信号待ちの時にひらひらと揺れ落ちる葉っぱをみて、僕にとっての時間というものはこういうものなのかなぁと思った。
時に風に揺られ、時に螺旋を描き、ゆっくりと落ちていく。穏やかに、優雅に、時に壮絶に。
時間は進み続けるものなのだろうか?真っ直ぐに等速で?
手を離れた石が下に向かうのならそれでいいのだし、紙切れが宙を舞うのならそれでいいと思う。地球が地球としての時間を持ちつつも、高山の時間を抱き、深海の時間を抱きながら太陽系の時間や銀河系の時間に抱かれ、その中を彷徨ってもいいのだろうし、沢山の尺度の時間がひしめき合って複数の時間を作り上げてもいいのだと思う。色んな楽団が色んな音楽を奏でるように。
僕はどう踊るのだろう?あの落ち葉のように優雅に踊れるだろうか?
宙を舞う落ち葉が土に帰る夢を見るように、人は地を打った後のことを考える。
でも人は、自分が人であった時のその存在を捨てることを受け入れられるのだろうか。
土に抱擁され、形を崩しながらその中の何かに移り変わる葉のように、別の時間の抱擁は僕の固執も溶かしてくれるのだろうか?
書いていて自分でも意味がわからないけど、そんなようなことを思った金曜日でした。