感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

退院 活力不足 遠く

ホーム、スウィートホーム。やっぱりお家がいいですね。

傷口の洗浄のために毎日通院しなきゃいけないものの、退院できました。両腕が採血と点滴跡で痛いです。これだけ失敗されると採血恐怖症になりそう。いや、僕の血管が悪いんですけどね。さらっと看護師のせいにしようとしてごめんね。

 

こちらは選挙ムードです。州の地方選挙とはいえ憲法もあって首相も居るのでムードとしては国政選挙。知り合いが2人出馬するらしい。精力的ですね。

 

精力、活力、そういったものが最近僕は枯渇していると思う。前よりは迷子感がマシなのだけど、なんかこう、迷子感が酷い時の方が精力的だった気もする。「暗闇を抜けてみれば、闇の中にこそ救いはあった。」とかいうどこかで聞いたような結論にならなければいいけど。

まぁ、自分も人生もなんだかよく分からないという意味では今でも迷子なのだけど、その感覚が変わったかな。間違い探しではなくなった。そういう意味では認めたのだろうか。

 

もっと精力的に、活力的に生きたいとは思うんだけどな。何のために?ってなっちゃう。全てはあるがままで、なら…って。

じゃあ僕も活力的じゃなくてもいいのだろうけど、なんかこう、生命の危機を感じることがある。それでもいいのかもとも思いつつ、うーん… その放棄は違う気もする。放棄ねぇ…

活力。楽しみ。

新しい趣味を探すか。そんな余裕はないんだよなぁ。精神的な余裕がないと趣味に没頭できる筈もなく。精神的な余裕がない?まぁ、そうだね。なんでなんだろうなぁ。とぼけちゃって。

 

病室のベッドで微睡んでいる時、とても安心感があった。余計にもらったブランケットを重ねて肩までかけて。携帯は持っていたけれど、手に取らず、横になって天井を見つめて、眠りに落ちたり目が醒めたり。力を入れる必要もないし、他のことを考える必要もない。温かく、ただ抱かれているような、浮かんでいるような。壁に時計がないのも良かった。今何時だろう?なんて微塵も思わなかった。

痛み止めでぐわんぐわんしてる時も、いつも見てる世界が既に幻想のようだからか、寧ろしっくり来ていた。色々と考えたいことも微睡みのせいか後回しで、それがとても安らかだった。本当は何も考えたくなんてないのかもしれない。

 

その時の感覚がとてもしっかり残ってる。どこか懐かしい。必要の中にしっかりはまったというか、全会一致の休息というか。自分が疲れてるのかな?って思うことに罪悪感を感じる(ということにじゅりんさんに頂いたコメントから気が付いた)のだけど、やっぱり疲れてるのかもしれない。

まぁ、たとえ同じ生活をおくったところで受けるストレスやらは千差万別であるのに、休みに関しては共有された観念で固められてるのはおかしい。向き不向きもあるしね。

 

あ、懐かしさの源泉が分かったかもしれない。小さな頃と重なる感覚だけど、それではない。高校の時、登校をやめることを僕自身が認めた時の、あの朝の感覚だ。あれも全会一致だった。

あの時、精神も身体も限界だったけれど、高校はしっかりいかなきゃって義務感で登校していた。それが呼び出しや帯状疱疹の欠席で出席日数が足りなくなった時、無意識に進学を手放さなかった部分が解けて、翌朝だったかな、気づけば全てが僕から降りていて、本当に明るい朝だった。あの朝のカーテンの隙間から入ってきた日差し、聞こえてくるスズメの声。もういいやって思った時、僕は僕だった。

 

あの感覚だ。

でも今はなぁ。自主的にやってる部分もあるし。自主的?あの時も自主的に自ら縛られていた。うーん、わかるけど、これは時間がかかるよ。性格的にも。でも今それを想起して意識したことは、後々大きくなるのかもしれない。まぁ、今は棚上げ。

 

どうしようかなぁ。

活力、精力、体力、免疫。

体重もジリジリ減り続ける。前はもう少し食いしん坊だった気がするんだけどな。

血液、肉。

食べ物かな。食事の質というよりは欲求。

食欲。それだけじゃなく色んな根本的な欲求が薄れてる。いや、だから活力だと。

活力を取り戻そうと思って若い子たちを見ても微笑ましいと感じてしまう。これじゃお爺さんっぽいから、せめて混じっていけるような心持をと思えど、外から眺めることしかできない。何て言うんだろうな。前にも増してずれた感じ。あなたがいいならいいんじゃないっすかって。基本自分以外の人やものごとに対してはその姿勢だから、自分の興味や楽しみに繋がらない。というか結局そこに僕の楽しみや求める物はないのではないだろうか。掘り返せば掘り返すほど、結局そうなっていったからかな。

ワンダーがなくなったわけじゃない。遠くなった?そう、遠くばかり見て。

遠くばかり見るのはそれが今は大切だからで、近くへの興味が無いわけじゃないとは思う。ただやっぱり何か求めているものは遠くにある気がする。

 

遠くというのは、物理的に遠いとか遠い未来とかそういう意味じゃない。目の焦点が合わないところという意味。遠い目になるから。

でもそればっかりじゃいけないんだろう。それは分かるんだけど、僕はそんなに器用じゃないのです。

 

動物のように、もっとワイルドに生きたいな。ワイルドって何?欲求により忠実とかそういう意味ではないよね。

僕の言うワイルドは、感覚と思考のごちゃごちゃが少なくて、もっとスマートに回路と配線が繋がっていて。それを欲すると言いながら同時に嫌悪を抱くこの感じを取っ払いたいということだろう。どっちかになればそれしかないのだから。それは、それそのものということでしょ?想像でしかないけれど。

 

今も飲み薬で調子悪いし、お仕事は来週からにする。その言い訳。それが必要なのが病理でしょ。だから休みが休みにならない。とは言ってもなぁ。

 

もうやめよう。今日はお開き!

 

 

病室からの景色。

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この真ん中の道路の先にちょこっと見える十字路、そこがこの前書いた、僕がいつも通っている道路。今はまた戻ってきてしまった。戻りたくなかった?確かにもうちょっとあそこに居たかったかな。

 

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横になった時の安らかな感じ。思考も感情も溶けてしまう感じ。赦す赦されるもなく、ただ温かい感覚の中にぼやける。それは、そういう時だったということなんだろうなと思った。