感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

あけおめ! 助けを求める声 村のこと Adrián Berenguer

あけおめ!またあけおめ?一年がすごく速くなってない?

年末は村でお魚を捕ったりして過ごした。やっぱり森や川の空気が好き。短期間でも色々リチャージできる大切な時間。

 

 

昨年を振り返ると、丁度ここ一年くらいかな。時々こう、自分の中で助けを求める声が聞こえるの。前は聞こえなかった。僕自身生き辛くて助けてもらえるなら助けて欲しいぐらいだけど、それとは別なんだよね。厳密に耳から聴こえる声じゃなくて、内面で沢山のコンフリクトがあった時と同じ感じ。それが聞こえると引きずりこまれる感覚がする。フラッシュバック的な感覚の想起に近いのかな。

それがずっと気になってて、でも自分の記憶も色々とすっ飛んでる現状なので、どうしようかなと思ってたんだけど、ちょっとそれにフォーカスした日々を過ごしてみて気づいたことがある。

記憶、というか人格というか、それが解離した時期は16~17歳の時。その時に一回僕は切り替わってる。それは何回も書いてるからいいんだけど。

当時の僕の記憶、感覚ってアクセス拒否的に思い出せないことが多いのだけど、多分今の僕から切り離された僕の声なのかもって気づいた。わかんないけど。

当時の僕は誰かに頼ったり助けを求めたりしたことは無いと思う。誰かに頼って自分の状況が良くなるなんて思ってなかったし、むしろ介入を受けたら悪化するのは目に見えてたし、だから耐えるしかなかった。いや、耐える耐えないじゃなくて、どうしようもないから結果的に耐えた。死ねば楽になるって思うじゃん?それはそんなことを考える頭の余裕がある人の理屈なの。渦中だとそんな余裕はなかった。だから色々擦り減らしながら日々生きた。そんな毎日だから、誰かが信じるような神なんて居てたまるかって思ったし、もし居るなら恨んでやるとも思った。灰色の日々で、時に黒くて、ただ幸せそうな人たちを見るだけで辛かった。そんな当時の僕が助けを求めた相手なんか居ないって思ってたのね。でもふと浮かんだのは、実際に誰かに助けを求めたかどうかってこの声には関係がないのかもってこと。

助けて欲しいって気持ちなんだよね。どこかにそんな期待があったからその裏返しで神をも恨んだのだろう。今の僕だって、言いようのない生き辛さに天井を見上げては誰かが引っ張り上げてくれないかなって手を伸ばしてみたりする。当時の僕もそれと同じで、その状況から助かりたかったんだなって思った。

考えてみれば当たり前のことなのに、全然気づかなかった。

 

当時の僕の助かりたいという気持ち。そこまでわかればその気持ちを認めてあげればいい。それは分かる。分かるのだけど、まだできていない。そんな簡単なことなのに、ちょっと試そうとすると物凄い恐怖感が湧く。箍が外れてしまうような不安。僕が泣けなくなったのもそれなのかも。すべてを解放してしまいたいと思いながら、それを恐れて押さえつけてるのも自分。

僕は自分の、この煩わしくて壊してしまいたい理性を保とうと必死なのだろう。多分、歯止めが利かなくなるのが怖い。

押さえつけてるから解放したい。保とうと必死だから煩わしくて壊したい。分かってたけど。

 

これは一人じゃ手を付けられないと思う。EMDRを受けた時、当時の分の記憶の氷河が一部崩れただけで、飲み込まれてどうしようもなくなったことがあった。それにも増して、その後の年月の積もり積もった感情もこのダムに放り込まれていて、膨れ上がりすぎてる気がする。

かと言って手助けを頼めるような、僕がこんなことを自己開示できるほど信頼できる人もいない。

あの人が居てくれたらって思うのだけど、ずっと前に居なくなってしまってるしね。そういう意味もあったのかな。僕がずっと姉さんの影を追いかけているのは。

いっそプロを頼ろうか…うーん…

 

年明け一発目から書くには運気がだだ下がりしそうな内容だけど、まぁ、このタイミングで出てきたなら今年の課題ってことで、今は焦らずやっていけばいいのかな。

 

 

こっちに戻る前々日の夜だったかな。刺し網を引き上げるのに満ち潮で逆流してくる流れがまだ強かったから、流れるボートの中、一人で空を眺めてたの。ヘッドライトで照らして見回してもワニの気配はなかったけど、色んな生き物の気配に満ちていて、すぐ近くの木ではスローロリスの目が反射してた。新月間近だったこともあって、相変わらず星がすごく沢山見えた。視力の良さだけ星が増えそうな空。いくら眺めてても飽きない星々。流れ星も2つ見えた。とても満たされた時間。

こっちの生活はそれとはかけ離れてる。だから逃避するしかない。

 

都市生活をしてる人は休日に自然に触れに行ったりするけれど、それでリフレッシュやリラックスになるなら、それは生き物としての本来がそっちにあるからだよね。人間って本当に不思議。どうしてこんな生き方に進んだんだろう。もう少し遣り様はなかったのだろうか。

 

この人Adrián Berenguer、そんなに好きな曲が多いわけでもないんだけど、この2曲はとっても好きでずっと聴けちゃう。


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突撃 から 一時帰国の予定のこと 祖母のこと 音楽とか

2週間ほど前、ラウンダバウトで直進していた所、左から助手席のドアに突撃されてしまった。同じドアの内側の外れた部品を直した翌日に…

警察呼ぶのも面倒だし相手も非は認めていて、修理代は全額出すって言ってたから、電話番号だけ貰ったんだけど、本当なら相手の身分証明書や車のナンバーもちゃんと控えておくべきだった。相手若かったし、話してる感じ多分誠実だなって思ったから。

そして約束の日、連絡がないのでメッセージを送ってみると、2階から落ちて入院したからしばらく待って欲しいとのことだった。

逃げる気満々なんじゃないの?とか言われたけど、まぁでもねぇ、本当に怪我してたら可哀想だし。疑って怪我人に無理矢理直させるより、気遣いして逃げられる方がまだいいかなって思うし。

事故ってすぐ2階から落ちるか?っていう疑問には、そもそもあんな見通しの良いラウンダバウトで突撃してくるような人だよ?普段から注意散漫でもおかしくないと僕は思ったし、そういう人ならなお更責めるの可哀想と思う。

でもまぁ、入院したから少し待ってって言われてもう10日経つので、そろそろ連絡した方がいいのかな。うーん。まぁ気長にいこうかな(先送り癖)

 

来年の1月中旬に一時帰国することになりそう。一番嫌いな苦手なだし、1か月ぐらいだからあんまりゆっくりできないなぁ。祖母が脳梗塞の後激痩せしてしまったので、しっかり一緒に過ごしておかないとと思う。

仕事を辞めてから一気に悪くなったって言うけど、僕はお年寄りの多くはそうなるから何かしらお仕事は残した方がいいよって言ってたんだけどね。そんなこと誰も気にしてなかったし、体調が悪化してからほら見たことかなんて言えないし、そんな趣味の悪いこと言わないけどね。人はいつもそう。何かが起きてから気づくの。ただそれだけ。

ヒトっていう社会的な動物にとって役割を担うっていうのは大事なことで、それが家族のためであれ社会のためであれ好きなアイドルのためであれ、誰かや何かのためにっていうのは生きる意味になるんだよね。それは何も精神論的なことではなくて、ヒトっていう動物が繁殖機能を失った後もなぜこれだけ長く生きているのかという部分。不要とされた人たちが自ら死んでしまうのも一部同じ部分がある。と僕は思っていて。

定年後急に何もしなくなったり過度に保護されればボケたり幼児退行するのもある意味当たり前なのではないだろうか。社会的な役割、立場に伴う精神面を軽視しすぎだと思う。これは一面だけなので、例外だらけなのだけどね。働きバチだって群れのための仕事を終えて死ぬまでが織り込み済みなのだから。

 

母は祖母にボケが出てきてからの行動に戸惑いが多いようだ。トイレットペーパーを切って畳んで仕舞っておいたり。うんちを拭いた紙を流さずに汚物入れに入れたり。でもこれって子供の頃に戻ってるだけなんだよね。そりゃ同居してる家族は疲れるだろうけどね。僕はボケたら何をするんだろうか。徘徊はしそう。

僕も一応長男ではあるので、必要があったら帰って介護はするからとは言ってあるけど、日本でお仕事出来る気はしないんだよなぁ。精神が追いつかないね。

 

一時帰国したらデスクトップのパソコンがないからノートでどうにかしなきゃいけないのは面倒くさいな。古いの引っ張り出そうかな…まだ1か月半以上先の話だけど。

楽しみなのはさ、やっとKindle買えることかな。amazonが進出してないからこっちで買うと高いから、帰ったら買おうと思ってたのだけど前回の一時帰国では買えず。その時はipadがあったから良かったんだけど、それも壊れちゃってからずっと本があんまり読めてない。

もうすぐブラックフライデーのセールだから先に買って実家に送っとこうかな。

P.F.ドラッカーの傍観者の時代がとても読みたい。必要な本な気がする。

 

YouTube Musicから2024年のRecapがきた。2024年はまだ1か月以上ある気がするけど。

Sleepyってなんかちょっと良くないよね。君の曲はSleepyだ。なんて言ったら悪口じゃん。そんな眠たい曲ばっか聴いてるつもりもないんだけど。

僕にとっては音楽はペースメーカーなんだよね。こんな世界で暮らすなら欠かせないの。僕にとって心地よいペースで僕を包み込んでくれる音楽がなかったらすぐに狂っちゃいそう。

なんでみんな狂わないでいられるんだろう?狂う側の人としか話が合わない。狂う感性を大切にしろなんて、ニーチェみたいなことは言えないけどね。だって辛いもの。だからと言って、この世界で狂う側の人間が普通に飲み込まれれば、それはディストピアだろう。

 

これ、Ludovico Einaudiの新曲なのだけど、本当に大好きでずっと聴いてる。


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彼らしい音楽。Experienceはもっとメランコリックで、ある意味過去に縛られている感じだけど、この曲は人そのものって感じがする。生の力強さ、揺らぎ、そして躍動。

不協和もまた協和だったりするんだよね。見方の問題。全体を見れば、全ては調和しているのかもしれない。

不調 から アニメを観たこととか 傍観

調子がわりゅい。前回書いた腕が痛いから始まり、腰痛に移り、首が痛いに移り、鼻風邪でくしゃみが止まらなくなり、喉と咳に移り、また鼻風邪に戻って3日目。全部一度に来ないのは仕様なの?鼻炎持ちだから鼻粘膜が敏感になるとくしゃみが止まらなくなって大変。鼻水は垂れてくるしくしゃみし過ぎると頭ぼーっとして何もできないし…でもまぁ昨日よりは大分マシかなー。

 

Netflixがあるから最近アニメをいくつか観た。まずオンラインの友達に勧められて観たのがフリーレン。これは楽しく観れたな。記憶とか感情にフォーカスされてる部分があって面白かったし、旅っていうのも好きだし、キャラが落ち着いてるのが良かった。思い出を辿るって素敵だよね。

 

あとね、狼と香辛料のリメイク版。これは前のが好きだったから自分で観た。内容的には2期の最後の辺り以外あんまり変わってなかった気がするけど、やっぱり好きだな。旅はいいよね。素敵な道連れ。きれいな物語。僕物売るのとか絶対苦手なタイプなんだけど、行商とかキャラバンってわくわくするよね。まぁでも時代的なものかな。近世・近代の遠征ものとか大好きだから。

前の方が良かったとも、リメイクの方が良かったともならなくて平和だった。続きが楽しみ。

 

そういえばホロもフリーレンも人間と知り合っても先に死んじゃうこと、そのどうしようもない現実に対する諦めや寂しさみたいなのがあるんだよね。方やまた独りになる孤独の影に震えていて、方や当たり前のことと受け入れている違いはあるけど。僕はそれに自分の中にある、大切な存在を失うことに対する諦めや寂しさを重ねてるのかな。でもそのよくわからないシンパシーが癒しになるのは、両者ともにそれでも人間と付き合っていく部分があるからなのかもね。終わりがあるから美しいって、残酷だけど素敵。

 

あともう一個観たアニメは、知り合いとオンラインの友達が面白いって言ってたメイドインアビスっていうので、もうすぐ配信終了だったから観てみた。これはね、最初の1話で断念した。続けて観れば面白いのかもしれないけどなんかこう、得体のしれない気持ち悪さを感じちゃった。なんなんだろう。そこまでグロくもないし、怖くもないし、キャラも可愛いんだけど、なんか気持ち悪かった。ディスってるわけじゃないんだけどね。何が気持ち悪く感じたかは僕にもわからない。雰囲気というか、世界観に紛れ込んでる何かかな。何だろう。美しい作品って作る側の感性が意図せずとも自然と溶け込むじゃない?わくわく感とかもそうでしょ?この作品はなんかその溶け込んでるものが気持ち悪く感じちゃったんだと思う。個人的にね。そういう意味でabyssなの?わかんないけど。

 

アニメはこんな感じ。あ、あとあれ面白かった!タイトル忘れちゃったけどスポンジ・ボブのサンディが主役の映画。明るい気持ちになりたい時はカートゥーンがいいね。この映画は実写CGだけど。なんか途中サンディがムササビみたいになってたのは気になっちゃった。リスじゃなかったの?なんてスポンジ・ボブに思うのは馬鹿らしいことなのだろうけど。

 

アメリカの大統領選挙は大方の予想通りトランプが勝ったね。大きく流れが変わるけど、長く見れば繰り返す蛇行の一つに過ぎないのだろう。

多様性にしても不法移民にしても、政治が当事者以外に寛容であることを押し付ければ綻びが生まれるよね。いや、綻びどころじゃなく論点が挿げ替えられて争いの根幹になる。

優しさも寛容も、イデオロギー云々の前に先ずは余裕が必要なんだと思うの。人間って余裕がなければ、恐れや不安に緊張した状態では視野がとても狭まる。とても本能的に自我を群れに明け渡して、どちらかの側に帰属するでしょ。でもそうやって二つの流れがぶつかり合って、それが利用されているだけの間は、人々の中で認識の深度が深まることも、ましてや歩み寄ることもできないよね。分断の問題は表面しか見えなくなることなのだから。

なので知り合いでもリベラル寄りの人は落胆してたりするけど、僕はどちらかというと、必要なリセットの段階なんじゃないかなと思ってる。

 

劇薬的な表面的な変化とは別の深度での意識の変化っていうのは、一人一人の中でゆっくり時間をかけて、違いや融和の作用の中自然と起こっていくものだと思うから、社会を動かそうだなんて焦る必要もないと思うのだけどね。

まぁミクロで見れば、それじゃ間に合わない痛みがあるっていう言い分もわかるのだけど。でもさ、ミクロで見だしたら色んなミクロの中に色んな言い分があって、大体全部そうだなぁって思えちゃうんだよね。多面でばかり見るから。だからマクロに落ち着くの。マクロな見方が好きだからミクロを見ないんじゃなくて、色んなミクロが見えて疲れるからマクロで眺めていたいって部分もあるんだよね。傍観と無関心は別。

餅は餅屋に任せて、僕は綺麗に見える見え方を探している方がいいのかも。関わることで失われるニュートラルな立ち位置からの見え方っていうのもあるしね。

 

これ大好き。

youtu.be

この人はイギリスの音楽プロデューサーで、Arelius名義でアーティスト活動もしてるんだって。好きな曲がいっぱいある。

 


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これも好き。

好きな曲や絵を作ってくれるアーティストさんを見つけた時って、大きなお芋がいっぱい成ってるサツマイモの株を引き当てた時みたいな気分。小さい頃からお芋大好きなの。

おひさ!

おひさ!あんまり開けてなかった…

まぁ最近も相変わらずかなぁ…うーん、そんなに忙しくもないのに疲れてる。生きるって難しい。

 

紫金山アトラス彗星ずっと見たくてチャンスをうかがってたんだけど、ずっと雨か曇りで結局見られず仕舞。今日になってようやく夕陽も星も見える天気になった。最近見つかったC/2024 S1の方は今丁度近日点。数日後には見えるかな。こっちも結構明るくなりそうな感じらしい。

お天気は難しいね。

 

SNSを開いて時々ROMってはいるのだけど、Xのチクチク感はやっぱりすごい。自分のフィードに出てくる投稿の内容もだけど、コメントもなんかこう、反応させられてる人達って感じ。やっぱり対戦型SNSなんだろうな。嫌なところを突いてくるアルゴリズムが組まれててROM専でも不健康そう。携帯アプリはとっくに消してるけど、アカウントも消そうか迷う。SNS感は少ないけど平和なのはPinterestだよね。対話とかSNS上でしてもなぁって思うし。

人との対話って相手ごとに何を共有するかってなるけど、結局伝わらないことだらけの世界だから、対話をすればするほど虚しくなるような気がしてしまうんだよね。他愛もないことや馬鹿馬鹿しいことばかりを話せる仲の相手もいて、それはそれでとても有難いのだけど。

テレパシーには憧れるよね。人と通じ合えることもそうだけど、煩雑な言語化のようなプレセスもすっ飛ばせると尚良いな。感じたことや見聞きしたことが言葉を介さずにそのまま伝わるって素晴らしくない?でも結局他者は他者だから、テレパシーで伝えたことも違うように伝わっちゃうのかな。でもまぁ、そんな能力が発達するという時点で個体間が共有しているものも多いのだろうから、こんな人間のような深い井戸の奥底のような孤独は無いかもしれない。トンネルで繋がっているようなものだしね。憧れちゃうな。

孤独があるから人との時間を大切にできるって考え方もあるけど、この孤独は他の人と過ごしてても消えないんだよね。どんなに身近な人であっても。だからちょっと違う。強いて言うなら記憶だろうか。記憶の中にはその孤独の外側がある。無い物ねだりの幻想かもしれないけどね。

音楽だけかなぁ。この孤独を共有してくれるのは。だから音楽は優しい。

 

そういうものだと認めても辛さ、寒さは変わらないんだよね。むしろ直視する程きつくなる。じゃあなぜ認めようとするのか。うーん、抗う分の力は抜けるからかな。生き方の問題だよね。生きるって難しい。

 

なんか久々に腰が痛い。腰というか、歩くと左側の骨盤の内側が痛い。先週はストレッチの時に変な伸ばし方して左腕を痛めたのだけど、その影響なのかな。姿勢を正そうとすると痛いから変な姿勢で固まっちゃう。悪化しないといいけどなぁ。

 

もう2時半だよ…夜中は本当に平和だけど、すぐ過ぎちゃうんだよね。3~4時間寝てちょっと送迎して車の中で1時間寝て作業して少し車で寝てまた運転して帰ってお昼寝してみたいに睡眠時間合計7時間はキープしてるから多分大丈夫。というか僕は分割睡眠の方が合ってるのかもしれない。夜更かし好きだし。

元々人間も分割睡眠らしいしね。そりゃそうだよね。夜の方がやり易いことも沢山あるし。

でももう寝る!

 

これすごく好き。Evgeny Grinko大好きなんだけど、この人の新曲。


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ほんと好き。とっても優しい曲。短いんだけど何回も聴いちゃう。

 

来ない間に好きな曲いっぱい増えたんだけど、それは追々。

無気力 から あの人のこと 自己開示についてetc

うーん、The 無気力。IKIGAIとかって言葉がこっちにも入ってくるんだけど、なんだろうなぁ。生きている甲斐があるって。谷川俊太郎のあれが思い浮かぶけど、ああいうのでいいの?難しく捉え過ぎなのかな。生きているっていう事実、現状だけで、そこに幸せを見い出せってことなの?それが出来なくなるくらいには汚れてしまったからかな。なんか天秤があって、片方のお皿には今までの苦痛やら何やらが陣取ってしまっていて、ちょっとした嬉しかったこととかが右のお皿に乗ってもぴくりともしてくれない。そんな自分が嫌になったりもするわけだけど、別の自分がまぁしょうがないって取り繕う。

月曜日休みだからまだ連休中で、夜あの人のページを見ていたの。仲の良かった人が偲ぶために作ったページ。あの人、色んな人に愛されていたんだろうなぁって思えるのだけど、それでも苦痛から逃れられず追い詰められてしまったわけだよね。今思えば自分のことをあんまり語ろうとしない人だった。なんで僕と仲良くしてくれるんだろうと不思議だったし、でも僕は当時若いなりに通じ会える人なのは感じて分かっていて、ただのやり取りでもすごく安心感を貰っていた。死のうとしたわけじゃないのは分かる。苦痛から逃れようとして死んでしまったのか、苦痛に押しつぶされて死んでしまったのか、それはどうとでも捉えられるから別にいい。ただそこにはどうしようもない苦痛にあの人が苛まれている瞬間があって、孤独な中それをやり過ごそうとした瞬間があった。僕はその瞬間を知りもしないで。知ってたら救えたとか、そんな傲慢なことを言うつもりはないし、頼ってくれなかったことをどうこうってこともない。

たださ、その瞬間は、孤独や苦痛そのものではなく、それに苛まれる瞬間は共有できたはずなのに。結局、その種の共感による繋がりだったわけだから。そう、それは分かってた。あまり語ることはなくてもね。だからこそ、僕は知らなかったで済ませていい立場ではない。僕はあんなに肩を抱いてもらっていたのに、方や僕は何も出来なかった。実際に会ったことだってなかったし、歳も離れていたし、性別も違ったし、沢山のやり取りをしたわけでもないし、時間だってそんなに長い間ではなかった。でもこの喪失感は消えることがない。

好きな曲に悲しげなワルツが多いのに最近気付いたのだけど、それなんだと思う。

ワルツってさ、刹那的な2人だけの時間でしょ?外がどんなに理不尽で辛い世界でも、いや、そんな世界だからこそ、より相手との刹那に集中する。あの人とはそういう関係だった。だから過ごした時間とか関係ないのだろう。

通じ合ってたから心も許していたわけだし、何より、外の世界の辛さは共有していたんだよね。自分の内面も含めた、2人の外の世界。言い換えれば、内の世界では2人だけだった。片割れを失ったような喪失感はそのせいだと思う。相手しか見ない関係ってあるでしょ?

 

今でもこのこと、あの人の死のことを思うと波立つ。それを俯瞰しながら、今はどんな風に波立つんだろうってそのページを見ている自分に気付いて、なんか利用しているような気持ちが後ろめたくて見るのをやめた。そのことをちょこっと書こうと思ってただけなのに、いつの間にか波に飲まれていたらしい。でもなんだか、それが少し嬉しい。

 

指が書く文章はこういうのばっかりだね。魔性のページ。

楽しいことを書く気分ではなくなってしまったなぁ。そもそも楽しいことなんて書けるほどないのだけど。

旭川の女の子が自殺に追いやられた事件の話がまたちらほら見えるけど、自慰強要なんて有り得ない的な言葉を目にする度に、幸せな世界に生きてる人なんだなぁと思う。旭川が陰湿とかそんなことではなく、どこでも起き得ることだよ。ただ表沙汰になっただけ。それがこういう騒ぎ方になる世の中のいじめの認識が恐ろしい。

なんで楽しいことを書こうと思っててこっちに脱線してるんだろう。こんなことばっかり考えてるのかな。理不尽ばかり目に映るから楽しくないのだろうか。じゃあ目を逸らせばいいの?そうしたら多分その罪悪感に苛まれそう。だって目を逸らすってことは既に見えてるってことだからね。この世の不条理は前提みたいになってるしさ。

そして空が白み始め、鳥たちは新しい朝の訪れにさえずり…寝ゆ…

 

そして今は翌日の夜。いや、昼前には起きてたよ?

寝て起きたら気分も変わってるからこれアップするかどうか迷うんだよね。自分が何を吐き出したかなんて読み返す気すらないし。なんとなく覚えてるけど。最近は集中力が続かず一旦中断したりするから、こんな感じで下書きばかりが溜まっていく。

 

うーん、最近は雨が多い。雲はどんな雲も好きなんだけど、雨が降る前のドラマティックなまでにどんよりした雲は嫌いじゃないけど羨ましくなっちゃう。綺麗だなぁって感情がばーっと高まるのだけど、それと同時にいいなぁって思っちゃう。まぁ、雲を見てる時は、生きててよかったと思えるのかな。

 

自己開示もさ、伝えなきゃ伝わらないって言う人がいるけど、それは伝えれば伝わる人の理屈なんだよね。伝えても伝わらないのが9割以上な人にとってはリスクでしかないけど、この世では慣習やら何やらに従わないと生きられないから、当たり障りのない自分を作り上げてそっちを開示したりするんだよね。それに、開示して通じ合うっていうのが稀にあっても、それは開示する前に既にそれが分かってるって場合もあるでしょ。それは伝えたから通じ合ったんじゃなくて、通じ合ってるから伝えたってことじゃない?そもそも言葉なんかで伝えられる程度のことで通じ合えるわけがないのだから。なんて思っちゃうのは僕が言葉苦手人間だからだろうね。

 

まぁ通じ合えるっていうのは奇跡的なことだけど、深い部分で通じ合うことがなくても同じ時間を生きてくれる人っていうのは、また別の形での信頼や繋がりがあるんだろうなぁとも思う。そういう人たちに対してこそ感謝の気持ちを忘れずに生きたいですね。はい。

 

うーん、生きるってなんだろう。人間って(無限ループ)

意味なんてないと思いつつ、無意味にしたまま生きるには苦し過ぎるんだよね。

 

これ大好きでよく聴いてる!暗い部屋でぼーっとしながら聴くのにおすすめ!


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おひさ!2

おひさ!毎回おひさ化してる…もうタイトルこれでいいや。めんど

 

最近はねー、特に何もない日々を過ごしてるかなぁ。

相変わらず疲弊してる。生きてるだけで疲れるんだよなぁ。うーん。

まぁそんなこと書いても仕方ないんだけどね。でもそれ言ったら本当に書くことなくなるんだよね。なんかさぁ、何もかもが「まぁ仕方ない」って感じになってるから気力が湧かないのはあるかもしれないなぁ。

誰かのためとか何かのためとか、それが何であれ頑張れる人はすごいなぁと思う。頑張れる人、一生懸命な人って気力があるから頑張れるのかなと思ってたけど、頑張ってると生まれる気力もあるんだろうな。ほら、スタートが一番気力使うっていうでしょ。エアコンと一緒で。一緒でもないか。ゾンビみたいに日常をこなすのが精一杯だよ。

まぁ音楽聴けてるし、知り合いに誘われれば一緒にゲームやったりもできてるからそれでいいんだけどね。それでいいというか、それがあるから日常もなんとかなってるのか。

お出かけとかも前は時々してたけど、今は中々厳しい。想像するだけで面倒くささが勝っちゃう。モチベーションがね…ダメ人間まっしぐらよ…いや、元からじゃないっすか…

 

まぁ今は割り切って生きてるからなぁ。生きてるだけで偉いってことにしたいね。といいつつ、どういう顔をして生きたらいいかわからないというのもあって。一生苛まれるのかなぁ。まだこう、苛まれるって書いただけで受動的で被害者意識が浮いて見える感じがどこか許せない自分がいるんだよね。どうしたらいいんだろう。

色々こう、受け容れるとか、2つを統合してその外側の視点に立つってことをやってきたわけで、それが自分の標準になってからは確かにとても楽になったのね。でも結局根本で、今生きている自分を受け容れることが出来てないわけだ。でもこれって本当に難しい。複雑なんだけどさ、今生きていることを受け容れるためには起きたことを受け容れなきゃいけない。これがなぜ難しいのかって、単にトラウマを直視するのが辛いっていうのも勿論あるのだけど、そもそも僕が記憶を辿れるのがごく一部しかないっていうのがもっと大きい問題。解離。そもそもその時の僕が今の僕とはある意味で別の僕になってしまっていて、僕にはアクセス権限すらない。EMDRで落ち着いた記憶っていうのはごく一部の僕がアクセスできる側だし。厳密に言えばこっちに傾れ込んだ記憶。

まぁ、だから繋がっているようで繋がってない。それ以前の記憶とかは残ってるわけで、頭ではわかるんだけど、何かこう、自分というものが未だに釈然としない。しっくりこない。自分がいっぱいいてもいいじゃんと都度納得はするわけだけど、結局ここに戻ってくる。

皆何の疑いもなく僕を僕と見て接するけれど、その僕ってどれなんだろうって。今の僕はそもそも僕なんだろうか?って。確証が持てない。

 

例えば幼少期のトラウマを抱える人がいて、その記憶っていうのは消化して受け容れられれば今の自分の一部になるわけじゃない?そうすることで外側の反射的に拒絶していたものにそういう反応をしなくなる。それは置き忘れてきた自分を同化するようなもの。そう思えば、自分というものが丸いクッキーなら、欠けていた欠片が元に戻るのかもしれないという希望が持てる。

でもなんだろう、自分に当てはめると上手くいくイメージが出来ない。だって、今でこそ積み重なった記憶が膨らんでいるから大きく感じられるけど、このイメージに当てはめるなら僕は欠けている欠片の方なの。それもバラバラになっていくつかある欠片の数片。断片でしかない。バラバラになったクッキーは元通りに戻るの?分からない。他の大きな欠片がどこにあるかもわからない。

まぁ前ほどに悲壮感や絶望感はないけど、詰んでるとしか言いようがない。

 

だからさぁ、昔見たドラゴンボールを思い出して、神とかを吸収したピッコロってどんな感覚なんだろうって思ったりする。吸収したり大魔王から受け継いでる記憶や人格は中でどうなってるんだろう?意識下にちゃんと整合性取れる形で存在してるんだろうか。中が平和なら羨ましい。まぁフィクションだけど。

でも意識なんてそもそもフィクションみたいな幻想なんじゃないかって思うこともあるよね。はい、まぁいいから。このぐらいにしとこう。それにしてもこのモード久々だなぁ。

 

浄化に今週の収穫を貼っちゃう!


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この3つほんと好き!今週何十回も聴いた。

素敵な曲に出会えるのは本当に嬉しいね。僕は僕というものがしっくりこないと書いたけど、これはね、しっくりくる曲たちなの。だから安心する。

おひさ!

最近全然書いてなかった。この前は書き終わる前に忙しい期間に突入しちゃって、自分の中で賞味期限切れちゃったから。あと、この画面を前にしても以前ほどバーっと指が動かないっていうのはある。ある程度の膿は出切ったということなのだろうか。書いてみてても途中でまぁいいや…ってなりがち。ほっとするような「まぁいいや」ならいいんだけど、何かこう、あらゆる物事に対しての諦め的な感覚が浮かぶ「まぁいいや」だからこれってどうなんだろうなぁと思う。

一生懸命何かを変えようと戦う人や現状に抗う人、それに目標に向かって頑張る人なんかも、とても生きるための活力があると思うのだけど、僕はなんかそこまでしたくないってなっちゃうんだよね。言い換えれば、それらに自分の中で価値を見出すことができないってことだろうか。

そういうマインドセットだから活力がないのか、活力がないから結果的にこういう思考になるのか、その辺の順序はわかんないんだけど。

 

昔からさ、普通に生きてても意味を見失いがちだったのね。特に周りとは合わなかったから、結果的に自分なりの意味を探すことになって。今はそれが、そもそも意味なんて無いんだろうなって感覚で、じゃあ、意味は自分で見出すしかないんだろうなって考えるのだけど、そこで浮かぶ意味に見合う気力がないから「まぁいいや」ってなっちゃうんだよね。うーん…

色々受け容れてきたつもりなんだけど、方向性が違うんだろうか。前よりは遥かに楽なのだけど。

まぁ、生活が合ってないのはあるんだろうね。森の中ではあれだけ生き生きと生活出来るわけだから。お金稼いでそれと食べ物交換してもあんまり嬉しくないし。だからもっと新しい食材探し求めたり、調理法工夫したりするんだろうけど、そもそも自分で採ったものをその日に料理すればもっと美味しいんだよね。人間って難しいなぁ。

 

時々さ、部屋で寝転がって天井を見つめてると、ふと気づくと右手を上に伸ばしてる時があるの。なんかね、誰かが引っ張り上げてくれるような気がするんだよね。結局誰も手を掴んでくれることはないのだけど。疎外感甚だしいから、現実の外に助けや理解者を求めてるのだろうか。人間である以上しょうがないのだろうけど、ほんとこう、生きているだけでじわじわと酸に焼かれているような辛さは消えないんだよね。

この前こちらを訪れた人と夕食を共にしていた時ね、その人は鬱が酷いそうなのだけど、「社会の価値観と合わなすぎて生きるのが辛い」的なことをその人が言ってて、それに僕も同調したのね。その時に僕の口から「まぁ感覚が合うような人たちの多くはおかしくなってたり早く死んじゃってたりするでしょうしね」って出たの。

鬱が辛いって言ってる人の前で出す言葉としてはどうかとは思うけど、普段そういうことを口に出さない僕からそれが出たのは多分同じなにかを感じたからだと思う。自分でも、僕はそんなこと思ってたんだなぁって思って面白かった。でも実際そうなんだよね。だから生き長らえたことに今でもどこかで申し訳なさを抱いてる。

僕は他人と理解し合うことを諦めてるところがあって、この人とは通じ合うなって人でも30%くらい伝われば奇跡的だと思うのね。だって皆それぞれが別の環境を持った惑星のようなものだからね。話していること同じだって思っても、厳密には多分違うものを見てるのだろうし。だから理解者云々って言っても、すべてを理解し合える人を求めているとかではないと思うんだよね。多分気持ち悪いじゃん。認めて欲しいとかでもないと思う。ただ僕が見てる世界とか、ある程度わかった上でそれでいいと思ってくれる人なのかな。そもそも僕はそういうの殆ど外に出さないから、誰にも理解されないのは当然なんだけどね。でもさ、どうせ外に出しても伝わらないし、多分誤解されたりトラブルになるからそれはもっと嫌なんだと思う。

ってことはやっぱり本当はわかって欲しいっていう願望があるってことなんだろうな。

 

 

最近パソコンのサウンドカードを買い替えた。だいぶ前に買った古いの付けてたんだけど、サポート切れてるのを無理やり動作させてたから不具合も出てたし、臨時収入が入ったらちょっと良いのにした。

結構いい感じ。前よりも聴こえる音が増えてるし、ソフトウェアのイコライザも使いやすい。不満は一点だけで、最小の音が大きすぎちゃってボリュームが小さいレンジでの微調整が出来ないってことだけ。微かに音楽流したり、別窓の音を小さく流したいって時にちょっと不便。でもほぼ大満足。大切な逃避先である音楽は大事だしね。

 

 

全然関係ないんだけど、この前までうちに来ていた人が、僕がディスプレイサイズに比して解像度を下げて画面小さくして使ってるのを見て親切にも直してくれたの。僕がディスプレイ解像度の設定知らないと思ったみたい。

目が痛くなるから小さくして範囲表示範囲狭めてるだけなんだけどね。

 

でも何ていうか、こうやって得意気に教えて下さる人には「そんなの知ってるよ…」なんて言えないんだよね。だってすごい嬉しそうに教えてくれるんだもん。無知だと見下してくれても別になんともないのだけど、知らない振りして教えてもらって帰った後元の設定に戻すという不毛なプロセスを勝手に一人で被ってしまうのがなんかなぁって感じ。

おまけにキャッシュの減らし方とかメモリの仕組みとか教えてくれてとっても有難かったですね(棒)でもこういう人ってそうやって人を自分より下に見て教えてあげてる時が一番機嫌いいからなぁ。下手に僕のほうが知ってる素振りなんか見せたら変に拗らせてる部分刺激しちゃって面倒くさくなったりするし。どのみち面倒くさいんだけど…

なんて書いてるけど向こうも僕のこと面倒くさいと思ってるかもしれないし、やっぱり人間って面倒くさい生き物なのかな。

 

今夜もAnno 1800に逃避しよう… 今日はアシエンダでカカオと肥料増産するんだ…現実でもカカオ高騰してるらしいしね。

Anno 1800ほんと好き。時代も大好きな時代だし、音楽もとても良いし、景色もきれいだし、ワクワクするし楽しいし、出来ることいっぱい。何よりスタッフの愛を感じる。

みんなもやろう?(宣伝)


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それでは新世界で!