感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

空の向こう側

青い空を見た時に浮かぶ、空の向こう側に対する憧憬と好奇心が混ざった気持ち。これってなんなのだろう?前にも書いたと思うけど、やっぱり強く浮かぶなって。

この気持ちってとても透き通っていて清々しいから好き。

 

頭にはすぐさま大気圏だとかその先の宇宙だとか銀河だとかガガーリンの言葉だとかが浮かぶけれど、それとは違う部分でこの気持ちを感じている内に「それでも」って思う。

観測可能な物質的にその外側に宇宙があっても、それ以外のものがあるかもしれない。丸っこい地球と平面が同時に存在しちゃいけないなんて思わないし、いや、別に何もなくてもいいのかもしれないとも思う。

 

この気持ちはやっぱり別の部分で大切にしたいのかもしれない。

この憧れに衝き動かされた人はどのくらいいるのだろう?だから人間は飛行機で空を飛ぶようになったと思うとロマンチックでいいな。

 

人はいつからこの気持ちを持ってきたのだろう?類人猿の時から持ってたのか、もっと前の祖先、原始的な哺乳類や爬虫類から受け継いでいるのか。それとも進化論の外側から来たものなのか。何れにせよとっても長い間受け継がれてきたんだろうなって思うと感慨深い。僕の曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾祖父もこの空に同じことを思ったのかな。そういえば僕が大好きだった祖父は学生の頃のノートに零戦を落書きしてた。同じことしてるのがなんか嬉しい。

僕が誰かと共有していないだけで、今もきっと沢山の人がこの気持ちを持っている。歌やストーリーではよく見かけるしね。そしてずっと昔の人ともこの気持ちで繋がっているのかも知れない。種も跨げるのかな。途方もないけどやっぱりいいなぁ。

 

ほら、このタイトルに惹かれて思わずクリックしてしまい今まさに後悔しながらここに到達した辛抱強い君とも、僕はこの気持ちを共有してるかも知れない。ロマンチックでしょ?元を辿れば同じなのかな?遺伝的に辿るか潜在意識の方に辿るか、色々な辿り方があるだろうけど、まぁどうでもいいや。

 

今日の昼、気分転換のお散歩をしている時に空を見てそんなことを思った。そしてその少し後に波打つように優雅に飛び、街路樹のトックリヤシに止まるZebra Doveに見惚れていた。チョウショウバトっていうんだって。僕もあんな風に飛びたいなぁ。でも高くを飛べない彼らはもしかしたら同じ憧れを抱いてるのかな。猛禽がいて危ないからそんなこと思えないか。でももし猛禽がいなくて自由な空だったら?そうでなくても彼らは泳げないから、深い水に同じことを思うかもとか。

 

平日の昼間から何考えてたんだろうか。それを思い出して今もその時の気持ちになってるのは、さっきマレフィシェント2を観たせいなのね。僕もストーリーの中に住みたい。

これもストーリーなのかもしれないけど、そんなソフィー・アムンセンみたいな体験できないだろうし。誰かが僕を主人公にした本を書いていて、「君はその登場人物に過ぎない」と宣告してくれないかな。確証をくれたなら…

 

 

はあ、こうやって僕を引き戻そうとするこの現実の引力が憎いね。風船のように飛んでいきたいなぁ。

空の青と雲の白が交わりそうで交わり切らないその狭間に住みたい。そう思いながら今日も井戸の底に帰る。心地よい水面。柔らかいベッド。

でんでんでんぐり返ってバイバイバイ!