昨日の夜不思議な感覚があった。
皮膚に感染があって微熱があり、鼻炎が酷かったのだけど、いや、そもそも免疫が落ちてるから皮膚に感染が出てるのか。それはいいとして、1カプセルだけ残っていた鼻炎用の風邪薬(1回2-3カプセルのを限界の時にだけ1つ服用するようにしてる)を飲んでタオルを口上から頭まで被せて寝た。
夢の中では夕方遊んだ携帯アプリのI Love Hueがオートプレイされたり、なぜか養護学校の教師として復帰する夢(復帰も何もそんな仕事したことがなければ免許もない)を見たりした。
その夢では10年ほど前に僕が小さな小学校の放課後児童クラブで指導員の仕事をしていた時、ちょっと苦手だった同僚のおばちゃん(子供への接し方とかが苦手だなって感じるだけで関係は良好だし、別に悪い人というわけではない)が上司役で出てきて僕が戻るのを嫌がっていた。
復帰直後の学校の屋内イベントの最中、通路で僕の片割れというよくわからない存在が急に出てきて、嫌われているのは彼だったとわかった。その途端戦闘になり、その上司が戦闘に巻き込まれ攻撃を受けてしまうのだけど、何故かその正体はドラゴンで、それを知られたドラゴンは飛び去ってしまった。そして僕は、人を怪我させたのではなくドラゴンで良かったぁとホッとするという中々カオスな夢だった。
その夢では当時受け持っていた子供達が3年分くらい育って出てきて、みんな僕を覚えていてくれた。その部分がとても懐かしく、嬉しく、夢なのに温かい気持ちになった。みんな元気かなぁ。実際の時の流れではもう10年ちょい。高校生や大学生じゃもうすれ違ってもわからないだろう。
僕は指導員の中では1人だけ若かったこともあって、指導員というのは名ばかりで、大きなお友達というか、遊び相手な役割だった。中高年が多い仕事だからそうなってしまうのだけど、楽しかったなぁ。何かこう、自分が置き忘れたものを仕事と託けてやっていた感さえある。
子供達と遊ぶのは大好きだけど、それは僕も童心に戻る部分、というよりも普段表出できないそういう自分があるからで、叱ったり、(善悪を)『教え』たり、型に押し込む側になるのは無理だなぁと思ったのもその仕事、そして並行して少し前からやっていた発達障害、学習障害児を支援するNPOでのボランティアの中でのことだった。
僕は教育に関して考えることが多いけど、教育に関わりたいという関心はあまりない。ただ多分、子供達と関わりたいというのはあるのかなと思う。それはその時の自分がより自分だと感じるからに他ならない。重ね見るまでもなく、合わさる周波数というか。合わさる方法が同調、オートチューン。
中学生の頃には保育士になりたいなと思っていたこともあるし、自分が教師に向いていないと知っている今でも、キャンプ場や科学館や課外授業の場で伝えたり、知る場、感じる場、考える場を提供する立場なら合うかなぁと漠然と思ったりすることはある。
話はその夢を見た夜に戻り。
夜中に2回目が覚めたのだけど、体調のせいか薬のせいか、まぁ多分両方なのだけど、軽い金縛りのような感じになった。
目は開いている(と認識していたけど実際に開いていたかはわからない)のだけど、呼吸ができなくなった。というより呼吸の仕方がわからないというか、そもそも呼吸という概念がなかった。
心臓さえ止まっているように感じ、でもその理由はわからず、パニック感もなかった。漠然と、死ぬのかなぁと思った。でも気づけば、泣くわけではないけれど、初めて空気を吸い込み呼吸を始める生まれたばかりの赤ちゃんのように、ひゅーっと肺が動き始めるのを感じていた。それがその夜2回あって、でも僕はまだ生きている。
呼吸が止まり、呼吸が始まった。
夜中に怖い思いをした時ってなんだか、無性に肌の安心感を求めたくなるのだけど、それはもしかしたら寝ている時ってある意味で死んでいるから、その途中で目覚めるとうまく繋がらず、一部感覚は生を受けたばかりの赤ちゃんのように独りの、感覚的な不安を味わうのではないだろうか。
なんかこう、アップデートに失敗してデータが飛んだコンピュータのような感じかな。もう一度寝て起き、20分もすればどっかにバックアップしてあったデータが入ってきてるような。
意識も感覚も不思議だな。記憶も、そして思考も。一体これは誰のもので、僕はその中のなんなのだろう?
やばい、このモード。
休暇がもうすぐ終わるストレス。街に帰らなきゃいけないストレス。長距離移動のストレス。
いつも街に帰る前に体調を崩すあたり、今免疫が落ちてる原因もこれではないかという疑惑。
休暇が半分を過ぎる頃にはもう終わりから見てストレスを感じてる。あと何日しかないという見え方。学生の頃の夏休みもそうだった。残りを見るのに引き算をして、全体に対する残りの割合への不安は、減って色が変わった分の累乗というか。この不安は確定的な未来に対するものである以上、靄のような不安というよりも、生理的なストレス反応。「君の感覚は正常だよ、でも耳を貸すわけには…」という葛藤。
仕事が始まるストレス、街に帰るストレスというより、休暇が終わるストレス。それはここを離れるストレス。
逃げろという反応の逆。
愛しき休暇はその終わりの不安に支配され、徐々にそして確実に色を失い、僕は感覚もろともまた灰色に戻る。
人生とはなんなのか。なんなのだろう?ではなく、なんなのか。