感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

副反応 別ブログのこと お蕎麦とメランコリー 気力不足か興味減退か "Stories from the Sky" Sid Acharya

副反応って言葉気持ち悪い(唐突)

ワクチンを打って私の身体が起こす副次的な反応って意味なのだろうけど、それって身体にとっては異物に対する主的な反応の一つでしかないのではないか。

言葉の主体を意図的に薬剤じゃなくて打つ側の私に持って行ってるのに、主副が別のところにかかってる感じ。回りくどい上に捻れていて口八丁な感じがする。ある意味信用にかかわる問題だと思う。

Major side effect的な予測出来てる主要な副作用に対してよく使われてるから主要副作用=副反応的な感覚もある。もうなんかよくわからない。

 

それに比べて主作用・副作用はシンプルだ。主体は薬剤。それが人体に起こし得る主副の作用。

人によって作用が違うのは主作用副作用でも前提としてあるのに、なんでわざわざ反応という言葉を使うのだろう。

ヘリ搭載型護衛艦とか特科とか支援戦闘機的なあれなのかとも思ったけど、副作用はもともと使われてる言葉だからただ濁したいだけ的な?

 

なんでこんなしょうもないイメージ戦略に出るのだろう。と思うのだけど、それなりに浸透しているようで(この前書いた知人もバンバン使ってる)やっぱり効果はあるのだろう。

薬剤に対する不安を和らげるだけでなく、反応したのが自分の身体だという意識を生むのなら普及啓発する方にとっては一石二鳥だよね。やり方が真摯じゃないせいか僕は嫌いだけど。

 

ミーハーな人(その知人は自称ミーハー)は社会との感情的な結束が強いだけでなく牽引する役割も担ってるように見える。だから宣伝にしても何にしても何かとここが狙われ、その人達の揺れが起こす影響が自分の所まで波及してくる度に僕はなんなんだよって思っちゃうんだけど、こういうのは一つの構造というか、機関として見てみると面白かったりもする。とても素直なのだ。そう思うと羨ましくもあり、気持ち悪くもある。

 

いつもそう、この憧れと嫌悪。なんなんだろう。素直になりたい自分とああはなりたくないという自分がいつも浮かぶ。

ディストピアものが好きなのはそういうとこなんだよなぁ。

 

まぁ色々書いたけどやっぱり副反応は言語的におかしいと思う。定着してしまえばそうでもないのかもしれないけど、最後まで抵抗するからな!

そんなんだからいまだに携帯とか言っちゃうんだぞ?別に気にしてないもん!べーだ!

 

はい。

 

あと何書こうかな。

取りあえず忙しいのは通り過ぎたから今週はゆっくり過ごしたい。

もう一つ放置してしまってるブログがあるんだけど、そこのあり方をちょっと考えたい。本人が特定出来るブログだからペルソナに振り回されてうまく書けなかった(だからここと住み分けしてた)のだけど、少しずつ双方の自分を混ぜ込む必要がある段階なのかもしれない。それに前ほどの抵抗を感じないどころか価値を見るから、やっぱり人は変わるもんだなぁと思うのでした。

だってさ、僕の仮面を見て知り合った人と関係を続けるのは辛いけど、素顔ではないにせよその成分を見てなお繋がれるような人とならお互いに学びがあるような気がするじゃん?じゃあ自分から見せるしかないのかなぁと思った。それ見て離れていくような人には離れてもらった方がお互いのためだろうしね。

 

ここはまだまだ僕にとって必要だし閉じる気はないけど、究極的にはここは必要なくなればって以前書いたのはそういう意味だったんだなぁとしみじみ。

 

はい。

 

今日はお蕎麦を食べた。スーパーで日清フーズの信州そば乾麺が売ってたから買ったの。それなりに高いんだけどたまにはいいかなって。超久々のお蕎麦。2年以上ぶりですよ。そうめん系とかうどん系は中華にもあるけどお蕎麦は無いからね。

それなりに小麦粉も混ざってると思うけどやっぱりお蕎麦だぜ、てやんでい!って感じ。

それはともかく、最初の一口目、美味しいと思ったと共に何を思ったと思う?

「これにとろろがあったらなぁ」だよ。長いも系は売ってないんだよなぁ。僕は大和いもが好き。あの白いとろろの触感とつゆによく合う風味がふわって広がり、噛んだ瞬間蕎麦の風味と混じり合う感覚を思い出して、久々のお蕎麦なのになんだか物寂しい気分になった。後ろ向き人間だけど食べ物にまでメランコリックな気分になるのはどうなんだろうか。

 

美味しかったよ!美味しかったけどさぁ…いつか日本に帰ったら絶対とろろ蕎麦食べる…

 

はい。

 

最近はね、まだあんまり外のこと取り込む気力がないな。映画も観たいのあるし本も買ってあるんだけど手が出ない。気力がないのか興味が薄れたのか微妙な所だけど。

 

いつもなんか、いろんな顔の空とか、広大な包み込むような海とか、背の高い草が夜風に揺れる草原とか、少し遠くから見た霧が立ち込める森とか、曲がりくねって海に注ぐ川とか、そんな風景が頭に浮かんでる。大体どれも夜か夕方。その方が心地がいいからかなぁ。まだ黄昏には早い気もするけど、十分頑張ったしなぁと思う。まぁほら、夜型だからここからが長いのよ、きっと。別に無駄に長くなくてもいいけど…

 

これ今日の気分

Sid Acharya - Stories from the Sky


www.youtube.com

 

メランコリックな安心感を体現したような美しい曲。

Sidはオーストラリアの作曲家らしい。知ったばっかりだけど好きな曲多い。

広大で色んな環境のあるオーストラリアの空はいろんな顔を持っているのだろうなぁ。

空って本当に不思議。人が内面に空を持っているように、空と感情はとても良くリンクすると思う。