感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

善悪の括りと僕の反射的反応 マサル会議的内戦

なんかこう、今朝書いた文章からいろいろ頭に浮かんでいて溜まってるものが噴き出しそう。今朝書いたことすらあんまり覚えていないのに。

あ、初の同日2回更新かも知れない。どうでもいいけど。

 

 

善悪という括り、それを当てはめられる状況になると、僕は自分の考えに関係なく悪側に在りたいという衝動が生まれる。

軽蔑されたい、否定されたいという破壊衝動なのかと思うくらい、単純な反射的反応。

 

前提として僕はその括り自体は唾棄すべきと言いたくなるぐらい嫌い。何故そうやって単純に分けようとするのかわからないし、そこに自分を当て嵌め、他人を当て嵌め、優越感に浸ろうとするのかわからない。

単純に善悪と言わなくても、それが透いて見えるものは全て嫌い。

 

他人のことを自分の基準に当て嵌めて『大人ではない』という人がいる。そこには大人と子供の明確な基準が設けられていて、大人側が善になっている。どうしてそういう思考になるのか分からない。でも僕はその思考が気に入らないから『子供で在りたい』という態度にならざるを得ない。その基準を満たす者が大人なら、そしてその基準で他人を評価する態度が大人なら、僕にとって大人に価値はなくなる。大人という言葉自体がその性質を帯びるまでになっているから大人である事実すら放棄したい。

 

中二病とかそういうマウントの手垢に塗れた言葉があるし、子供部屋おじさんというマウントの中で生まれた言葉もある。そこには明確な善悪が透いて見えるから、僕は中二病にならなくてはいけなくなるし、実家で子供部屋暮らししたいとも思ってしまう。

この天邪鬼気質は小学生の時からだった。だって気に入らないんだもん。

 

自分の軸があるんだよと褒められたこともあるけれど、そんな大それたものでは決してない。先にも書いたように単なる反射的な反応。

「大人の言うことを素直に聞かない子供が、ささやかな抵抗をして大人を困らせてやった時に見せる満足と悪意の滴る笑み」僕の内側にあるのはこれ。

だって善悪がある中では善を選ばなければならない空気があるから。空気で主体性を奪おうとするのに本当に腹が立つの。

でもその善悪の括り、その善悪の枠を振りかざす人たちはその善悪でしか物事を捉えようとしない。同じ土俵に立つ気がなくても強制的に立たされる。なら悪を選ぶしかないよね?そうしなければ従ったことになってしまうもの。

その場においては、その瞬間は『僕の本当の考え<彼らの希望に沿わない』という行動原理が働いて、僕は自分の考えや価値観を否定してでも期待されない方になることを優先してしまう。従ったら負けという強迫観念があるのかもしれない。

 

でも待って。

単純な反射的反応。それは善悪という括りがあまりに単純であまりに短絡的であまりに表面的であまりに強制的だから、僕の反応も単純化しているだけではないか。定石化してしちゃってるんだよ。だっていつも同じなんだもん。どちらがニワトリでどちらが卵なのか、それすら分からなくなるくらいに。

 

善悪の括りで考えそれを押し付ける人は、より深い、より難解な問いを与えてくれることがない。深く考える必要がないから単なる反射的反応で済んでしまう。その問いを与えてくれるなら僕はより自分を深められるかもしれないのに、それは起こりえない。

それは何故かといえば、その部分において問いは存在しないから。問いが存在してはならないから。そういう問いが出てきた時点でその概念では捉えきれなくなる。そのものが誤謬になるから。概念の中の善なる自分の存在が。

宗教なんだよ。宗教は関係ないけど宗教。妄信とその暴力。だから疑問もなく当て嵌め、強制する。天使が自分が天使であることを確認するために悪魔を卑下する。

善く在ることを押し付けるのは自分が善い側に居るためでしょ?そんな自分を認めるためだけに他人を蹴落とすんでしょ?だから堕天使は現れるんじゃないの?

 

こんなこと言ってしまってごめんねって思う。まじめな宗教家さんに対しては。他に対しては謝らない。ベーっだ!

死ねって言っちゃいけない?何で?死ね!

やっぱりこれは違うと思う。でもこのくらい冷静さを失って反対をやりたくなるの。それは『彼らの反対』がいつも僕にとっては正しかったから。だからといってそれに身を任せるのも違う。それはいくらでも見てきてる。

 

僕を褒める?『悪い』言葉を撤回したから褒める?違う。僕は僕の基準で違うと思ったから撤回しただけ。君達に従ったわけじゃない。それも「善の導きが」「内なる善が」とでも言うのなら椅子を投げつけてやる。

 

誰がこんなウイルスを僕の中にインストールしたの?

エラー吐きまくりなんだよ。

僕の中はこういう呵責でいつも内戦状態。どっちが勝っても辛い。どちらも負けたがらないのに、相容れることはあり得ない。片方が降伏寸前まで追い込まれても民間防衛さながら地下に潜ってプロパガンダと闘って。どっちも自分だからその状態が辛いのに、いっそ片方が降伏してしまえば楽になるかも知れないのに、それができない。

 

誰と闘ってるか。それはいつも自分。自分の中に居る彼ら。

僕を構成する僕たちはマサル会議のようにみんなで話し合って答えを出すことが出来ない。相手の話を聞きたがらないどころかみんな武装していて殺し合おうとする。だから内戦状態なんだよ。

何で急にマサルさんを思い出したんだろう 笑 懐かしい。なんだか急に、何かに腹を立てていた自分が消えてしまった。時々人格が変わる気がする。記憶だけ連続している感じ。

 

ともかく、善悪の概念も僕の中にあるから、降伏してくれないから苦しい。それだけ。

もういいや。今日の所はこのくらいにしといてやる!決着は必ずつけるからな!

また出てきた 笑 もういいよ。あーすっきりした。した?本当に?もういいよ。