感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

クラスメイトの夢 秘密の花園

昨日夢に小学校の時の友達が出てきた。夢は中学生という設定だったと思うのだけど、高校の時の担任が出てきたり、小中学校の同級生がごちゃごちゃに出てきたり、間取りは小学校高学年の時の教室だったり、結構めちゃくちゃ。内容もかなりカオスだった。

 

ここに文字化しておきたいのは、僕がその夢の中で小学校の同級生2人と再会した時の感覚。

 

その2人は親友とかでもなく、単なるクラスメイトよりは近かったかなぁくらいの女の子2人。そこまで印象が強く残ってるわけでもない。

Tさんは小学1年からよく遊んでいた子と近い友達で、小3でクラスが同じになる前から遊んだことはあった。いつも一緒に居たMgさんは夢には出なかった。夢に出てきたもう一人、Mさんはいつ知り合ったか、いつ同じクラスだったかはっきり覚えていない(小5かな?)。時々会話するくらいだった気もする。

 

夢の中では普通に会話しただけだったけど、凄く安心した感覚が目を覚ました後も残ってた。表情に安心したのだろう。逆に、何が不安、後悔だったのだろうか?そこまで意識したことはなかった。

 

でも起きて暫くぼーっと考えていて、Tさんに関しては思い当たることがあるなぁと思った。うちの小学校は9割方同じ中学に進学した。この2人も中学まで一緒だった。

 

中学くらいになると友達付き合いって急に変わるじゃないですか。今までの感覚は取り残されたようで寂しいけれど、皆がそうなっていくから合わせていく。その子達との関係も、中学に入ると枝分かれした新しい自分の中で薄れていった。顔は見るけど声をかけることもなくなった。それが本心からだったのかと聞かれると分からない。

 

中3の時、Tさんのお父さんが亡くなったと聞いた時のことをはっきり覚えてる。あの子は少し前に母も失ってて、僕はとても動揺した。小学校中学年の時にクラスメイトの母が皮膚がんで亡くなった時もそう。保育園の時によく一緒に遊んだ子も母を失ってた。僕はそういうのにとても弱かった。彼女たちが徐々に受け入れていくのを、少し遠くから僕は半ば信じられない気持ちで見ていた。皆外には気丈だった。

 

Tさんは祖母と弟と暮らすようになったようだったけど、1、2週間休んでいた。僕はその時、何回かTさんの家の前まで行ったの。今でも自分をそうさせた感情が分からない。心配か、同情か、なんだろう。居ても立ってもいられなかった。人が落ち込むのを見るのに弱かった。シミュレートしちゃうからだろうね。そのシミュレーションの基盤が僕だから、いつも皆の強さに驚くことになる。

 

結局僕は呼び鈴を押すこともなく、何度かTさんの家の近くを通過して家に帰った。何年も話してないんだもん。急に顔合わせて何て言っていいか分からないし、こんな時に急に現れるのもおかしい気もしたし、結局はいつもの自己嫌悪で終わったかな。その後Tさんが学校に戻ってから見かけたけど、意外と大丈夫そうで安心した。でも暫く心配だったかな。

20過ぎた頃かな。駅のスーパーでレジ打ちしてるTさんを見かけたけど、遠目に見て別のレジに並んだ。それが最後かな。

 

だから僕が昨夜夢の中でTさんと会話をするのは、小学校の時以来だった。Mさんもそうだと思う。その時にね、昔のままの表情で話してくれたから、とても安心した。顔の筋肉は、相手が緩めてくれれば緩むものだから。ずっと、どういう顔をしていいか分からなかった。それが解けた気がした。枝分かれする前の自分が許された気がした。

まぁ夢なんだけどね。

 

 

今バーネットの秘密の花園を読んでるからそういう夢を見たのかもしれない。3人の子供達も丁度そのくらいの年頃で、僕にとっては枝分かれする前の感覚のやり取りをしている。

 

今度読み終わってから書くかもしれないけど、とても良い本。自然と人の関わり、子供にとっての秘密、出会いと変化、表情や気持ちの主観的で時に内観を通した描写。そして穏やかに、連鎖的に変化していく人々。登場人物の内5人に感情移入したのは初めてかも知れない。(しかも内4人は間接的に)

僕も、森に居る時は偏屈な気持ちじゃないからね。とてもよく分かる。

影響を受けた本というよりは、一生を通じて僕の確信を支えてくれる本になると思う。

 

行ってみたいところが増えた。ヨークシャーのムーアで季節を感じてみたいな。