うーん、The 無気力。IKIGAIとかって言葉がこっちにも入ってくるんだけど、なんだろうなぁ。生きている甲斐があるって。谷川俊太郎のあれが思い浮かぶけど、ああいうのでいいの?難しく捉え過ぎなのかな。生きているっていう事実、現状だけで、そこに幸せを見い出せってことなの?それが出来なくなるくらいには汚れてしまったからかな。なんか天秤があって、片方のお皿には今までの苦痛やら何やらが陣取ってしまっていて、ちょっとした嬉しかったこととかが右のお皿に乗ってもぴくりともしてくれない。そんな自分が嫌になったりもするわけだけど、別の自分がまぁしょうがないって取り繕う。
月曜日休みだからまだ連休中で、夜あの人のページを見ていたの。仲の良かった人が偲ぶために作ったページ。あの人、色んな人に愛されていたんだろうなぁって思えるのだけど、それでも苦痛から逃れられず追い詰められてしまったわけだよね。今思えば自分のことをあんまり語ろうとしない人だった。なんで僕と仲良くしてくれるんだろうと不思議だったし、でも僕は当時若いなりに通じ会える人なのは感じて分かっていて、ただのやり取りでもすごく安心感を貰っていた。死のうとしたわけじゃないのは分かる。苦痛から逃れようとして死んでしまったのか、苦痛に押しつぶされて死んでしまったのか、それはどうとでも捉えられるから別にいい。ただそこにはどうしようもない苦痛にあの人が苛まれている瞬間があって、孤独な中それをやり過ごそうとした瞬間があった。僕はその瞬間を知りもしないで。知ってたら救えたとか、そんな傲慢なことを言うつもりはないし、頼ってくれなかったことをどうこうってこともない。
たださ、その瞬間は、孤独や苦痛そのものではなく、それに苛まれる瞬間は共有できたはずなのに。結局、その種の共感による繋がりだったわけだから。そう、それは分かってた。あまり語ることはなくてもね。だからこそ、僕は知らなかったで済ませていい立場ではない。僕はあんなに肩を抱いてもらっていたのに、方や僕は何も出来なかった。実際に会ったことだってなかったし、歳も離れていたし、性別も違ったし、沢山のやり取りをしたわけでもないし、時間だってそんなに長い間ではなかった。でもこの喪失感は消えることがない。
好きな曲に悲しげなワルツが多いのに最近気付いたのだけど、それなんだと思う。
ワルツってさ、刹那的な2人だけの時間でしょ?外がどんなに理不尽で辛い世界でも、いや、そんな世界だからこそ、より相手との刹那に集中する。あの人とはそういう関係だった。だから過ごした時間とか関係ないのだろう。
通じ合ってたから心も許していたわけだし、何より、外の世界の辛さは共有していたんだよね。自分の内面も含めた、2人の外の世界。言い換えれば、内の世界では2人だけだった。片割れを失ったような喪失感はそのせいだと思う。相手しか見ない関係ってあるでしょ?
今でもこのこと、あの人の死のことを思うと波立つ。それを俯瞰しながら、今はどんな風に波立つんだろうってそのページを見ている自分に気付いて、なんか利用しているような気持ちが後ろめたくて見るのをやめた。そのことをちょこっと書こうと思ってただけなのに、いつの間にか波に飲まれていたらしい。でもなんだか、それが少し嬉しい。
指が書く文章はこういうのばっかりだね。魔性のページ。
楽しいことを書く気分ではなくなってしまったなぁ。そもそも楽しいことなんて書けるほどないのだけど。
旭川の女の子が自殺に追いやられた事件の話がまたちらほら見えるけど、自慰強要なんて有り得ない的な言葉を目にする度に、幸せな世界に生きてる人なんだなぁと思う。旭川が陰湿とかそんなことではなく、どこでも起き得ることだよ。ただ表沙汰になっただけ。それがこういう騒ぎ方になる世の中のいじめの認識が恐ろしい。
なんで楽しいことを書こうと思っててこっちに脱線してるんだろう。こんなことばっかり考えてるのかな。理不尽ばかり目に映るから楽しくないのだろうか。じゃあ目を逸らせばいいの?そうしたら多分その罪悪感に苛まれそう。だって目を逸らすってことは既に見えてるってことだからね。この世の不条理は前提みたいになってるしさ。
そして空が白み始め、鳥たちは新しい朝の訪れにさえずり…寝ゆ…
そして今は翌日の夜。いや、昼前には起きてたよ?
寝て起きたら気分も変わってるからこれアップするかどうか迷うんだよね。自分が何を吐き出したかなんて読み返す気すらないし。なんとなく覚えてるけど。最近は集中力が続かず一旦中断したりするから、こんな感じで下書きばかりが溜まっていく。
うーん、最近は雨が多い。雲はどんな雲も好きなんだけど、雨が降る前のドラマティックなまでにどんよりした雲は嫌いじゃないけど羨ましくなっちゃう。綺麗だなぁって感情がばーっと高まるのだけど、それと同時にいいなぁって思っちゃう。まぁ、雲を見てる時は、生きててよかったと思えるのかな。
自己開示もさ、伝えなきゃ伝わらないって言う人がいるけど、それは伝えれば伝わる人の理屈なんだよね。伝えても伝わらないのが9割以上な人にとってはリスクでしかないけど、この世では慣習やら何やらに従わないと生きられないから、当たり障りのない自分を作り上げてそっちを開示したりするんだよね。それに、開示して通じ合うっていうのが稀にあっても、それは開示する前に既にそれが分かってるって場合もあるでしょ。それは伝えたから通じ合ったんじゃなくて、通じ合ってるから伝えたってことじゃない?そもそも言葉なんかで伝えられる程度のことで通じ合えるわけがないのだから。なんて思っちゃうのは僕が言葉苦手人間だからだろうね。
まぁ通じ合えるっていうのは奇跡的なことだけど、深い部分で通じ合うことがなくても同じ時間を生きてくれる人っていうのは、また別の形での信頼や繋がりがあるんだろうなぁとも思う。そういう人たちに対してこそ感謝の気持ちを忘れずに生きたいですね。はい。
うーん、生きるってなんだろう。人間って(無限ループ)
意味なんてないと思いつつ、無意味にしたまま生きるには苦し過ぎるんだよね。
これ大好きでよく聴いてる!暗い部屋でぼーっとしながら聴くのにおすすめ!