僕にとっては東から登って西に沈むのが当たり前になっている星も、高緯度の場所から見れば曲線を描くんだよね。極地の上空が見える場所からは円を描く星が見える。星空の中に居る時のその流れはどんな風に感じるのだろう。
寒いのは苦手だけど、死ぬまでに感じてみたいな。オーロラもね。
白夜や極夜も気になる。
白夜の太陽の流れはどう感じるのだろう。
植物たちはその光源、熱源の移動をどう感じるのだろう。
夜更かしばかりしてしまう僕が極夜に置かれたら、ずっと夜更かししてしまわないだろうか。それは冗談だけど。
一年を通した日の動きも強調されて見えるのだろうな。
赤道からそう離れていないここでも影の角度の変化には気付く。木や野菜を植える時に意識するからでもあり、果物の実の付き方から気づくこともある。
何もない日常が教えてくれたのは日々同じ繰り返しではなく、段々とずれていく変化の中に居ることだ。日だけではなく、そこから繋がる雲の動き、風の感触、雨の降り方、本当に色々な変化があって、自然の恩恵を受けて生活する上ではそれこそが重要になる。
そういうものも高緯度の場所ではより顕著なのだろう。
よく考えたら日本でもそうだった。蕗を採ったり土筆を採ったり七草を探したり、蓬を摘んだり。四季は目安でしかなく、より目に見える移ろいがある。その毎日が好きだった。
春は好き。
地球の自転による移ろいと公転による移ろい、そして月の公転との相互作用による移ろいもある。その中の存在として流れていく。
それを感じることが僕にとっては生の実感なのだろう。
太陽活動周期のように、僕らが体感するのが難しいくらい大きな移ろいがあって、宇宙に出ればもっと沢山あって、逆にもっと小さいものもあって、凄いなって思う。
それを全部感じたいと思うのは欲張りだろうか。でもそうしないと自分がどう流れているのかはわからない。