感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

やる気が起きない ゲームのこと 音楽と琴線と記憶 Tony Anderson

ご無沙汰!どうも、旧正月の喧騒に隠れてすっかり堕落した日々を過ごしております。何もやる気が起きにゃい。

毎晩花火と爆竹凄い。まぁみんな鬱憤たまってたんだろうね。そろそろ新年15日だから終わりだと思うんだけど。

 

やる気が起きないと言いつつしっかりゲームはやってる。デスクトップ持ってきたから積んでたゲームができちゃうんだよね。

 

最近はControlをやってる。本編とAWEは終わったから残りアドオン1つ。

ControlはMax PayneとかAlan Wakeで有名な僕のお気に入りでもあるRemedyが作ったゲーム。グラフィックやアクションでも毎度新しいことに挑戦してる会社。

Controlではテレキネシスとか洗脳とか空中浮遊できる。何よりSam Lakeの作るダークな世界観や台詞回しが好きなのだけど、今作もダークから精神世界飛び越えて別次元に広がる感じでとても面白い。色んなオマージュなんかが散りばめられてたり、造りこみを感じて流石だなと思った。敵がホラー路線だからちょっと怖いけど。あとAlan Wakeの世界と繋がるアドオンもあって懐かしさもあった。少し前にAlan Wake 2のアナウンスがあったけど、そっちともどこかで繋がるのかな。

 

あとAoE3 DE。これは18年前のAoE3をリメイクした決定版。システム自体は大きく変わってないと見せかけて文明も増えてるし、追加されてるユニットもあったり、アビリティとか付いてたり実は結構変わってる。グラフィックや音も変わってるし。ドイツにランドヴェーア君が増えてて嬉しかった。エチオピアも面白い。でもユニット多すぎてもう覚えられない。

AoE4は中世に逆戻りしてしまった(今まで順に時代も進んでた)けど、3の決定版を出してくれたからこれで良かったのかもしれない。何かこう、思い入れがある作品って変わりすぎると別物になっちゃうし、あまりにも同じだと昔のでよかったじゃんってなるけど、これは丁度いいところを攻めてきてる感じ。

相変わらずおまけ的なストーリーモードもあるけど、正直この歳になると対戦とかよりまったりできるのが良い。そしてゲームシステム的に当たり前だけどことあるごとに植民地を開拓しようとする主人公が何か笑える。

AoE3が飽きないのって音楽がいいのもあると思う。ほんと好き。

 

 

最近感情があまり動かないからかあんまりまとまった文字にならない。いや、全く動かないわけじゃないんだけど、切羽詰まった感がないというか。

 

相変わらず音楽聴いてると不意に感情がバーッと浮いてくることはある。普段から音楽って自分の好きなもの、波長が合うというか、身を任せられるようなものをよく聴くのね。それを聴くっていうのはある意味自分の周りにそのフィールドを展開して守ってもらってるというか、何だろう、要するに僕にとって自分の心地良さって乱されやすいから、包み込まれて安心できる音楽で無理やり湖を凪に保ってるとも言える。

その凪の中でだけ琴線に触れてくる音っていうのがあって、水面の奥底からバーッと感情が動いたり情景が浮かんだりするっていうのかな。

 

そこでいう琴線、特定の琴線って多分しこりなんだと思う。それを紐解いてきて今があるわけだけど、でも段々とこう、深いものになってくるとどう取り扱っていいのか分からなかったりもする。だってその感覚が自分の記憶の外側だったりするわけだから。ここでいう自分っていうのは今の意識であって、非統合の自分なんかはわかんないけど。

記憶の外側って言っても色々あるよね。本能的なものだったり、ただ単に子供過ぎて今の感覚と別のフォーマットで記憶されてるものだったり、自分以外の自分が管理してるものだったり(これは解離の延長も混じってる)、自分が自分から隠しているものだったり(これは防御反応のことかな)、ただどこかに置き忘れているものだったり、他にも色々あると思う。

前世っていうのもよく聞くけど、僕はそもそも前世の記憶を判別する術がないから、仮に前世というものがあってそれ由来の何かがあったとしても、僕視点になると「何かある」しかわからない。

 

このブログで以前やり取りしていた方がいて、その方は今ココナラっていうサイトで鑑定をされてるんだけど、年末の挨拶がてら鑑定してもらったの。そこで今回貰ったのが前世の内容だった。今回は特に、ストーリーを読んでいるうちに浮かぶ情景の中で、繋がっていく感情がいくつかあるのを感じたの。そうすると今まで靄のようだった感情がより形を持ったものになる。

感情ばかり見てる人間だからそれだけでとても意味があるのだけど、ストーリーの部分はどう取り扱えばいいのだろう。僕の前世として伝えられるわけだけど、僕からしたらもう僕ではないし、重なる感情があるんだな程度に思うんだけどね。でもやっぱりさっき書いた琴線、そこに浮かぶ情景がそのストーリーに引っ張られてるなぁって思うものが今日あった。今まであやふやだった感情がそれを読んで繋がって重なって形を持ったのだから当たり前なのだけど。

 

前世肯定視点だと、それは前世かもしれないなぁってなるじゃん?

肯定しきれない視点だと、何かがそのストーリーと繋がったんだなぁってなるじゃん?

僕は後者が強いから、その『何か』を見たいんだけど、なんかこう、その感情がストーリーに上書きされてる感覚になる。そうするとその『何か』は逆に遠くなる感じ。そのストーリー自体が何かだって割り切れれば前者になれるのにね。

今書いてて凄くこう、視野の狭さに邪魔されてる感覚があるから、多分それ以外のところにつっかえているものがあるんだろうなぁと思うけど。

 

いずれにせよそのストーリーのおかげでより深くその感情に潜れるようになった(スーパーマリオ64のマリオがヤッフー!って言いながら鏡に飛び込む景色が浮かぶ)のは確かだから、とても大切なものを頂いたに変わりはないから、今はそっちを見つめていくしかないのかな。

 

こういう話になるとタイピングする手は動くんだなぁ。うーん。

 

 

あとこれ、最近のマイブーム。


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何かこう、何時間でも揺られていられる感じ。包み込んでくれて暖かいものは光だけじゃないと思うの。

Tony Anderson、この人の曲も好きなのいっぱいある。

 

これも好き。


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静かな景色の中で豊かなストーリーが繰り広げられていく感じ。

 

聴く時のムードは違うけどこれも好き


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人間視点で観測し得る最大のものを眺めてる気分になる。可能性に心が躍るのも人間なんだなぁって気持ち。

一時帰国終了 デスクトップPCを持って帰ったこと オープンマリッジへの試験移行 あけおめことよろ

一時帰国が終わり帰りの飛行機で書いてる。

何だかんだでやっぱり実家はいいな。でも4年ぶりで1ヶ月はとても短く感じて、殆ど人と会うことなく終わってしまった。

祖母は年始に食欲不振からの脱水で検査入院してしまって、結局会えないまま出発になっちゃった。体調は勿論だけど、ボケが始まってて名前も弟と間違われるようになってきてるから次会う時に覚えててくれるかも心配。でも何はともあれ早く元気になって欲しい。

 

今回は頑張ってデスクトップのパソコンを運び込みました。本当は分解してパーツごとに包もうと思ったけど、直前の夜まで支度する気が起きなくて、HDDだけ一個外して内部に緩衝材詰めて、衣服や緩衝材を周りに敷き詰めてケースごとスーツケースにぶち込んだ。

日本に置きっぱなしでも勿体ないし、ノートパソコンは壊れかけてるし、これがあれば出来ることも格段に増える。

本当はモニターも持ち込みたかったけど家族の荷物もいっぱいあるし流石に断念。

 

帰りは直行便が復活してたので大分楽。

直行便はやっぱりガラガラ。コロナ前からそんなに混まない便だけど。空いてる分キャビンアテンダントさんもとてもサービスが良くて、これでもかと飲み物を勧めてくる。

 

 

そういえばこれ2023年最初の投稿かな。

じゃああけおめじゃん。あけおめ!

今年は12年ぶりの年男ってやつ。なんか意味あるのか知らないけど。でもどっかで八方塞がりの年って書いてあったから良いわけでもないのだろう。

 

抱負とかは特にないんだよ。

まぁなんかこう、パソコン使ってできること増やしたいな。そんな程度。あと引っ越しもしたい。

下の子がプレスクールに入るから去年よりは時間はできると思うしね。

 

 

あと変化といえば、夫婦関係は結婚11年目にしてオープンマリッジ的なのに移行しようと思う。というか既に合意済みではある。

 

と言っても、よくオープンリレーションシップで思われるように、別に外で関係持ちたいからって訳でもない。よく言われるようなセックスレスでどうのとかって訳でもなく、夫婦仲はとても良いし。

合意したからどうしようっていう積極的なものではなくて、十分な信頼感もあるしそろそろ踏み込んだことを決めとこうかなって感じ。頃合いかなとは思った。あんまりこう、ずっと一緒に居ると話し合おうにも今更どうしようもない事とか出てくるだろうし。

 

なんて言うのかな。夫婦関係の中でも10年も経つと応えられないことも出てくる訳で、ある意味それから逃げるためでもあるのかな。

例えばモノガミックな価値観で夫婦仲睦まじくっていうのはあると思うけど、妻が恋愛ドラマとか観てるのをみかけると、そういうフレッシュなものまで僕に向けられても応えられないよなぁとか思う訳ですよね。応えられないけど、だからってその機会まで奪うってことはしたくないとも思ってた。だってモノガミックな価値観に縛られてる以上、誰かに好きって気持ちを抱くだけでも罪悪感を与えてしまうかもしれない。それってなんかなぁと思う。僕は寧ろウェルカムというか、恋愛でもデートでもセックスでもしてくれて全然いいと思ってる。まぁでも危ないこととかは気を付けては欲しいし、家族としては赤ちゃん作って来られたらそれはまぁ困るけど。逆をいえばそこだけどうにかなれば寧ろどんどん色んな経験して欲しいなぁと思う。

それはそういう形の信頼なんだと思う。だって関係は一対一のものだし、別に他の人に恋愛感情があったり肉体関係があったりそういう時間があるからって相対的に嫌われたり、家庭が蔑ろになるとは思わないし。僕は僕で、二人の関係は二人の関係で、家庭は家庭っていう、そういう部分の感覚は妻と僕は近いんだろうなという信頼なのかな。分かんないけど。

経験して欲しいっていうのは、親心じゃないけど、僕しか知らなかった人だから、なんかこうある意味縛られた夫婦として一緒にいるだけで僕が何かを奪ってる感覚があったのだろう。実際そうであるかは別としてね。

 

だからこう、アクティブな意味でのオープンマリッジとかオープンリレーションシップとは違って、実際何か外で関係を持つかどうかってことが重要というよりは、うちの場合それは副次的なもので、婚姻関係に纏わりつく観念的なプレッシャーからくる肩の荷を下ろしたり、それに伴う関係の発展的な変化を見たいのかな。

だって二人とも同性の友達すら減る一方の陰キャ気質だからそう簡単に人間関係が変化するとも思わないし、でも仮に変化が起こればそれは何かこう、大きなものを得るということでもあるなぁとも思うしね。

って文章化してみると僕はやっぱり妻に友達がほとんど居ないことも気にしてたんだろうなと思う。

 

因みにパートナーに対して複数に恋愛関係なり肉体関係なりを好意的にオッケーする心情っていうのは僕が内に秘めたポリアモラスな感覚も手伝ってるとは思う。器用な人間でもないし活力に溢れた人間でもないから実際にそういう状況になったことはないし、上手く言えないけど。でも別に相手がそうである必要はないと思うし、一々報告してくれてもしてくれなくてもどっちでもいいやって感覚だし、全ての関係が対等である必要はないと思うから、ポリアモリー的なものとは違う感覚。別にラベリングする必要もないとは思うけど。

 

一々報告してくれてもしてくれなくてもいいやっていうのは投げやりな感覚ではなくて、伝えてくれたらそれはそれで共有できることは楽しいのだろうけど、「伝えなきゃ」ってプレッシャーを感じるようにさせちゃったらなんか嫌だし、どっちでもいいっていう余白はパートナーに自分のプライバシーを自分のものにしてもらうっていう意味でも大事だなって思うから。そういう中で自分の内に見つけていくものって色々あるんじゃないかなとも思うしね。まぁお互いのことだけど。

っていう感じ?

 

 

ここまで昨日飛行機で書いて、お家についてからは荷物の整理もせずにお昼寝して、今日も買い出し程度で緩めに過ごして、今また続き書き始めた。っていうか帰った矢先に断水なんだけど。シャワーどうしよう…

 

つづき

 

うちの場合すぐに何かが変わるようなことではないとは思うけど、やっぱりこう、少し楽になった気がする。密室の窓が開いたような風通し感。家もそうだけど、出たい時に外に出て帰りたい時に帰れる場所であればいいと思う。

ずっと前から僕の結婚観は伝えてあったから急ではないとはいえ、提案したのは僕からだから、理解して合わせてくれたことに感謝しながら過ごそう。

はい。

 

 

今更気付いたんだけど、デスクトップPC持ち帰ったのはいいけど、電源ケーブル持ってくるの忘れちゃった。ついでにデジカメの充電器も忘れた。

ケーブルがないと動作チェックも出来ない。あんまり衝撃が加わった形跡はないから大丈夫だとは思うけど。扇風機も壊れたから買わなきゃいけないし、明日買いに行こう。預入荷物に入れたから結露もあったし、あんまり放置するのも心配。

本体には定格100Vとか貼ってあるけど、電源見るに240Vもいけるはずなんだよなぁ。何で100Vって貼ってあるんだろう?ケーブルが100Vって意味ならケーブルに貼ればいいと思うけど… 変圧器使って無駄に電力ロスするのもあれだから、こっちの規格のケーブル一本でいきたい。

 

そんな感じ。

あ、携帯も母のお古のiphone 8+(大きくて使いじゅらい…)に乗り換えたから、これからはもう少し画像貼ってみようかな。5sよ、ここまでよく頑張ってくれた。安らかに眠ってくれ。

取りあえず一枚。

これはね、初詣に行った時の神社の駐車場に咲いてた梅。

 

というわけでいつも通り取っ散らかってて年が変わっても平常運転です。

皆さん今年もよろぴくね。

どうしようもない寒さ 享楽 味わうこと 新居昭乃『フィンブルの冬』 坂本真綾『奇跡の海』

僕にとって寒さには特別な何かがある。

冬が苦手なのはトラウマやら空気やら色んな要素があるけれど、単純にこの寒さが苦手なのもあるのだろう。

芯を突き抜けるような、内側から凍りつくような寒さに、死がちらつくような本能的な不安が呼び起こされるのだけど、それがトラウマともぐちゃぐちゃになった配線のように結びついていて、結局何に反応しているのかよくわからなかったりもする。

 

孤独感もそう。孤独自体が辛いわけではない。芯からの寒さに繋がるから辛いのであって、その寒さがどうしようもなく耐え難い時があって、その感覚には色々繋がるものがあるのに何故かこれだけは直視できないから怖いんだと思う。真っ暗な新月の夜に深さが分からない海辺に立った時の気持ち。

 

今は少しずつそれを深めている。そんな気がしてるのだけど、一つ突き抜けるには何かが足りない。本当に足りないのか、気づきたくないのかわからないけど。

 

寒さ。芯から凍てつくような寒さ。吹き抜けていく寒さ。どうしようもない中に取り残された感じ、胸の奥の寒さ。誰もいない。

誰もいないが出るからやっぱりこれが孤独と結びつくのか、そもそも孤独感がこの感覚と似ているから繋がるだけなのか。

でも孤独感が悪いものだとは思わない。孤独感は見える世界に色彩の深みを与えてくれたし、それは今も深まっている。それはかけがえのないもの。孤独を噛みしめることに理由付けをするなら、僕にとってはそれだろうか。僕は紺色の世界が好きだから。それは微妙なバランスの上で成り立ってる。本当は在るがままなはずなのに。

 

そう、だから孤独は好き。好きだからこそ、慣れて寒さを感じなくなるのではなく噛みしめたい。それは味わうこと。ほのかな香りや風味の織り成すハーモニーも感知して、そこに浮かぶ情景を追い求めようと、しっかり集中してそのものを味わうこと。

だからそのものを味わってそれが生む何かを見るには敏感さも大事だし、集中することも大事だし、イマジネーションも必要。それを記憶や感情を通してやっていると考えればとてもしっくりくる。

 

さっきね、何の番組か知らないけど、夕飯の後に居間でついていたテレビで、趣味が見つからない棋士の人がどうのっていうのがやってて、『享楽』っていう言葉が出てた。そしてその人はすでに自分にとっての享楽に出会っていたとも。

僕も趣味が見つからないのを気にしていたからなんとなく見ていたのだけど、僕にとってはこれが享楽なのかもしれない。味わうということ。味や匂いという物質に限らず。

 

僕もこの棋士の人みたいに、趣味って何かに繋がらなきゃいけないと思っていたけど、別に目に見える形で何かに繋がらなくてもいいんだよね。

例えば何かを味わってより深く感じることは、より深みのある色彩で世界を見ることに繋がるのだから、自然と生んでいるものがあるとも言える。だからそれが楽しみになって連鎖的に続いているのかもしれない。

じゃあ趣味は何かを味わうことって言ってもいいのかな。でも趣味っていうとなんか違うんだよね。だから趣味が見つからなかったけど、趣味である必要がなかったということなのか。

 

これは一つ、大きな収穫な気がする。なんかこう、感情を味わうこととかってある種のツールだと思っていたけど、それ自体が好きってことでもいいのではないか。ってなるとなんか「ツールとして使うだけでなくていい」っていう感覚が無限の広がりを生んでくれるようで、それがなんだか嬉しくて楽しいから、やっぱり僕はこれが好きなんだと明確に思えた。

 

今、この手を付けられなかった、『どうしようもない寒さ』という自分の中にある感覚に手を付けたいって何かに衝き動かされかけているのも、その延長な気もしている。肯定的に捉えられるから、これだけ大きなものだから苦痛が大きい分得るものも大きいとどこかで分かっているから、そのわくわく感に衝き動かされる。怖いけど触れたいというのはそういうことだと思う。正に"In to the unknown"って感じ。

 

でもどうしたらいいのだろう。寒さが耐え難いのは現実であって…

 

そういえばこの前の新居昭乃さんのライブ、『フィンブルの冬』には絶対行きたいなって思ったのもその耐え難い寒さからでもあるの。イメージがとても今求めているものにピッタリだったし、行かなきゃって思った。

とっても素敵な時間だったし、何か必要なものをもらった気がする。

何より内容から感じたのは、厳しい冬の寒さでも、雪の下には春を待ち忍び耐える草木がいて、寒さの訪れは緑の芽吹きに必要なものでもあるっていう思ったよりも明るい印象だった。絶望の訪れに見るその先の希望の予感みたいな。

 

曲も好きな曲ばっかりだった。聴けると思ってなかったノルブリンカのライブ版もとっても良かったし、ガレキの楽園もライブで聴けて良かった。

好きな人の生む空間に包まれるってとても心地よくて、全身の力は抜けるのに胸の奥はこう、奥までその世界に歓喜している感じだった。ライブイメージのアートボードも惹かれていたから、買ってお部屋に飾ったの。何かを引き出してくれそうな絵。

 

この曲ね


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昭乃さんがカバーしたものがあって、そっちがライブでも流れたのだけど、とっても好き。

苦しみの海へ向かう理由は数あるのだろうけど、そこに人間らしさや生き物らしさのような温かさを感じる。

どうしようもない寒さに触れたいっていうのも、ここに繋がる。

ある意味勇敢で、ある意味無駄なエネルギー。でも、だからこそなのかも。

 

 

それにしても今夜は寒いな。一人でも多く無事に冬を越えられますように。

寒さに凍えるのは辛いから。

帰ってきた日本

一時帰国4日目。少し落ちついてゆっくり過ごしてる。

 

今回は経由便だったので結構疲れた。

向こうは空港も飛行機もマスク要らなかったんだけど、日本着いたら「成田空港ではマスクを着用してください」ってアナウンスがあって国による差がちょっと面白かった。

 

成田の入国審査はなんかこう、お粗末化が進んでる気がする。ファストトラックのために中途半端にデジタルで登録させるのにチェックが適当だったり。特に検疫。

ワクチン打ってないから陰性証明取って登録したけど、画面を印刷した紙を一人分見せただけで終わってしまった。QRコードとか意味ないじゃん。あんな画面いくらだって作れると思うと、あのいい加減さにはなんか真面目に全員分用意して損した気分になった。

チェックしてる人たちがおじいちゃんが多かったから仕方ないのだろうけど。日本の縮図って感じ。

 

成田からのバスもいつも使ってる最寄りまでのがまだ運休中だったから、仕方なく新宿までバスで移動して新宿から電車で帰った。でもこれよく考えたら値段ほとんど変わらないし成田エクスプレスでよかったよね。なんでバス乗ったんだろう。まぁいいけど…

 

移動はやっぱり寒かったけどお昼頃実家に着いた。向こうの家を出てから22時間かかった。やっぱり直行便の2倍近くかかる。

実家に着いてからお昼ご飯を食べた。久々のお寿司とお味噌汁はとても美味しいのでした。

というのが初日まで。

 

翌日は歯医者さんに行って、昨日はお買い物に行って眼鏡を買い替えてって感じで過ごしてる。

寒いのも乾燥も苦手だけど、やっぱり冬の雰囲気は寂しいね。

でも町並みは思ってたよりあんまり変わってない気がする。4年ぶりだからもっと色々変わってるかと思った。お店もあんまり入れ替わってないし、新しい建物もあんまり建ってないし、いつも行ってたコーヒー屋さんの店員さんも同じ人たちで、店内のレイアウトも変わってなかった。信号機が薄くなってるのが一番印象的だったな。

 

明日はまた歯医者さんが入ってるけどあとはゆっくり過ごして、週末は人と会ったり出掛けたり。新居昭乃さんのライブ「フィンブルの冬」のチケットを買ったの!ライブは今週の日曜日。ギリギリだったからかなり後ろの席だけど、今回逃したら僕には次があるのかわからないし…。楽しみ!

 

来週は友達と会ったりとかがいくつか入ってて、そしたらもう年末年始。9日には帰っちゃうから多分あっという間。

本当はカワハギ釣りとかも久々に行きたいんだけどなぁ。一か月って短いよね。

 

実家はやっぱり落ち着く。家族も以前より少し空気がいい感じがする。

でも祖母は少し会話が怪しい時がある。頻度は落としても仕事はやめない方がいいって言ったんだけどな。やっぱり仕事やめてから一気に来たらしい。コミュニティや誰かの役に立ってもらうのが大切とはいうけど、老人には楽をさせなきゃいけない風潮みたいなのがあるから難しいよね。楽しみながらできること、何があるのだろう。

 

年末年始には弟の彼女と妹の夫が来るらしい。めんどくさ。なんてことは妻を暖かく迎え入れてくれた弟や妹には言えないので心の中にとどめておくとして、僕も暖かく迎え入れてあげないとなぁとは思う。とはいえ第一印象は大事だから威厳のある態度で臨みたいけど、まぁ無理だろうなぁ。うーん。

 

久々の日本、食べたいものはいっぱいある!向こうで食べれないものはしっかり食べておかなくちゃね!とりあえず自然薯の麦とろ食べたい。

 

うーん、そんな感じ!ではまた!

 

それにしてもやっぱり使い慣れたデスクトップは使いやすいな。今使ってるノートはもうすぐ壊れそうだし、持って帰ろうかなぁ…

愛と受容 から 一時帰国すること 最近のこと Cossacks 2 RIOPY ”Drive”

"Love is Acceptance"ってそうなのだろうなぁと思う。

愛には様々な形があるのだろうけど、どれにも言えることは、そこに受容があるということだと思う。

 

例えば、深い部分で共鳴するような愛を人は求めがちだけれど、ある種の、互いを認め合った風通しの良いドライな関係というのも、それは相手をしっかりと受容しているから成り立つものであったりするし、それもまた唯一無二の愛がそこにあるからとも言えると思う。

感情が動くからその愛が強いとも限らないし、比べられるものでもなくて、色んな花があるようにただ違う形のもので、共通しているのはどこかに受容の温かさがあるという部分なのだろうなって。

 

どれが本物の愛でどれが偽りの愛であるかとか、そういう測り方をしてしまうと自分の中での愛というものの在り方を制限してしまうばかりか、その眼で内外を見ることになってしまう。それって残念なことなのではないだろうか。

だって彼にとって全てが愛であるならば、彼は様々な愛を目にし、包まれている状態にある。

でも彼にとって愛とは彼が理想とする本物の愛だけであるなら、彼は様々な偽りの愛を目にし、愛というものを理想という手の届かないところに追いやってしまう。それはある種の貧しさ。

 

自分を愛せるかって聞かれると正直微妙なのだけど、それが何で微妙と感じるのか考えてみるとそこに掛かる「愛する」っていうのが重いからなんだよ。その言葉の中の愛するには自らを愛せっていう人たちの感覚が乗ってるから。そもそも愛するって能動的な感覚を僕はあまり持っていないし。愛にしたって何にしたって、僕は在るものを眺めてるだけだし。だから自分を愛せるかって聞かれたらうーんってなる。

 

受容に置き換えると今は割とすんなりいける。そこには確かに自分に対する受容があるし、その形の愛なら自分に対しても沢山あると思う。だってここで沢山続けてきた自己弁護なり捉え直しがそこに繋がってるしね。否定や拒絶すら温かく。

そう考えると自己否定は産みの苦しみ。あまりに難産だと母体が危ないのも似てる。

 

愛って何だろうってよく考えてきたけど、割とこう、今は自分なりのそれが見えてきてるのかもしれない。はい。

 

 

来週からちょっときつい日が10日間。そのあと久々に日本に帰ることになった。1カ月だけど。冬は嫌いだしお正月もあんまり好きじゃないんだけどね。でもお風呂と食べ物は楽しみ。栗きんとんと数の子食べるの何年ぶりだろう。食べたいものはいっぱい!

 

お正月は妹の夫は来るのだろうか。だとしたら初遭遇になるから髪も髭もこのままでいこうかな。第一印象ですぐ舐められるからせめて見た目だけでも威圧感を大切にしよう。

 

色々買い替えなきゃいけないものがあるんだけど、物価上がってるんだよね?円まだ高いし。うーん… まぁいいや。

 

 

体調は最近悪め。先週は熱も出したし、今はまた下痢してる。多分ストレスで色々弱ってるんだと思う。体重も折角57kgまで増えてたのにまた元に戻ってしまった。

蕁麻疹も先週の発熱と下痢から復活して定期的に出てて、さっき薬飲んだ。抜け毛も増えるし色々良くないよね。

環境を変えないとだめだなぁと思ってるんだけど、引っ越しって家探しから相当気力が必要だと思う。まぁするにしても日本から帰って来てからかな。

 

嫌なイベントが控えてるし色々大変だけど、最近また友達とオンラインチェスやったりしてそういうのは楽しい。

それと週末は久々にCossacks2をやってオーストリアでクリアした。このゲーム色々と残念な部分が多いけどシステムは当時としてはとても斬新で今やってもとても面白い。たまに無性にやりたくなる。もう発売から17年とかやばくない?(年月の経過速度が)

敵兵を殺すのではなく士気を削いで敵戦列を崩壊させるのが主体とか、こんなに戦列愛が深いストラテジーゲームが他にあるだろうか。

 

動かしてるだけで楽しい。

はい。

 

 

そうそう、RIOPYのこの曲とっても好き。


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なんかこう、とっても刹那的。

この人も好きな曲いくつもあるなぁ。同じアルバムの"Wyden Down"とかも好き。

陰謀論 から 懐疑的という思い込み 悪夢 夜のお散歩 "iris - lavender and heaven"

陰謀論っていうのは見えてるものに対する疑念から裏の見えないものを信じる(データなりがある程度あるにせよ)っていう意味で、そういうのが合う人は疑ったり信じたり大変なんじゃないかなぁって思った。

僕は陰謀が有るなら有るでいいし、無いなら無いのだろうし、まぁあったところで目に見える日が来ないから陰謀なのだろうから何とも言えないしなぁ、じゃあそれ以上興味の持ちようもないなぁって感じ。肯定も否定もしないというよりは、肯定も否定もしようがない感。

 

疑ったり信じたりが大変そうだなぁって何で思ったのかは分からないけど、でもその時ふと、僕は自分のことをただ懐疑的というわけではないのかなぁと思った。

周りと同じ意思決定になりづらいとか、皆が信じてるものを信じられないこととか、天邪鬼な感じとか、自分のことを懐疑的なのかなぁと思ってたんだけど、よくよく考えると別に疑ってかかってるわけでもないことに気付いた。

なんて言うんだろう。ただ信じることが出来ない性格なだけというか。

信じるってことに自分にとっての価値も今は感じない。でも疑うっていうほど疑念が先に来てるわけでもなくて、そういう意味ではただ可能性を見たいだけなんだと思う。可能性が好き。

 

信じるっていうのはなんか合わない。少し前まではそういう自分がダメだなぁとも思ってた。対象が何であれ、信じることのできる人にある種の強さを見ていたから。でもまぁ、それはそれって今は思う。

何かを信じるって素敵だけど、可能性っていうものを考えると、何かを信じた時ってそれを絞ってしまうものだと思う。ピントをフォーカスした状態と言うか。何て言うんだろう。信じるための前段階にはある種の断定が必要な感じ。でも僕はもっとボヤッとでいいから全体を眺めていたい。

これは立ち位置というか、意識を置く位置にも直接的に作用するもの。信じる信じないの外側に居たいっていうのもあるし、何かを信じたっていう状態の身動きの取れなさも苦手なんだと思う。だからこうやって固定観念なんかも外したがるのだろうし。

 

「あなたの明るい未来を信じる」とかっていうのもあれだよね。信じたところでどうなるかは分からないっていうのもあるし、その時思った明るさとは別の未来が訪れたってそれを受け入れるしかないのだろうから、なんか明るに未来に限定したくないよねって思う。未来はどうあっても受け入れたいっていうのが本音の時、「(~な)未来を信じる」とは言えないし。何かを信じるより流れや全体を受け入れる方が好き。

 

信じるっていうことが苦手なのはもう一つあって、そっちは実存的な感覚。

それが人であっても未来であっても神のようなものであっても、何かを信じるためにはこちら側から見た像を作らなきゃいけないから、どうしてもそれを信じることになってしまう。思想だってそう。信じるってなればその思想そのものではなくその思想に対する自分の理解を信じることになる。

っていうのが僕の感覚なので、その人そのものを本当に信頼するなら自他のラインの向こう側を尊重して、委ねるとかそういう方向になるだろうし、思想だってその思想そのものを尊重するなら自分の理解は切り離して自分なりに学ぶっていう方向になるんだと思う。

 

そんなこんなで信じるって苦手だけど今はまぁいいやって思うようになったし、その原因は懐疑的だからっていうよりも、信じるっていうものがこう、断定、限定的で主観や願望を押し付けがちな感じが苦手なんだろうなって思った。

 

自分が懐疑的っていうのもある種の思い込みだったのだろうなぁっていうのと、「信じる」が苦手でもいいやってていうのが少し新しい感覚。

そう。少し頑固なだけだと思う。頑固というか、自分なりに腑に落ちないと意思決定が難しいだけ。「ん?」ってなるからって疑ってるわけじゃない。直観的に「どこか腑に落ちない」が先に来て、だから色んな目で見てみる。疑念が混じるのはその段階。

 

それは別に周りの意思決定を疑ってるとか、入ってくる情報を疑ってるとかではなくて、ただ自分自身が感覚的に理解するまではそこに疑いと言われるようなものも混じるってだけ。

「これ酸っぱいミカンだよ」って言われても、自分が食べるまでそれを「酸っぱいミカン」と言えないのは、僕にとっては「その人が酸っぱいミカンと言ったミカン」でしかないから。それは別にその人の味覚や言葉を疑ってるわけじゃないの。だってそのミカンはそのミカンで、その人の感想はその人のもので、僕の味覚がどう捉えるかはまだ分かってないから。

疑いもしなければ信じもしないのは、疑う対象でも信じる対象でもなくて、それらが入り込む隙間がないから。

あなたあなた、僕は僕、そのミカンはそのミカンなの。

 

それは政府や偉い人や皆がこう言ってるからっていうのも同じ。

ってことは僕がやっぱり懐疑的なのではなく、懐疑的っぽく見えるけど本当はただ主観が好きとかそんな感じなんだと思う。

 

 

この前また主観視点で殺される夢を見た。これ系の夢小さい頃からたまに見る。ほんと嫌い。詳しい内容は毎回違うんだけど、共通してるのは逃げ惑った挙句逃げきれずに追いつかれて首を撥ね落とされるってとこ。今回はハンター系のガッチリしたマチェット二刀流おじさんだった。僕は狩られる側で逃げ惑う感じ。実家のベランダに逃げるの。文明崩壊後みたいな世界観で、食用みたいな感じにネズミが干してあるんだけど、そのネズミの毛並みや眼、群がるハエがとてもリアルだった。そのベランダから屋根伝いに2階の窓の外を通って逃げるんだけど見つかっちゃって、最後はシャキンシャキンとマチェットを擦りながら迫ってくるおじさんに「ほら、もっと逃げろ」って弄ばれた挙句、もの凄い恐怖と絶望の中ズバっとやられて、そこで目が覚めた。ほんとこれ系の夢は一回人生終わったレベルで疲れる。目が覚めてしばらく動けなかった。

起きた後も、狩られる側ってやっぱり一思いにやってもらった方が良さそうだなぁとか意味の分からないこと考えたりね。

 

久々に瞑想したせいかな。瞑想すると高確率で悪夢みる。無意識の不安とか恐怖が呼び起こされるのかな。でもこれ何に対する不安なんだろうか…。

 

 

今日夜子供と少しお散歩をした。あれ?まだ半月だっけ?などと思いながら歩き、家に着く頃には月が真ん丸になっていて、そこで初めて月食だったことに気付いた。ちょっと残念だけど、知ってたら写真撮ろうとしちゃうだろうし、こういう風に軽い気持ちで見れるのもありかなぁとも思った。

子供が星を見て「お星が落ちたら持って帰りたいの」「お月様は何を食べるの?」などと真剣な顔をして言うのを見て、星を見る度に大きな恒星やその周りの見えない惑星もイメージしてしまう僕は、月を見て大きな岩石の塊のイメージが浮かんでしまう僕は、なんと汚れているんだろうと思った。

 

 

あとねあとね、これyoutube musicでいつの間にか高評価押してた曲なんだけどすごく好き。


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この人もノルウェーの人。なんでだろう。

慈愛レベルの染み渡る優しさに「うぅ…」ってなる。僕も連れていって欲しい。

ジョギング から 運動とか 腐乳 Jアラートとか Jason Deluro

ジョギング、先々週は2カ月くらい開いて久々に走ったのだけど、2kmちょっとでへばってしまった。先週は小雨だったおかげもあって5km歩かずに走れた。そして今日は8km走れた。ちょっと嬉しい。歩かないでこんなに走ったの初めて。10年ちょっと前までは喘息が起きたからろくに走れなかったしね。

週一くらいで続けるのが丁度良いのかな。

 

アパートメントのフェイズの敷地の半分くらいで、一周800mっていうのが丁度良いのかも。取りあえず目標は最低5周ってことにしておいて、5周走るともうちょっといこっかなってなる。ちょっと胸が苦しいけど、6周走ると4.8kmだから5kmにしようってなるけど、折角だから7周行こうって思える。7周走ると5.6kmだからあと半分行って6kmにしようって思う。でも折角だから8周いこうってなる。そうすると6.4km。もう一周行くと7kmでキリがいいから9周目行っちゃおうかなって思う。9周走ると7.2km。10周って10だし8kmだしもっとキリがいいなって思う。っていうのを続けて10周走った。疲れたけど気分は良い。

 

折角だからそのうち10kmいきたい。でも10km走るには12.5周走らなきゃいけないんだけど、10周8kmから12.5周の間ってなんかこう、目標になりそうな数字がなくて精神的な壁が高そう。

 

今それなりに走れるのは喘息が起きなくなったこともあるのだけど、体幹が出来てきてるからっていうのが大きいと思う。姿勢が維持できるから変なとこに負担がかからずに走れるしね。特に種目は決めてないけど、毎日何かしらの運動はするようにしてる。エアロビ、HIIT、ピラティス、ストレッチなんかはyoutubeに色々動画があるし、あと筋トレとか。ヨガブロックと腹筋ローラーと2kgのダンベルx2があるから、その日の気分でやりたいのやる感じ。姿勢はまだ気をつけてないとあれだけど、腰痛も殆ど起きなくなったし、多分今までの人生で一番肉体的なコンディションは良い感じ。

筋肉も結構ついたし、あとはせめて肋骨が浮かない程度にお肉付けばなぁとは思うのだけど…

 

でもこれって精神的な部分の変化も大きいと思う。自己否定を抜けなきゃ運動なんて続けてする気にもならなかっただろうし、感覚、体感に価値を見るようにならなかったら健康もここまで気にしてなかったと思う。

結局、森での生活から価値観、自己の変化が始まって、今こうして運動しているのも、いつかまた森に帰った時によりしっかりとその空間を感じ、生活し、溶け込むため。中心はいつも森。

そういえば前回村に帰った次の月くらいから蕁麻疹がほぼでなくなった。ここ1年は3日に一度、後半は2日に1度酷い蕁麻疹が出るのが当たり前のようになってたのに。やっぱりなぁって感じ。

 

小学校の体育とかももっと体幹づくりから意識してあげていいとは思う。言い訳じゃないけど、学校の徒競走でいつも前のめりに転びそうになってたのは姿勢の問題で、姿勢の問題は筋肉のバランスの問題でもあったんだと思う。そんなんじゃいくら授業で走らされても何も変わらないよね。今更だけど。

姿勢だって維持してれば直るってものでもないし、そもそも色んな不調でアンバランスに固定されてるから普通の姿勢が維持できないし。25年早く気付きたかった。

 

 

最近腐乳にはまってる。スーパーで売ってる輸入品なんだけど、中国はちょっと怖いから台湾産。Melovcomの美乐康麻油辣腐乳っていうのがお気に入り。ラー油の香りと腐乳の風味、塩気がご飯ととてもマッチする。料理の隠し味にも使えるし、海鮮レストランだとソースに使ってたりもして結構万能。日持ちもするし、そして何より安い。こっちだと一瓶日本円で200円しない。沖縄の豆腐ようと殆ど一緒だけど豆腐ようと違って安いから気にせず食べれる。塩分多いから気をつけなきゃ。

 

こういう話題って書いてても広がらないんだよね。あと何書こうかな!

 

 

そういえば弾道ミサイルのJアラートが無駄だって話題になってたけど、爆風や破片、熱線に対して伏せることができるってとても大きなことだよね。殆どの投射兵器の性質を考えてもそうだし、何故塹壕や蛸壺が重宝されるのかって意味でも。それは核弾頭だろうと通常弾頭だろうと、ミサイルだろうと火砲だろうと変わらない。核だってサラ・コナーの夢みたいにみんながみんな蒸発するような爆心地に居るわけじゃないのだから。

唯一の被爆国と言うなら、不意に爆風や破片や熱線に曝された人間がどうなったかを身をもって知っている国として、そこはしっかり人の死、痛みを伴った経験を無駄にしないで欲しい。

 

誤報が多いのはお粗末だとは思うけど、地震でもミサイルでも知らせてくれるシステムがあるのはとても大きなこと。緊急時は特にそう。起きる前に一拍でも猶予があることはパニックに陥らないためにもとても大事。パニックも人を殺すしね。システムの恩恵を生かすも殺すも人次第だと思う。

せめてちゃんと避難、対処訓練すればいいのにと思うけど、ミサイルは戦争アレルギー的な意味でも難しいのかな。

 

陰謀とか癒着とかいろいろ気にする人は気にするんだろうけど、恩恵は恩恵として受ければいいのに。何かあった時に簡単なことで繋がる生もあるのだし、1人でも多く助かる可能性を生むならそれ以上のものはないと思うっていうのは価値観の問題なのかな。

 

恐れ。戦争アレルギーのような暴力の否定は、ある一面を見れば自らの暴力性から目を逸らすためのものだと思うし、それをしていると一旦暴力を許容するような状況になれば手のひらをクルッと回すように正反対なことをしてしまうのが人間だと思う。そして戦争自体はする、しないという人々の意思に関係なく起きるものだから、だからこそ本当に平和を摸索するなら戦争・軍事は直視しないといけないと個人的にはずっと思ってる。平和はむしろ争いや戦というものの内側にあると思う。ヒトがヒトであることを直視しないとヒトはヒトであり続ける的な感じ?ちょっと違う?

 

事故もさ、遭わないように気をつけるのも大事だけど、例えば受け身とかを小さい頃から教えるのってとても大事だと思う。応急処置も勿論大事だけど、こっちが先じゃないかなと勝手に思ってる。受け身が取れてれば助かっていた、軽く済んでいたって場面は結構多いはず。

でもこれって何だろう。事故も戦争も備えるとそれが必ず起きるわけでもないのに、何で人は想定するのを嫌がるんだろう。恐れ?ジンクス的なあれ?無駄だと思うから?七不思議。

 

今日久々にこれ聴いたんだけどやっぱり好き!


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実はJason Deluro好き。2000年代以降のヒットチャートに上がるような男性アーティストの中では一番好きだと思う。

彼の作る歌ってロマンチックでセクシーでダイナミックなんだけどどこか繊細でユーモラスさもあって、みたいに色々共存してる感じ。良い意味で子供なんだと思う。

歌い方もとても好きだしダンスもすごいなぁと思う。

 

これも好き。


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最近はTikTokでも有名らしい。さっき覗いてみたらなんかとても微笑ましかった。