感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

オリンピック から SNSと井戸端会議 実験 Abel Korzeniowski - Melting Waltz 

もうすぐオリンピックなのかぁ。去年は夏一時帰国するつもりでいたから、オリンピックと重なって混んでたらどうしようって思ってたけど、まさか一時帰国する前にオリンピックが開かれることになるとはなぁ。

僕はあんまりスポーツ観戦とかしないからあれなんだけど、折角できるんだし、この時を大切に思ってきた選手の人たちには気持ちよく競技をやって欲しいな。

 

皆色々言いたいことがあるのも分かるし、何かしらに憎悪が湧いてしまう人もいるのだろうけどね。ウイルスだの招致の問題だの建築の問題だの開催方式だのお金の問題だの色々あるみたいだけど、主役はあくまで選手であって競技だと思うし、次は早くても3年後。もう既に1年待っていて、選手生命やコンディションを考えたら次があるかもわからないのだから、その人達が全力を出し切れるのが一番なんじゃないかなって思う。

そのためにも、今は他のことに対する色んな気持ちをぐっと堪えるってことは出来ないのだろうか。

一応平和の祭典ということなのだし、憎悪や妬みや怒りばかりが目立ってしまうのはとても残念なことだと思う。折角この日のために練習してきた人たちも周りがそんな状態で気持ちよく競技に臨めるだろうか。

 

SNSの時代っていうのもあるんだろうな。多数のSNSはとても井戸端会議的だと思う。井戸端会議、噂話。そこにちらつく承認欲求や自己顕示欲、同質性の確認も、継ぎ目が曖昧な社会の中で生きる為には必要なものだったのかもしれないけれど、今はどうなんだろう。そろそろ乗り越えるかリープできてもいいはずなのに、テクノロジーにその部分をいいように取り込まれてしまった感じがある。帰属先の群れが曖昧な個々が一つの場で色んな群れを形成しながら井戸端会議に参加するという、壮大な実験場のよう。人類史を見てもこんなことが今までにあっただろうか。

別にSNS批判をしたいわけじゃなくて、ただあまりにも新しくて壮大だから当たり前になることに僕は不安があるという感じ。

 

分かってて使っているか。その分かっているという部分には色々な捉え方があり、人間はその辺りに結構無頓着な部分があって、でもそれが人類を発展させてきたとも言えるのだろうけど、そろそろ規模が…っていう不安。

インターネットから核、医療、食品、化学、学問、教育、家電、産業、物流、生活圏、結構なんでもそうだと思う。規模的にも速度的にも数的にも。

僕なんか車でさえ人間にはオーバーテクノロジーなような気がしてしまうから、そりゃ不安だし怖いよね。

我ながら人間とは本当に不思議な生き物だと思う。

 

例えばテクノロジーの場合、使い方の問題と言うことも出来るのだけど、その使い方を生きている人間の寿命より長い視点で評価する術がほぼない。演算装置もある今は少し違うのだろうけど、かといって演算も前提がずれていたら結果も全く変わるだろうし。

そういう意味では、発展し続ける文明というものはそれそのものが複合的な実験装置なのではないかという思考に魅入られそうになる。

 

何書いてたっけ。あ、オリンピックだ。

なんかこう、反射的な感情に支配されそうになったら深呼吸してみて、5年間、人によってはそれ以上頑張ってきた選手の顔を思い浮かべてみてはどうだろうか。

その気持ちに報いることは何も、汚職だの政治問題だのある種のイデオロギーだのを肯定することは意味しないと思うよ?

 

はい。

時事問題は色々疲れるからここまで!

 

 

今この曲聴いてる。しゅき!


www.youtube.com

 

またAbel Korzeniowski。このサントラのジャケット画像も好きだなぁ。凄い画像だと思う(致命的な語彙不足)

ペニー・ドレッドフル。観たことないけどちょっと興味ある。もうずっとTVシリーズ系は観てないけど、久々に観てみようかな。

 

Melting Waltz。人生って仮面舞踏会みたいだよね。なんてことをよく思っていて、この曲を聴いてるとその中で身を揺らしているような感覚がする。曲が終わって舞台を降りたらみんな仮面を取るのだろうか。