感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

自閉症の子

アパートメントの同じ棟に自閉症の小学校中学年くらいの年齢の子がいて、毎日この世の終わりのような叫び声を上げては泣いている。

彼はいったいどんな世界を感じているのだろう。想像を絶するものなのだと思う。

 

母親はまた中国語で怒鳴っている。感情的エネルギーが干渉し合い、反射し、増幅し、ぶつかり合う。

互いにとって地獄だろう。

 

彼は多分、僕の想像が及ばない領域の苦痛や混乱や恐怖や混沌を毎日味わっている。それに対して与えられるのは母親の怒声(だけならまだいいけれど)。子供が発するとは思えない、地獄の底から聞こえてくるような叫喚にいたたまれなくなる。

だからと言って母親を責めることもできない。そうなってしまうのだろうから。愛が繋ぎとめているのだろうし、それなら尚更に「こんなはずではなかった」が常態化する呵責は相当なものだと思う。それはループしてしまう。

 

見直せるなら住環境だろうか。日本のアパートより全然広いけれど、先ずこのアパートメントという環境は相当なストレス源であることは間違いない。本当にごちゃごちゃと、狭い環境に色々な物や人が存在するのだから。それが色々な感覚を通して入ってくる。僕だって辛いもの。

その子の母親に、いかにそういった感覚がなくとも、子供の現状が沢山の目(耳)に晒されるというのは相当なストレスだろう。ましてや中華系、恐らく客家。色んなプレッシャーを感じているだろうし、そののしかかったものが本当に色々なものを苦痛に変えてしまっているのではないかと思う。

 

彼らはビジネス志向で都市生活型の価値観が強いから、郊外への転居という選択も認識上難しいのだろうし、この等級のアパートに住んでいるということは、ここである程度スペースの確保できるような家を借りるのも難しいだろうし。

何だかなぁと思う。

 

アパートメントって色んな人が住んでいるけれど、この棟では恐らく最大級の狂気の世界だと思う。それは、ある意味で縮図なのだ。

救いはないのだろうか。