選挙ムード、僕はやっぱり苦手だな。僕はここの選挙権が無いことが救い。
道路に溢れる、本当に短い間隔で立てられた数万の旗やバナー。それぞれの政党を主張する色が毒々しく感じてしまう。主張する為に立ててるのだから当たり前だけど、やっぱり主義主張が強すぎる。
旗の立て方だって自分達のこと、いかに目に付くかしか考えていない。運転の邪魔になる場所にも平気で立てるし、そんなことをする人たちが景観などに気を配ることができるはずもない。日本はその点僕はいいと思う。
旗が少ない政党の方が僕の中では好感度が高くなってしまう。そう思う程に鬱陶しい。
旗の扱いだってそうだ。安いプラスチックや木のポールに結んで立てられているから、雨が降ったそばから無数に倒れてぐちゃぐちゃになっている。旗が可哀想に感じてしまう。旗に対する感覚が違うのだろうか?文化の違いというならあまり踏み込まない。でもやっぱりこれが国旗だったら一定数は怒るだろうし。
政党に対してそこまでロイヤルな感覚がないのだろうか。別にそれはどっちでもいいと思うけど、もしロイヤルティもアイデンティティもなにもないのなら何故そんなに旗を立てるのか。僕はその辺の感覚が分からない。
民のためと色んな主張を謳う前に、せめてその旗に使っている布を別の何かに役立てられるのではないかとも思う。まぁ、旗を作ることで仕事ができてお金が回るのかもしれないけど。いや、そんなものをここの人間が外注するだろうか。仮に外注するにしたって自分たちの会社を通すに決まってる。別にいいんだけどね。
政党も熱狂的な支持者もある種の群れに見える(というのは僕の問題なのだけど)。支持者側を見ていると思うけれど、政治や選挙の対立とはそんなに満たされるものなのだろうか。その構造は本当に必要なのだろうか。
僕は議会制民主主義自体健全なものとは思っていない。ただ、これが今の限界なのだろうとは思う。
投票についてはどうだろう。僕は投票しないのは勿体ないというのも一理あると思うし、投票など無意味だというのも一理あると思う。見ている部分がちょっと違うだけに過ぎない。
ただ、投票しない人を非人扱いしたり、そういう部分でも否定が生まれるのは悲しい世の中だと思う。投票しない人が投票する人を、投票する人が投票しない人を理解する努力がなければ、選挙の公平性や投票率の向上も進まないのではないだろうか。程度の差は有れ支持政党の対立も同じことだと思う。だからこれが限界になってしまうのだと思う。
どうでもいいけどね。
どこかでどうでもよくないから書いてるくせになぁ。
話を変えよう。
もう9月も後半ですね。日本では秋。トラウマ的には苦手な寒い時期の始まりの時期だけど、秋の食べ物は好きだな。
食欲の秋。色んなお魚や果物や野菜が美味しい季節。これを思い浮かべると手に入らないのに食べたくなっちゃうね。
久々に秋刀魚が食べたいな。大根おろしとすだちと醤油がいいですね。僕は秋刀魚と鮎は骨も頭も食べる派です。貧乏くさいと言われるけど、噛めば噛むほどおいしいよ。この時期はサバもいいんですよね。マサバがいいって言うけど、僕はゴマサバも好き。よく砂浜で釣って食べたなぁ。ヒラソウダも美味しいんですよね。
秋。栗もいいなぁ。秋に日本に居ると、実家の近くの農家さんの所で栗拾いに行ったりする。母が作るマロングラッセもいいけれど、シンプルに焼き栗もいいですね。
あとキノコ。山の小さな小学校でお仕事をしていた時は、帰りがけに直売所なんかで色んなキノコを買ったものです。僕はやっぱり、どれもシンプルに焼き物が好き。お塩ぱらぱらだけでいいです。
やっぱり食べたくなっちゃった。今年は日本に帰れなかったから、日本の食べ物のこと想いだすと止まらなくなりそう。
今日はお開き!
最近は四季が四季がと自嘲的に言われたりするけれど、四季と共に移ろう食べ物はやっぱりとってもいいと思う。