感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

悪夢

昨日アンビエントミュージックを聴いてたら深く入りかかって、気持ちいいからそのまま寝た。

そうしたら案の定悪夢を見た。

瞑想をしてもそう。それ自体はとても気持ちがいいし気分が晴れるのだけど、変性意識に入るとどうしても悪夢を見る。その悪夢の質が普段の悪夢のそれとはかなり違うから、瞑想そのものを躊躇してしまう。

本当はもっとそういう世界に浸りたいし、探求したいのだけど、この悪夢だけはどうもダメ。

 

元(と言っていいか分からないが)PTSDの僕にとって悪夢は2種類に分かれている。再体験が根底にある夢と全く関係ない悪夢。

一時期はそれこそ前者の夢ばかりで疲弊した。引きずり戻されるのが嫌で寝ることが怖かったし、だから深く眠れるように薬を飲んでいたこともあった。

16年も経てばそっちの夢はもう見ることはほぼないし、だからそれを見たとしても記憶を掘り返す切っ掛けになる。

 

今回のはそうではない悪夢。全く経験がないもの。

夢なのに感覚ばかりが生々しいというか、なんというか。内容ははっきり覚えてないのにおぞましい恐怖の感覚ばっかり残ってる。暗くて赤い世界に4人の知らない人達(人間じゃない)と居た所だけ。

 

元々は現実(と言われる世界)に足を着いていないような人間なので、夢を見てそれを覚えているとその度に興奮する。夢を見てその感覚が残っていると、夢と現実の境目がそれこそ曖昧になって、夢の記憶が大切に感じてくる。悪夢は嫌だけど、そういう意味で今回のは貴重。

 

それにしてもなんで毎回悪夢なのだろうか。楽しい夢が見たいね。前はアリアナ・グランデになる夢が見たいって思ったものだけど、銃撃以来彼女もまたPTSDになってしまったから、もうそれも言えないや。

 

 

夢に意味を見出そうとした人も沢山いるし、見る夢を分析して何かを調べようとした人もいる。

感覚が残っているということは、それが単なる幻想だとしても僕にとってはそれを体験したのも同義なんですよね。その時点で『僕にとっての現実』の要件は半分以上はクリアしている。僕にとってはそこに居たということ。現実で今これをタイプしているのと同じように。だから悪夢はとても怖い。その感覚が二つの世界を跨いだのだから。

 

楽しい夢は実際に楽しいことが起こったのと同じに楽しい。一日テンション上がる(どうでもいいけどこれかなり変な日本語だよね)。実際の要件は半分以上クリアしているのだから、楽しくて当たり前でしょ。

 

この辺りは人によってかなり差があると思う。現実に足を着いている人達にとっては夢は単なる夢なのだろう。だからこんな話をすると「そんなことよりさぁ」って言われると思う。そういう人にとって、楽しい夢は「なんだ夢か」で終わってしまう。だからこそ楽しい夢が見れるのかもしれないけれど。

 

夢の記憶がないというのは、悪夢だったという面ではホッとするのだけど、色々掘り起こしたいと思っている身としては釈然としないのだ。