感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

寒さ から 節目 進む弱体化 孤独感 ”ヘミソフィア”

うーん、きつい。

一個抜けて少しすっきりしたかと思ったらもっと寒い所に出てしまった。

この寒さ。避けてきた寒さ。気になっていた寒さ。死に意識が向く寒さ。

節目、確かに節目だけど…

 

いつからだろう、ずっと寒がりだった。

単に寒さに弱いとか、周りより寒さを感じ易いとか、そんな風に思ってた。

オーバーなんじゃないかとか言われたりもしたけど、本当に寒さには耐えられない。外側の寒気から一気に奥底の寒さが来る。それが本当に、凍死するんじゃないかと思うほど寒い。凍えるって言葉があった。それに近い。実際なら歯がガタガタする感じの寒気を感じるんだけど、歯のガタガタは来ない。ウイルス感染の時の悪寒は歯がガタガタしたけど。歯のガタガタがない以外は本当に凍える感覚に近い。

日本の冬はトラウマがあるから避けるのもあるけど、普通に寒さから逃げてる部分もある。

 

今日は雨が降ってるからそれで冷えたのかなと思って重ね着してみたら暑かった。薄いロンTを重ね着して暑さを感じてると寒さは紛れるけど、普通に暑くて汗をかいてくる。それでロンTを脱ぐと風が当たってる部分から中心に吹き抜けるように、そして奥から芯を通って全身に走るような寒気が来る。自律神経がおかしいのかなとも思ったけどそういうわけじゃないみたい。

それが孤独感やらなにやらと凄く結びついてどうしようもない寒さになる。

 

孤独感。自分が深まるにつれてその寒さが単なる寒さではないことを意識するようになっていった。孤独の寒さにも近い。だから10代の頃から酒井法子の碧いうさぎに感情移入してきたし、多分今も聴けばする。でも今は怖くて聴けない。

 

本当にどうしようもないから小雨の中夜風に当たってきた。こういう時はその感覚に集中できないと余計に辛い。家に居ると気が散ってだめだった。それこそ気が狂いそうになる。もう十分狂ってるとか横から言わないで。

風自体はそこまで寒くない。多分普通の感覚なら肌寒いとも思わないくらい。でもその風が吹き抜けると芯から凍えそうになる。深呼吸をすると風自体はまたあまり冷たくなくなる。

歩いていて浮かぶのはただ広い世界。暗くはない。そこをただ歩いている。見渡す限り誰も居ない。誰も感じられない。何だろうこれ。

暗くないから見渡せてしまって、その分独りが強調される感じ。

 

孤独には耐性はある方だと思うんだけど、それも段々弱くなってきた。

色んなものを脱ぎ捨てる内に色んな耐性もどんどん剥がれ落ちてる気がする。認める度に弱くなっていく。当たり前の話だ。だから泣くことができないのが余計に辛くなっていくし、凍える時間も増えていく。

 

これでいいのだろうか?とも思う。これじゃ普通に生きられなくなるんじゃないかって不安にもなる。普通?ふざけてるの?今はいいから。

ほら、最近出て来なかったのも出てくる。さっきから一々茶々入れてくるのも居るし。でもちょっと嬉しい。まだ居たんだ。

 

はい。

弱体化。どんどん弱くなってる自覚があるんだけど、でも逆戻りも出来ないしするつもりもない。変な話途中でだめになっても、壊れても、そこで朽ち果てても、行けるところまで行くしかないと思う。何に意味を見出してるのかすら分からないけど。

 

それでこう、この寒さの心当たりはやっぱり昨日スッキリしたことなんだよね。一旦終了とか書いておいてあれだけど。いや、終わったからなの。あの感覚をアルバムの片隅に仕舞ったと思っているんだけど、だからだと思う。ある意味、というかあらゆる意味で支えてくれてた感覚を、今はもう大丈夫だからって仕舞ってしまった。さっきの言葉を使えば脱いだ。そうしなきゃ次に進まないと思ったから。

だから寒いんだと思う。だから前よりも広い場所で、前よりも寒くて、前よりも独り。

いくらそうじゃないと思おうとしても。

 

これが思い込みかどうかは知らないけど、一回脱いじゃったら着れないし、進んじゃったら引き返せない。

きついけど、これが悪いことだとも思っていない。落ち込みながらも楽観視してる。

この寒さの感覚がずっと気になっていたから。そっちを意識する順、その段階が来たということだろう。

だから味わうしかない。見つけるために。

何を求めているのか、何を伝えようとしているのか、何をさせようとしているのか、何を思わせようとしているのか、何を想い起させようとしているのか。

水が澄み穏やかになれば見える時が来ると思う。

 

ずっとそうだった。だから今回もそうだと経験の積み重ねによる無根拠な楽観を信じるしかない。

 

自分が近づく度にどんどん耐性が無くなって弱くなっていく。何か間違っているのではないかと不安にもなるけど、でも確かに、前よりも生き辛いけど生きやすい。矛盾は解けてきた。膿や狂気と共にその辛さも薄まっていった。

自分が自分でない辛さは、自分は自分という生きやすさの中から出てくる、自分なりという辛さに置き換わっていく。でもこれはいつまで続くのだろう?終わりはあるの?安息を求めるあまり安息に手が届かない自分を演じてるの?

 

今回は表情に出るらしく、今日も何度も具合が悪いのかと心配された。話す意味もないからただ取り繕う。元気を装うことにも疲れる。

 

 

あとこれさ、僕が中学校ぐらいの時のアニメなんだけど、この曲大好きなんだよね。


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当時はこのアニメ見てなくて、20代になって観たのかな。ストーリーとか雰囲気も好きだよ。曲を好きになってそこから作品に入る、僕によくあるパターン。

全体的には神秘的で儚いんだけど、色々な感情や気持ちのようなものを記憶やアニマ、投影のような繊細な心理描写を運命や意志、不条理や愛情のような土台の上で表現していたりもしていて、独特の美しさがあると思う。なにより迷子には刺さりまくるアニメだと思う。それが取っつき辛いとか難解って言われてるから人には中々お勧めできないけど。頭で分かろうとしなければいい。

また観ようかな…

 

それでこの曲が今朝頭に浮かんで、今日多分100回は聴いた。車の中でも仕事中も散歩中もずっと聴いてたから。

この前は別の曲だったけど、なんだろう、こういう何かに引っかかってる時ってどこかで、多分反応する感情がリンクする曲を聴いてる。

 

2:36からのサビっていうの?ここの歌詞に凄く反応する。

遠い昔 何処から来たの
遠い未来に何処へ行くの
知らないまま投げ出され 気づく
前に時は終わるの
始まりの荒野を独り
もう歩き出してるらしい
僕は灰になるまで僕で在り続けたい

 

今日一日中聴いてるのに集中して聴くとやっぱり泣きそうになる。そこで泣ければ楽なんだろうけど、やっぱり力が入っちゃう。多分こういう時は眉間にしわが寄って歯を食いしばって、泣くのを我慢してる子供みたいな顔になってる。

この~なの?~なの?って何でも知りたがる子供っぽいのって僕の中にも居るんだよね。結構中心に。それが重なるのかな。

ずっと迷子やってるけど生まれてから今までの感覚ってこんな感じなんだよね。どこから来たのかもどこへ行くのかも分からなければ、それが何れ分かるという確証もない。切ないね。

『荒野』って言葉も好き。東京砂漠とか好きだし。『独り』は今特に意識させられてるし、『歩き出してる』も、何で歩いてるんだろう?人は何で歩くんだろう?って同じ道を散歩しながらよく思う。それに、歩き出してるってことはさ、終わるまで止まれないんだよね。立ち止まりはするけど。

最後の部分はまぁ…

 

二番?のこれも凄く重なる。

ヒトは歩き続けて行く
ただ生きてゆくために

この虚無感。どこか希望も見え隠れするけれど。

 

あとは経験のタトゥーとかもそうだけど、『深い大きな何処か』が直線的に重なるかな。深いって好きだよね。深く深く、奥へ奥へ。一体君は何を目指しているの?

一番最後の『僕は僕のことが知りたい』も切実すぎるんだよなぁ。

 

もう人生の半分はとっくに生きたと思うけどさ、やっぱりこの曲、好き以上に好きだなぁ。歌詞や坂本さんの歌い方も好きなんだけど、作曲菅野さんなんだね。調和してる。

でもなんでhemisphereなんだろう?半球の存在はもう片方の半球、そして球があったことを示すから?対極?影?不完全?片割れ?シンメトリー?切望?

 

それにしても4日間に3回も更新したのっていつぶりだろう?

しかも公開するボタンをクリックするくらいにまとまって出てくるって。最近は気になること少し書いて下書きポイってパターンが多かったのに。

排出。燻ってる?アウトプットが必要なのかな。それだけ内側が動いてる。ぐちゃぐちゃしてる。だから色々出てきてる。何人も。自分が何人居ても寒さは変わらないや。うぅ。