感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

最近の失敗 から ズレに対する不安 複数相手の苦手意識

先日Zoomでお話する機会をもらったんだけど納得いかない内容になってしまった…

 

準備不足と想定不足。

いつももっと軽いノリだから軽くていいやって思って軽めに準備したら、なんかみんないつもと違って真面目モードだし、想定してなかった人たちが来るし…

オンラインだから普段の集まりなんかに来れないような人まで来れちゃう。オンラインミーティングの怖い所。それは想定しとくべきだった。

 

スライドに合わせてメモ用意して話してたんだけど、その普段は来ない人達には言えないような内容満載で、話しながら横目にチェックしてヤバそうなのは飛ばしながらって感じで話してたら自分が何話してるかわかんなくなっちゃった。こいつ何言いたいんだろう状態だったと思う。

 

偉い人だから日和ったとかじゃないよ?その人達のステータス的なのは割と僕にとってはどうでもよくて、でもこう何か思いを込めて活動してる人たちだから、そこにマイナスに働くようなことはなかなか言えないじゃん?事業のことを思えば本人は寧ろ批判的なことも言って欲しいのかもしれないけど、そんなのオンラインじゃわかんないよぅ。ちょっと誤解されたら喧嘩売ってるようにしか聞こえない内容だろうし。何この恐れ。

誤解に対する恐れ?傷つけることへの恐れ?関係悪化の恐れ?

だってさぁ、普段会わない人達だし、ただでさえ違う国に住んでるわけで、釈明するにも難易度がね。近くても釈明なんてしないだろうけど。めんどくさ。

 

オンラインでお話するって難しいよね。特に聞きに来てくれる人が変動するような場だと誰を対象に話せばいいのかわかんなくなっちゃう。先に対象絞っちゃえば良かったのかな?今日はこういう人たち向けの話ですって。いやでも僕はその人達が来ない想定の下ちょっと踏み込んだ話を用意してたわけで、それはちょっと違う気がする。

折角来てくれたのにガッカリさせちゃったかなっていうのが残ってる。知ったこっちゃないはずなのに。それは伝えたいことをセーブした結果のことであって。だってちゃんと伝えてそれでがっかりされるならしょうがないもんね。

 

講演なんかもそうだけど一方的な場だもんね。あんまり来場者の顔色見過ぎるのもどうかって話だし、オンラインであれば尚更崩れた状態で聞いてるわけだから。僕だってカメラ切って別のことしながら聞いてる時あるし。相手の顔が映るのが良くない(責任転嫁)

 

僕はそもそも人のまとまりに向かってお話するの苦手なんだった。だから以前は対話形式の時間を長くしてもらったりしてた。対話形式なら一対一の会話を周りが聞くって感じだから大分楽。

 

まとまりに向かって話すのが苦手なのは何を話していいかわからなくて、それは皆が何を聞きたいかが分からないからで、そこに僕の漠然とした不安があるからだろう。多くの人とは感覚がズレている部分があると思い知らされながら生きてきたから、そういう部分で失敗とまではいかないものの色々重なってきたものなのだろう。小中学校とか正にそうだったし。

 

この前プロレスラーのエル・サムライが出る動画をYoutubeで見ててね、今選手を教えてるのか?という質問に対して「やってないです。」「どうやって教えたらいいかわかんない。」って言ってて、凄く共感したのを覚えてる。本人は素晴らしい動きをする選手だったけど、だからってそれを人に教えられるわけじゃない。

教えるっていうのは本当に難しいことだと思う。

 

わかんないんだよね。

その人(達)が何が分からないか、何を知りたいかを汲むっていうのは実は凄く苦手。対面だと結構汲めるっていうのは、既にその人を知っているからで、合わない人とはそこまでの仲に進まないっていうのもあるし、そうでない人の場合は表情やらその前の言動やらで先回りして相手が今何を考えてるかを推測してるからで(だから疲れるんだろう)、結局はこれも苦手意識からくるものなんだと思う。

 

でね、お話ってたとえテーマに沿って話すにしても、相手が何に興味持ってるかとか、どこが疑問なのかとか、聞きに来る動機が分からないと何話していいかわかんないじゃん?

現場の浅い部分での紹介ってだけならいいけど、僕に振られたからには僕の見たものを話さなきゃいけないわけで、でも僕の抱いてる疑問や問題や実情っていうのはそのまま話しても伝わらないし、だから聞きにくる人達が何を求めるかという推測に擦り合わせるわけだ。で、要するに僕の不安というのは僕のその主観的な推測がズレていることに対するものなわけですよね。確かにそう。

 

でも相手が複数いてグループ分けしても複数の集団になる場合はどれを見ればいいか分からなくなっちゃうし、一人一人の顔が映ればどの顔を見ればいいかわかんなくなっちゃうっていうのもある。そもそも見ないというのも選択肢なのだろうけど、そんな何十分も話してるとやっぱりどんどん不安が積もってくわけですよね。

ズレたこと話してるんじゃないかという不安。それが3分ならいいけど20分30分もズレたこと話してたらどうしようって不安になって、やっぱり顔を確かめたくなっちゃう。チキンだから顔色覗いすぎなんだよね。

いや、でも顔色覗わないと分かんないじゃん。全然違うこと話してるかもしれないし(堂々巡り)

 

・相手の感覚がわからない

・感覚、意識のズレに対する不安

・ズレ故に踏み躙ってしまうことに対する恐怖

 

それらに対して一対一の場面では何とか対処してきたけれど、集団に対しては難しいっていう所がまた僕が数多く抱く集団に対しての苦手意識の内の一要素になってるのかなぁと今思った。

この辺りはもっと掘り下げられそう。

 

今回良かったからって来月も頼まれてるんだけど断りたさも半分くらい。

良かったって言われてもあなたの感想ですよねとしか…いや、それは嬉しいんだけど、多くの人がそうだったとは限らないわけだし、大体主催者の意図は汲んでるから主催者に良かったと言われるのは分かっていて…主催者の感覚こそ他の人とズレてるかもしれないし。大体同じテーマを来月もって飽きるじゃん?そうね、不安なんだよね。わかる。

やるならいっそ前もって何聞きたいかアンケートとってもらおうかな。僕は通常の講演みたいなのは無理だって意識した上で、姑息でもいいから対処法考えていった方が良いかもしれない。

 

参加者が何を知りたいのか、聞きたいのかもそうなんだけど、それに右往左往し過ぎてで自分が何を伝えたいかが迷子になってしまうのが一番嫌なのかもしれない。

もうわけわかんないね。

 

いつもこういう機会があると思うんだけど、やっぱり隠遁したい。