしに来る知り合いがいてさ、僕はもうその分野に関わる気はあまりないけど、長い付き合いだしアドバイスとか色々してたのね。他に分かる人いないから。それでその人が斯々然々で新しいグループを立ち上げて、そこに気づいたら僕も居たんだよね。それから2年ぐらい経ったかな。

そこでは最近議論が活発なの。その人が新しいグループを立ち上げたのは、その人が元々所属する組織で動かない事案が増えてきたから。それでも彼は、その組織を、またちゃんと機能するようにしたいっていう行動原理で動いてる。

でも僕から見ると原因は全く別なの。NPO化したことで組織の力学が完全に変化している。今のあの組織では彼のような現場で新しくプロジェクトを起こそうってフットワーク軽く動く人はリスク。それで事務局も頑なになって動かない。原因はそれだけじゃなくて、ほぼワンマンでやってた創設者も、そのNPO化の流れの中で排除されてしまったから、誰もプロジェクトの理念も、目的も、現地のことももう分かっていない。でも社会的責任は大きくなり、プロジェクト自体は動き続けている。パイロット不在の慣性飛行状態なの。手段が目的化している上に、誰もそれを俯瞰しない(できない)。

でも彼はその組織で、旧来の理念に基づいた活動を再びできるように理事会を通して自分が支持されるように動こうとしている。でも僕から見れば、それは既に向こうの土俵、制度側の土俵で戦って自ら絡め取られに行っているようにしか見えない。

本気で毎回同じこと繰り返してるのこの人たち?って思っちゃうよ。これじゃ人類の歴史と全く同じじゃないか。って。そこまで言わないけど。

 

その辺についてはね、やんわり伝えていたの。何度も。問題はそこじゃないですよ。段階の問題で、その組織に固執していても何も良いことはないですよって。

でも彼も、その取り巻きも、「なんで事務局も理事も理解できないんだ。こっちが正しいことを言ってるのに。」ってなる。何度も。結局事務局も向こうの言語体系で同じこと思ってるだけなのに。

 

前提が合わなきゃ伝わらないよとも伝えた。基礎がわかってないのに応用をやっている団体だから、基礎という共通言語の土台を築く必要性も伝えた。でも彼らにはそれは受け入れがたいのも分かっている。それは暗に、君たちも基礎分かってないんだよ?って言ってるようなもんだからね。実際分かってないから問題なんだけど。

 

滑稽なのは、前提が彼らと合っていない僕がこれを彼らに対して言っていることだよね。分かってるんだよ。いつものことだから。見えてる世界がズレてるのは分かってる。

僕が立っているのは、群れが流れていく川の外だから。そこから群れたちを見ながら話している。あの人達はこうで、君たちはこうだから、ここが合わないんだよって比較してね。

でも群れというまとまりの彼らにとっては、景色の方が流れていて、彼ら自身は流れていないと思っている。僕もその中にいるという前提で話してくる。

合うわけがない。分かってる。彼らにとって、川の外は無いのだ。認識できないものは内的に存在できないから。

 

別に僕も伝わると思って話してもいないし、あーやっぱりまたか。ってなってるだけだよ。最近はもう少しはっきり言うようにしていた。それでも表面上は分かったような反応は返ってくるけど、何も伝わっていない。

ここが厄介で、結局彼らが理解したいように僕の言葉も使われてしまう。いいんだけどね。人は自分が見たい世界を見るし、自分から見れる世界しか見れないのだから。僕も含めてそう。その上で、見えている世界が違いすぎる。

 

ただ、僕はじゃあ何のために彼らにアドバイスをしているのだろう?って思った。向こうは有用だと言うし、求めてくる。でも僕から見れば、自分たちの必要なように解釈してるだけで、僕の言葉なんて聞いちゃいないじゃん。ってなる。相手の目を見てるのに目が合わない感覚。

 

もうなんかいいやってなって、応援してます!とだけ残してグループを非表示にした。

応援はしてるよ?嘘ではない。ただ、彼らがやろうとしていることが上手くいくとも、意義があるとも思ってないだけ。でもそれも、彼らの望んでることだからなぁと思う。理事会云々が彼らの思うようにいかなくても、そこで新しいナラティブが生まれ、彼らの群れは強化される。集合意識的に彼らが望んでるのはそっちなんだろう。

 

そのグループの一人は、相互理解のための言葉について語っていた。伝わる書き方をすることの大切さ。でも、事務局と自分たちの齟齬が言語体系の違いにあることには無頓着。相互理解?伝える?違うね。分からせたいだけだ。

それを思うと、僕もアドバイスをするのはもう嫌になった。彼にとっての言葉がそういうものである以上、僕の言葉もそういう風に受け取られるということだから。僕は別に分からせたいわけでもない。ただ、齟齬の原因はこの辺にあるんじゃない?ちょっと見てみたらどう?って言ってるだけ。でもそんなのは僕の理屈で、恐らく僕の言葉は彼のような認識体系の人が受け取れば、上から目線で皆を批判してる人と映るだけだろう。勝手な憶測だけど、そういうもの。そうでなくとももう十分距離の開きは見えた。

 

 

昔からそうだった。人々はまとまりとして僕に近づいてきて、まとまりとして流れ去っていく。38年で何回それを見送ったことだろう。僕から切ってるわけじゃないよ?

 

慣れないねー。それなりにダメージが大きい。いや、慣れるのをやめたからと言ったほうがいいのか。前よりダイレクトにダメージが入る。きちゅい…でも、慣れや理解なんていう欺瞞でこの辛さを無かったものと思い込むぐらいなら、この苦しみ自体に沈み込む方が性に合ってる。

別にこの人達に対する未練によるダメージとかではないんだよね。結局、またいつもの繰り返し、その再現性がまたも証明されてしまったという苦しみ、辛さ、寂しさ。ずっとそうだったし、わかっているし、恒常的なもの。うぅ…寒い…

あー笑える。笑えないけど。

 

でもだから、宇宙は美しい。暗い所からしか見えない景色。恒星間ってそういうとこ。死ぬほど寒いよ。

 

 

これおすすめ!


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主ブログ切り替えのお知らせ的なもの

こんにちは!

えっとですね、遊びに来てくれる方たちを見て文章を書くのはここでは2回目だと思うのですが、新しくブログを作りまして、そっちを主ブログにしました。

hasriq3.hatenablog.com

 

最初はサブとして新しい方を立ち上げたのですが、なんかやっぱり向こうが現在の僕の立ち位置に近いんですよね。こっちは今の僕にとっては内面の一部というか。

 

折角だから経緯を書くと、僕は元々文章を半自動筆記のような感じで書いていまして、このブログは内面で思ったこと、感じたこと、吐露を包み隠さず言語化することで形を与え、可視化するものでした。基本投げ捨てなのだけど、ネットの海に投げ込むから、誰かの手に届くかも知れないということで他者にもわかる翻訳が必要になる。だから文章の体裁を一応は保つことになる。それが僕にとってのここの役割。自己変容においての必要性から生まれたわけですね。

 

でもいざ変容を過ぎてみると、この画面に向かっても指があんまり動かなくなったのです。それは最初は膿が出きったからかなぁと思っていたのだけど、実際は膿なんて最初の2年くらいで出切っていて。

まず、誰が書いているか。以前ここで文章を書いていたのは、感情や世界を感じる僕でした。それはある意味、詩人が世界と自己の間で摩耗することで詩を産み落とすしかないようなもので、僕にとっては感じ、思索することがそれだったわけですね。要するに、そこには感じる僕がいた訳です。そしてどこに向かって書いていたか。それは、僕の中の別の自己に向かって書いていたということだと思う。だから言語化、可視化の必要があった。

 

それが変容の過程で、多分ここを見てくれていた人は気づいたと思うのですが、僕の言葉には見る、見えるという語が増えていった。実際僕の内面ではそう認識されているから、見る、見えるという表現になる。思索にしても、複数の視点を使って立体的に造形してそれを見ることになる。

感情にしても、「感じる」ではなく「見えるもの」になる。勿論それを感じる自己も保っているから、感じると見えるは同時に知覚されるのだけど。主体がズレていったんですね。

僕にとっては直視という営みが、自分の中に入り込んでいた外部から導入された固定観念を引き剥がすことで変容の過程になり、自分を文明・社会・群れから共有していた価値観、言語を切り離すことになっていたわけだけど、それは同時に自己の在り方も組み替えていった。そういうことだと思います。その直視という言葉でさえ最近になって自分が何をしていたかが言語化されたに過ぎないのだけど。

 

二元が統合され、全ての絶対、答えなどは風景を切り取った写真であるという、それらを相対が内包する景色の位置に出て、同一の自己も解体され、幻想・非幻想、現実、非現実という見え方や、それによる世界観も全てが曖昧の下融合していき。やがて自己の在り方も変わっていることに気づいた。

「僕が感じる」ということは、主体的に知覚している。主体が外界ないし内界を知覚している。「僕にはこう見える」とういうのは、知覚として入ってくるものを僕が認識している。要するに、「僕が感じるのを僕が見ている」になるわけですね。

この時の僕というものが、前者では主体、後者では客体であり主体であり媒体でもある。

それは言い換えれば、僕は一つの点だったものが、変容の過程で多数の点やその複合となり、それがやがて場となった。これが自己の変遷であり、改めて見ると一つの点として自己の断片が僕自身だったというのは、その僕は観念でありペルソナであったとも言える。本来それは自己同一性として、この社会の内で生きていくには必要なものなのだけど、僕はそもそもそんなものよりも知覚を大切にするから、気づいたら場になっていたっていうことです。社会内の言語ではそれは病理であり狂気だけど、僕にはとても合っていて、ある意味必然的に飛び出たことが直観的にわかるのです。

外界であれ内界であれ、知覚されることには変わりなく、感情であれ思考であれ、そこにいる僕はそれを通してその世界に触れている。その相互性を見ているのが僕の今の主軸となっている位置ということ。だから外も内も変わらなくなってしまった。

 

その見方をすれば、僕がこの画面を見ても文章が出てこなかったのは、指が動かない自分を外から見ていたからで、当時の自分の位置で指を動かそうとすると、変わってしまった世界の見え方を裏切ることが出来ず、それが指が動くことを阻害していた。

 

だからね、数日前にサブとして作ったブログが、現在地に思いの外合っていることを思い知らされたわけです。日々何かが見えること、そこから思うことは変わっていなくて、知覚を唯一自分に近いものとして眺めることで、そこから見えたものを記録していく感じかな。「寒い場所」というのは、孤独が苦しいけれど清々しい、そういう場所。

 

それが構造的に他者が存在し得ない場所では必然の孤独で、社会からは病理や狂気として処理されるような場所であり在り方。でもだからこそ、ここからしか見えない景色があるわけで。そしてそして、きっと、それを必要としている人に届くかも知れないという可能性も0ではない。まぁ投げっぱなしのメッセージ・イン・ア・ボトル形式なのは変わらないと思うけど。はてな上なのも変わらないし、やることも実際あんまり変わらないんだけど、僕にとっての場の役割が普段用途ではここでは合わなくなってしまった。でもここはここで一部だけど生(なま)だから残したいじゃん?それにもう一個の方は視点的に硬めで冷たい言葉になると思うから。

だからまぁ取り敢えず、ブログとしてもそちらを主に切り替えようかなと思った次第なのです。

 

こちらはこちらで、1ヶ月から数カ月に一回、内面の整理として使うというのは多分変わらないと思いましゅ。はい。あっちの視点が切り離された分もう少しこちらには温かみが出るかも。

 

べ、別に新しいブログに遊びにきてって言ってるわけじゃないんだからねっ!

ではまた!

 

 

これ好き!マーニーも観たよ。ジブリではポニョの次に好きかもしれない。


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