感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

お散歩 から 月 悲しみと喪失 欺瞞と信念 Kai Engel

今日のお散歩、月明かりに照らされる積乱雲がとても綺麗だった。

満月前後の夜は明るすぎるくらいだけど、月明かりが映し出す景色は大好き。柔らかな明りに照らされてぼんやり浮き上がるように見える。それは何というかこう、内側にある景色に似ている。

 

月そのものは海の方に向かって吹く風に乗って流れる薄雲が月を覆う時とか、やっぱり雲とのコンビネーションが好き。雲の部分部分の厚さによって顔色を変え続ける月。その様子はいつまででも見ていたくなる。今日は少し厚めの雲が通りかかった時に、殆んど覆われてしまった月の姿が頭に残ってる。

その雲もまた月明かりや輝く星々がなければ僕らからは見えないのだ。それが見えている時点で、やはり空は月が支配していたのだろう。その事実がまた月の寛大さを表しているような気がした。

 

夜のお散歩をしている時は大抵、色んな思考や記憶や感情が目まぐるしく浮かんでは消えていて、時々気になったものを手にとっては精査し、また連想ゲームを始め、みたいなことを繰り返している。夜のお散歩ではいつもアパートメントの20棟くらいがまとまった同じフェーズの中を歩いているのだけど、普段は3週くらいはするのかな。歩く長さは決まっていなくて、そろそろいいかなって思ったら帰るし、もうちょっと続けたいって時には長めに歩いてる。歩くのが目的というよりはやはり頭や感情の整理なのだろう。

今日もそうだったけど、歩いていて、気づくとサンダルの底が何度も地面を擦れるようになって少しふらふらしだす時が結構ある。そういう時は大抵、定まっていないながらも浮いては消える思考のあぶくが深い部分に根差す時な気がする。今夜も何だか、悲しみや喪失について考えていることが多かった。そうやって記憶や感情を手掛かりに概念を繋ぎ合わせて消化しようとしたり、次の思考へ渡り歩いたりしている。一周半歩いた頃にはサンダルの底を擦るような歩き方になっていた。体力は余ってるはずなのに、不思議。

 

悲しみと喪失はイコールではないのだけど、大体僕の中の悲しみは喪失と繋がる気がした。大切な人や繋がりの喪失、大切なものの喪失、希望の喪失。期待を裏切ったなんていうのも結局その人の期待を受けていた自分に対する自信の喪失、もしくはその人の自分に対する好意や期待の喪失(の予感)だったりもするし、嘘や裏切りの悲しみは信頼やロイヤルティの喪失でもあるし、苦しんでいる人を見た時の悲しみは不条理の意識によるもので、かつて自分の味わった苦痛の末の希望の喪失と重ね合わせてのものだったりもする。その部分の解像度を低くして短縮すれば単に共感なのだけど。

 

寂しさ、迷子感、孤独感、寒さ、恋しさなんかは多少悲しみや喪失と似ているけど、どれも質の違うものだ。なんてことも一々想起して再現しては感触を確かめて比べて、ってやっていたので、やっぱりお散歩中は結構精神力か何かを消耗するのだと思う。そう、消耗だ。消耗、疲弊。お散歩終了間近は大体そんな感じの状態。

 

勿論そんなことばかりをやっているのではなくて、空を見たり、景色を切り取ったり、風を感じたり、不快な異臭が鼻を掠めては悲しさと嫌悪が入り混じったような気持になったり、アスファルトの感触に悲しくなったり、猫や犬と戯れたり、葉っぱに触れてみたり、ただ歩いていても色んな事をしてる。

本当はお散歩中も、風を感じながらじっと座って空を眺める時間も欲しいけど、なにぶん蚊が多いのです。デングも出るしね。

 

そうそう、あとね、お散歩中『今』って何だろうって考えてた時、頭の中で『架け橋』って声が聞こえて、そっかぁと頷いてしまった。何でそっかぁなのかは考えればいくらでも理由は付くんだけど、聞こえた瞬間のそっかぁって感じはもっと深かったな。なんでだろう。僕の頭より僕の理解を知ってる僕がいるのだろうか。さもありなんっていうよりまぁそうだろうなって感じ。

これはまぁ、今続けると良くない方向に行きそうだからやめる。この判断力は誉めてあげる。変な部分は成長したな。

 

 

大切な人や繋がりの喪失は、喪失だから悲しい。ということはそれが喪失じゃなくなれば悲しさも単なる長期の別れ程度になるのだろう。

実際そういう考え方は世の中に沢山ある。僕にもそういうものを信じたいっていう気持ちはあるけど、だからこそ、『だから信じたい』のようなある種の欺瞞に終始することもできないのではないだろうか。

自己欺瞞が信念に混じったとしてその欺瞞を打ち負かすのが信念の強さだと言えるのだろうか。問題は欺瞞が混じるのを見てしまっていることであって、ということはその程度の信念だと見え透いてしまっていることにあるのではないか。

そこで妥協ができないからいつまで経っても信念を疑ってしまうのだろう。ほら、妥協とか言っちゃって。

でもそもそも、信念を抱く時に大事なのはその軸なのだろうか。腑に落ちなければ、実感がなければどうやって?仮に無理矢理腑に落としたとして、それが欺瞞でないと言えるだろうか。だからこそ腑に落とすのではなく落ちなければならない。それには何かが足りない。

ということは足りないのは信念ではなかった。別の何かだ。もしくは…

 

 

月明かりっていうと最近この曲好き。今日のお散歩の時も流れた。


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今更調べたけどKai Engelはロシアの人みたい。なんか納得。

他にも好きな曲いっぱいある。数曲しか知らないけどこの2曲もすごく好き。

 


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