感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

飛んでいく風船 忘れること 純真と新鮮

運転しながら次々に浮かぶイメージや思考、その中でとても輝いて見えるものを大切に大切に、今度こそ絶対になくさないようにしっかり掴んでいた。

もらったヘリウム風船を飛ばしてしまい、悲しい思いをしたことのある子が、今もらった新しい風船を今度こそ無くさないぞ、大切にするぞという決意。

 

でも次々に浮かぶものたちはどれも大切で、魅力的で、僕はすぐに両手に風船を持ちながら新しい風船を眺めるようになる。そして心奪われたことに気づいたときには、大切にしようと思ったばかりの風船は既に僕の手を離れていた。

 

この大切な瞬間、イメージのゴールドラッシュはメモを取れる時には起こらない。メモを取れば固定できるけど、それは錨を下ろすようなもので、惑星間を飛び跳ね続けるような、点いては消えるクリスマスツリーのイルミネーションのような状態にはなかなか入ることができない。それは僕の場合、流れに乗ったような感覚のときに起こるようだ。

 

Xファイルのスカリーのようにボイスレコーダーでも持ち歩いてもいいけど、僕は自分の声が嫌いだから聞き返すことをしないだろう。

 

それにもしかしたら、消えるからこそ浮かぶのかもしれない。忘れるからこそ新鮮さを持って生まれるし、それは繰り返される。

儚いけれど、だからこその美しさなのだろうし、今この場で新鮮さをもって目にし、触れるからこそのワンダーなのだろう。

 

それはいろんなことに当てはまるのではないだろうか。

例えば生死。輪廻転生が存在して、それに意味があると言われた時、記憶がないのにどうして自分だと言えるのかとか疑り深い僕は思ってしまうけれど、忘れることに意味があるというのなら僕の中の解釈の溝が埋まるかもしれない。新鮮な経験、それがもたらすもの。わかんないけど、ふとそう思った。

 

 

飛んでいった風船は何度も僕の手に戻ってきていて、恐らくその都度その時一番僕が惹かれる色や形をしている。だとすると大切なのはどこだろう?新鮮だから決まった色や形にならないでくれる。

 

だから新鮮さは僕にとって本当に大切なものだ。それを忘れっぽさが与えてくれるなら、忘れっぽさに感謝しなければならないと思った。

 

蛇足

ほらあれ、北斗の拳のユダが最期、レイの飛翔白麗の舞に心奪われるじゃないですか。あの感覚。ハッとした時にはもう…的な。

 

1度レイに目(心)を奪われた後必死にそれを否定してきたユダが、再びその姿に見惚れた瞬間。そこに純真がある。彼はレイの美しさを認めた時、ずっと否定してきた自らの純真を同時に認めたのだと思う。外と内、二重に抱かれる最期。とても温かく安らかな死ではないだろうか?あれ痛そうだけど。

 

純真さと受け取るものの新鮮さ、そしてワンダー、探求心は繋がるものだと思う。どう繋がるかは聞かないで。