感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

どうしようもない寒さ 享楽 味わうこと 新居昭乃『フィンブルの冬』 坂本真綾『奇跡の海』

僕にとって寒さには特別な何かがある。

冬が苦手なのはトラウマやら空気やら色んな要素があるけれど、単純にこの寒さが苦手なのもあるのだろう。

芯を突き抜けるような、内側から凍りつくような寒さに、死がちらつくような本能的な不安が呼び起こされるのだけど、それがトラウマともぐちゃぐちゃになった配線のように結びついていて、結局何に反応しているのかよくわからなかったりもする。

 

孤独感もそう。孤独自体が辛いわけではない。芯からの寒さに繋がるから辛いのであって、その寒さがどうしようもなく耐え難い時があって、その感覚には色々繋がるものがあるのに何故かこれだけは直視できないから怖いんだと思う。真っ暗な新月の夜に深さが分からない海辺に立った時の気持ち。

 

今は少しずつそれを深めている。そんな気がしてるのだけど、一つ突き抜けるには何かが足りない。本当に足りないのか、気づきたくないのかわからないけど。

 

寒さ。芯から凍てつくような寒さ。吹き抜けていく寒さ。どうしようもない中に取り残された感じ、胸の奥の寒さ。誰もいない。

誰もいないが出るからやっぱりこれが孤独と結びつくのか、そもそも孤独感がこの感覚と似ているから繋がるだけなのか。

でも孤独感が悪いものだとは思わない。孤独感は見える世界に色彩の深みを与えてくれたし、それは今も深まっている。それはかけがえのないもの。孤独を噛みしめることに理由付けをするなら、僕にとってはそれだろうか。僕は紺色の世界が好きだから。それは微妙なバランスの上で成り立ってる。本当は在るがままなはずなのに。

 

そう、だから孤独は好き。好きだからこそ、慣れて寒さを感じなくなるのではなく噛みしめたい。それは味わうこと。ほのかな香りや風味の織り成すハーモニーも感知して、そこに浮かぶ情景を追い求めようと、しっかり集中してそのものを味わうこと。

だからそのものを味わってそれが生む何かを見るには敏感さも大事だし、集中することも大事だし、イマジネーションも必要。それを記憶や感情を通してやっていると考えればとてもしっくりくる。

 

さっきね、何の番組か知らないけど、夕飯の後に居間でついていたテレビで、趣味が見つからない棋士の人がどうのっていうのがやってて、『享楽』っていう言葉が出てた。そしてその人はすでに自分にとっての享楽に出会っていたとも。

僕も趣味が見つからないのを気にしていたからなんとなく見ていたのだけど、僕にとってはこれが享楽なのかもしれない。味わうということ。味や匂いという物質に限らず。

 

僕もこの棋士の人みたいに、趣味って何かに繋がらなきゃいけないと思っていたけど、別に目に見える形で何かに繋がらなくてもいいんだよね。

例えば何かを味わってより深く感じることは、より深みのある色彩で世界を見ることに繋がるのだから、自然と生んでいるものがあるとも言える。だからそれが楽しみになって連鎖的に続いているのかもしれない。

じゃあ趣味は何かを味わうことって言ってもいいのかな。でも趣味っていうとなんか違うんだよね。だから趣味が見つからなかったけど、趣味である必要がなかったということなのか。

 

これは一つ、大きな収穫な気がする。なんかこう、感情を味わうこととかってある種のツールだと思っていたけど、それ自体が好きってことでもいいのではないか。ってなるとなんか「ツールとして使うだけでなくていい」っていう感覚が無限の広がりを生んでくれるようで、それがなんだか嬉しくて楽しいから、やっぱり僕はこれが好きなんだと明確に思えた。

 

今、この手を付けられなかった、『どうしようもない寒さ』という自分の中にある感覚に手を付けたいって何かに衝き動かされかけているのも、その延長な気もしている。肯定的に捉えられるから、これだけ大きなものだから苦痛が大きい分得るものも大きいとどこかで分かっているから、そのわくわく感に衝き動かされる。怖いけど触れたいというのはそういうことだと思う。正に"In to the unknown"って感じ。

 

でもどうしたらいいのだろう。寒さが耐え難いのは現実であって…

 

そういえばこの前の新居昭乃さんのライブ、『フィンブルの冬』には絶対行きたいなって思ったのもその耐え難い寒さからでもあるの。イメージがとても今求めているものにピッタリだったし、行かなきゃって思った。

とっても素敵な時間だったし、何か必要なものをもらった気がする。

何より内容から感じたのは、厳しい冬の寒さでも、雪の下には春を待ち忍び耐える草木がいて、寒さの訪れは緑の芽吹きに必要なものでもあるっていう思ったよりも明るい印象だった。絶望の訪れに見るその先の希望の予感みたいな。

 

曲も好きな曲ばっかりだった。聴けると思ってなかったノルブリンカのライブ版もとっても良かったし、ガレキの楽園もライブで聴けて良かった。

好きな人の生む空間に包まれるってとても心地よくて、全身の力は抜けるのに胸の奥はこう、奥までその世界に歓喜している感じだった。ライブイメージのアートボードも惹かれていたから、買ってお部屋に飾ったの。何かを引き出してくれそうな絵。

 

この曲ね


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昭乃さんがカバーしたものがあって、そっちがライブでも流れたのだけど、とっても好き。

苦しみの海へ向かう理由は数あるのだろうけど、そこに人間らしさや生き物らしさのような温かさを感じる。

どうしようもない寒さに触れたいっていうのも、ここに繋がる。

ある意味勇敢で、ある意味無駄なエネルギー。でも、だからこそなのかも。

 

 

それにしても今夜は寒いな。一人でも多く無事に冬を越えられますように。

寒さに凍えるのは辛いから。