今週のお題「大人になったなと感じるとき」
今夜書こうって思ってた内容があったんだけど、いざ夜になったらやっぱり今はいいやってなってね。丁度お題が目に留まったから書いてみようと思った。
お題とか初めて書くかなぁ。昔やってた別の所だと結構やってたんだけど。
成人式は行かなかったなぁ。当時いつも遊びに来てた中学時代の友達が成人式の帰りに遊びに来たのは覚えてる。「スーツしわしわだし似合ってないなぁ」って思っちゃったのも覚えてる。
成人してもあんまり大人になった実感ってなかったな。小学校の学童で指導員の仕事した時は大人っていうより大人側の子供って感じだったし。感覚はね。
正直言って子供ができても大人になった実感ってあまりない。
でもずっとちゃんとしようとはしてたんだよ(出来ているとは言ってない)。ずーっと。周りからはそう見えてなかったと思うけど。それはなんか大人側を意識してたかな。
だからなのかな。大人っていうのに今も反感じゃないんだけど、自分が物理的に大人であることを意識したくないっていう感じの何かはある気がしてる。大人と子供の違いがどこまでのものなんだろう。見方によっては子供なのに大人より大人な子もいれば大人でも子供より子供な大人もいる。それに良い悪いはないでしょ。
晴れの日を迎えそういう自覚を持つのは何か意味があるのかもしれないけれど、でもやっぱり押し付けられるのは好きじゃないから僕はいいやってなる。
晴れの日は楽しめる人は楽しんで、成人の境界は自分なりに捉えてもいいんじゃないかって。
自分が大人だって意識すると「何が大人だバーカ」ってなる。反抗的な脊髄反射。何に反応してるんだろうな。何をそんなに認めたくないのだろう。押し付けられるから?押さえつけてきたから?
うーん、多分だけど、大人であろうとする側の自分、それを放棄したけど、許せてないのかな。だから反射的に蔑もうとする。嫌悪、若干の怒り。頭ではわかってるようでいつものようにちゃんとわかりきってはいないんだろうね。
戻る事への不安がそうさせるのかな。不安かぁ。
何で不安かって、それだけ大人であろうとする側ではない自分が定まってなくて弱いからそうなるのだろう。Existential Crisisは越えたつもりなんだけど、トンネルはまだ完全に抜けきってないのかな。
どうしたら全部が自分だと認められるほど強くなれるのだろう?認識?信念?僕にはまだ足りない。僕は昔ばかり掘り起こして見ているようで、それでもまだ足りていない。核心が見つからない。でも何を探してるのだろう。何で生きてるんだろう。そんなことばっかり考えてしまう。意味ってなんだろう。
いや、暗い意味じゃないよ。今の気持ちは灰色に近いピンク色かな。灰色ではない。
大人や子供を年齢的な見方をするなら、Age fluidっていうのも感覚的によく分かるし、更に言えば色んな年齢の自分が自分の中で自分とは別に残っている感覚もある。つい最近そんなようなことを書いた気もする。
だから僕は年齢っていうのも、それで区切る大人と子供もあんまりしっくりこない。これは脊髄反射とは別でね。僕はどうしても感覚ばかりを優先してしまうから。
今大人モードだなとか、(内側で)大人君がうるさいなぁとか、そういうのはあるかも。
あと、大人と子供を動物のように性成熟で区切るとしても僕は14歳後半くらいだったかな、肉体は変化してもそんなに成体になるって実感もなかった。
首でも狩って証明すればちょっとは違うのかもしれないけどね。
ああ、でもおっさんになったなと思うことは増えてきた。油ものがあんまり食べられなくなったり、腰痛になりやすくなったり、集中力も落ちたし、生え際が怪しいのはコロナの後遺症ってことにしとこう。
でもさ、おっさんは大人なの?おばさんは大人?幼児退行したおじいさんは?おじいさんと共鳴する5歳児は?
性別と似たようなもので、順序的な問題でそういう見え方になるんだろうな。
お題無視で突っ走った気もするけど楽しかった。何書いたんだろう。上手く日本語になってなさそう。
でも見直すのは怖いからいつも通り投げっぱなし。
「大人になったなと感じるとき」って題だった。どうしめようかな…
人は流れ熟していくらしいからね。成熟という意味なら大人が深くなっていくのかな。いや、それは薄くなったり深くなったりするからやっぱり大人は別軸だと思う。
もういいから僕はポニーになりたいよ。