月食見えた―。わーい!ブラッドムーン、いわゆる皆既月食の状態は間に合わなかったけど嬉しい。結構長い時間探してたんだけど建物に隠れてたのと灯りが多いので見つけるのに時間がかかった。
写真はあんまりうまく撮れなかった。三脚がないのもあるんだけど、月食って陰になってるところがメインなんですよね。それがなんだか抜けてたんだと思う。陰になってるところを写すには露出上げないといけないんだけど、既に皆既は過ぎてたからそうすると太陽光が当たってる部分が明るくなりすぎてなんか嫌で(見え方が肉眼から大きくずれるのが嫌)。そうこうしてる内に太陽光が当たってる部分に意識が向いた写真撮ってた。
そういう時ってどうしたらいいんだろう。ちょっと勉強しないとだめだなぁと思った。
それでね、さっきちょっと眠くて脳死状態の中クロップや微調整してみてたんだけどね。
いじった後に気づいたんだけど、あれ、これじゃ三日月じゃん?って。位置の話ね。陰の部分が上手く撮れてないことは置いといてね!
月食ってことを意識するなら
大体このぐらいの位置の方がいいかなって。
上の写真が三日月になっちゃうのは光の当たってる部分を意識するあまり
月
↗自分
太陽
みたいなイメージで切り取った位置関係になってる。
でも月食ってイメージならバーンと月をど真ん中に据えるか、陰が真ん中あたりにくるように若干ずらす方が月食っぽい。
こういうのもいいのかも。
これは地球の影をイメージしてみたよ!見えない球体をメインに月はわき役。これも月食の見方の一つだと思う。右上に数十分前の月を貼り付けた加工写真も表現としてはいいのかなって思った。
何年か前までは撮った動物や鳥の写真を時々fbに上げたりしてたんだけど、構図が上手いねって褒められたことがあった(えっへん!)。ただ感覚的にこの辺がいいなって感じで写真を撮るんだけど、よくよく考えると「この辺がいいな」っていう納まりというか映えというか、安心感というか、それらを生んでるのは、被写体の目線や姿勢、周りの構造物や背景とのバランス、そういうものを全体的に見た時の感覚なんだなって今思った。
だから写真を見るとその人がファインダーの内外に何を意識している(無意識でも)のかがわかる気がするのだろう。
何年も写真撮ってたのに今更当たり前のことに気付いた(繋がった?)感じ。
それは何て言うんだろう、例えば写真で意識的に表現をするなら頭を介入させることで表現の幅が広がったり、昇華させることができる余地があるってことだと思う。
月、太陽、地球、光、陰、地球の影、動き、そして自分。月を見ていた時、見ているものには意識せずともこれだけの要素があって、多分もっとあるんだけど、僕らはその中の単体もしくは複合で景色を見ている。意識できれば何にフォーカスするかで視点を切り替えることができるし、構図も調整することもできる。
でも感覚的にやってる時ってそれがずっぽ抜けてる。コンディションがいい時は凄くいいものが見えてたりするんだけど、意識的な部分がないから後になって「全然違うじゃん」っていう今日みたいなことがしょっちゅう起こる。というかそれは僕の人生でいつも起こることで、テストも問題なくて何となくお勉強出来てるじゃんと思ってたら全然理解してませんでしたみたいな。
僕はまだ頭側の自分を好きになれない部分がある(半分喧嘩別れだし?)のだけど、こういうことを考えるとなんかこう、感覚と頭がうまく協働できたら楽しそうで有意義だなって思ったし、こういう方向なら嫌な感覚も湧かないということが今日これを書いててもう一つの発見。まだうまく文字化できないけど、うーん、遊びの幅が広がるのはいいこと!
というわけで国交正常化を目指したい所存です。
スーパームーンの夜に内的な大発見をしてしまったけど、べ、別にスーパームーンのおかげだなんて思ったりしてないんだからねっ!ツンツン
そうそう、日本から見た月食の写真も見たけど、やっぱり傾きが違うんだね。そりゃ当たり前なんだけど、改めてそう思ってイメージすると面白いなって。
はい、うん。
あと2日お仕事で3連休!なんとか頑張れそう。
おやすみ!