感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

明るい看護師、ゆるい職場

ここの看護師達は元気なのが多い。大学生みたいなノリ。朝昼は廊下から笑い声が絶えない。

 

男女比はドクターも看護師も半々くらいだろうか。昔よりも確実に人数比が平坦になった。日本も今はそうなのだろうか。

 

今日は男性看護師2人が空き時間に僕の病室にとどまって会話していた。日本語に興味があると言うのだけど、聞いてくるのはおふざけワードばかり。(それにしても小澤マリアはいつまで人気ワードなのだろうか?)でもそういう方が和むんだなぁと思った。

彼らも半分義務感からやっている感がある。病院というと辛気臭いイメージがあるが、彼らは患者にも明るく過ごして欲しいという気持ちを持っているようだった。それは何より、彼らが実際明るく仕事をしているからでもあるのだろう。

 

僕は一人で過ごすのが好きだから正直最初は面倒臭いなぁとも感じたけど、それでも会話の後はやっぱり元気をもらった気がした。

日本人の知り合いはこっちの医療現場を見下したりするのだけど、僕は、やはり彼らは彼らの道でプロなのだろうと思った。行動は幼く見えるのかもしれないけど、それも含めてね。

 

場所によってはこういうのは中々許されないのだろうけど、ここではゆるゆるなことの良さを実感できる。楽しさも含め、気持ちは伝搬するものだし、場としても共有するものだ。こういうのもありだなぁと思った。

 

この国では日本に比べれば色々とゆるゆるで、だから僕も過ごし易さがある。その辺はまぁ人によるのだろうけど。細かいことが気になる人だと気が気じゃなくなるだろうし。実際日本に比べると医療ミスも多いと思う(ミスの定義を同じ水準に揃えれば)。結構みんな適当だし。でもまぁそれも含めて軸線上にあって、何でも良さがあればそれは見方を変えれば悪さにもなるのだろうし。

例えば、あんまりぴっちりしているのが当たり前になればぴっちりしたものを与えられるのが当たり前になる。それは不寛容の悪循環を生むことがあるし、なにより客側のモンスターを生むのはそれが勝手に高まった理想を持つからだと思う。

それもまた悪くもありどこかで良いのだろうけど。

 

 

今日は医師に相談し、朦朧として軽い吐き気が出るのは点滴前に注入する痛み止めということで、それをやめてもらった。

抗生物質点滴だけだと確かに朦朧としない。こりゃいいやと思いきや、腕が痛いなぁと不思議に思いながら過ごした。さっき気づいたけど、あれ多分抗生物質用痛み止めなんだね。そりゃやめたら痛いのも当然だと一人で納得した。

でもまぁ耐えられるレベルだし、薬でふにゃふにゃになりながら過ごすよりはいいかなぁと思う。

あとこの点滴寒気を催す。僕が寒がりなせいもあるのかな。多分結構強いのだろうな。

 

早く治さなきゃなぁ。