感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

靄 宇宙空間 キリギリス Life sensitive 区切り Sid Acharya - Tales of Time

雨上がりの涼しい風。散歩を始めた時は空一面を雲が覆って真っ暗だったのに、20分も経つと雲が抜けて星が見えた。街の星は少ない。寂しくもあるけれど、雨上がりの透き通った空に見える星は希望を感じさせる。位置を、方角を示す星々。そこに見る道筋を信じるか信じないかさえ人に委ね、ただ星は示す。

ほんの少し前まで雲に覆われていたのに、風の流れとともに一気に晴れ渡った空。そんな空が羨ましいと思った。

消えない靄の中彷徨い続けてどのぐらい経つだろう。この靄はいつか晴れるのだろうか。何をすればいい?どこへ向かえばいい?わからない。

善悪、正誤の外側、答えを求めない生き方を選んでからというもの、より自分らしい迷子になったとは思う。迷う道すらない宇宙空間に投げ出された気分。

二元はどちらに流れようと道や川のように幅がある。引き合ったり反発する中で、無自覚であろうと自分の位置がある。ジャッジメントだって自分の位置があるから生まれる。答えというのは標識のようなもの。それらの中に生きることはとても合理的なことだ。流れの中で役割があるというのは素晴らしいことではないだろうか。それがどんな役割であろうと。

 

僕はその中に僕自身が求めるものが見えないから一旦離れることにしたのだった気がするけど、長らくこうしているとどうしたら戻る気になるのかもう分からない。でも先ずは僕自身が求めるものを知るために僕自身をどうにかして知らなきゃいけなくて、問題はそれが思いの外難解だったということ。少しずつ少しずつ、でもそればかりで、そうこうしている内に何年経っただろうか。

何とか日常はこなしている(やり過ごしている)つもりだけど、外に見える変化が何もないのが不安なのだろうか。僕の生き方はアリとキリギリスで言えばキリギリスに分類されるだろうからね。でも僕はキリギリスの擁護者だよ?キリギリスやセミが身を危険に晒してまで音楽を奏でる理由は働きアリには分からないだろう。もしかしたら女王アリなら理解したかもしれないけど。どうでもいいけどね。

まぁほら、現実として外と関わって生きて行かなきゃいけないけど、未だにそっちに対する熱意というか活力が湧かない。そんな現実も固定観念なのかもしれないけれど。固定観念嫌いだから家族が居なければそれすら外そうとしてるかもしれない。そういう意味では家族は身近なストッパーだな。まぁそんなのはもう少し年取ってから外しても遅くはないだろうし。

 

外に見える変化が何もないとは書いたけど、より我侭になってる分好き嫌いははっきりしてる。そう考えると不安の原因は社会生活全般に関わるものが自分の中で『嫌い』に分類されていることだろうか。それでも生き方は色々あるけれど、今は一人で生きていいわけじゃないからなぁ。やっぱり限られちゃう。嫌いの中に。

長い目で見れば15年経てば抜けていいものだから、今は辛抱して生きるしかないのだろうか。そうね、ずっとじゃないならなぁ。全体的に見渡せると気が楽になる。その頃には、生きてれば靄も晴れているかもしれないし。

自信がない。生きてるかの部分に。弱気になるわけでも自殺願望があるわけでもない。ただ、活力が足りない。

森の中では湧くのになぁ。引っ越した方がいいのかな?アパートメントはやっぱり辛い。この区画だけで何千人も住んでる事実すら身体が理解できない。そのせいで凄く変な感覚に襲われる。

子供の学校があるから村に戻るのはまだ無理でも、せめて小さな畑ができるぐらいの場所に引っ越したら変わるかな。僕はコンクリートとアスファルトに囲まれたところに居ちゃいけないんだと思う。

 

Sadhguruが動画の中で言ってた。ちょっと待ってね。

あった。


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4:17からのsensitivityの話

Create sensitivity within youって言ってるけど、内外の感覚に対して意識的になって知覚の幅を広げること、更にはそれらを受け入れ、しっかりと感じることだろうか。

 

6:09~ You must become life sensitive. Then you will know how to manage every aspect of your life. Don't become ego sensitive. Don't become society sensitive. Life sensitive, if you become.

 

これは何だか今はよく分かる気がする。

Life sensitivityって僕にとっては新しい概念だけど、敏感を小分けした中で大切なものが詰まってる部分だと思う。正直Ego sensitivityが何を指すのかちゃんと理解してないけどそんなに重要でもないと思う。

大事なのはLife sensitivityの意味を僕の意識がさくっと拾った事、ということはそういう機だったということ。そして僕のそれがアパートメント生活に悲鳴をあげてるんだなぁと捉えたことだと思う。

 

そう、成り行きで住んでるんだよなぁ。自分で選んだわけじゃないし、自分で選んでたらここに住んでない。

最近同じようなことを考えたっけ。仕事。コロナの制限が解けても戻らずのままの仕事。区切りを付けるために正式に辞めようかなぁと思ってる。こっちも成り行きで始めた仕事だし、続けたくて続けてるわけなじゃないし、そもそもこの形態になると分かってたら選んでない。

そんなことに最近気付いたばかり。「自分で選んでたら~ない」って何で気付かなかったんだろう?何か怖い。

 

成り行きで生きてきた。それ自体は今は良いと思ってる。ただ区切りは少なくとも意思表示が必要で、そう、区切り。区切りかぁ…

それを今意識してるのも、僕の意味する成り行きの範囲内。気付きも成り行き。でも気付いてしまったら、そういう気持ちがあると一度目についてしまったら潮時だよね。だってその気持ちは変えられないもの。

宇宙空間の中で自分の軌道がちょっと見えた瞬間。

 

 

Sid Acharyaの新しいアルバム"Tales of Time”。全部好き。

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全部好きで何回も聴いてるんだけど、強いて挙げるなら一番好きなのは"Solstice"。

この人の作る曲って凄くこう、合うの。

Solsticeって至点のことらしい。夏至と冬至。もうすぐ夏至だろうなって思って調べたら夏至明日じゃん。区切り?怖い。