感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

環境音 自然音のテンポと時間感覚 ジムノペディ

毎晩のように散歩をするのだけど、車やバイク、人の声、テレビの音、皿洗いの音、バトミントンをする人たちの声がやっぱりうるさい。人の気配が邪魔。それが大丈夫な時もあるんだけど。

森の中の村ではそんなことがなくて、夜散歩をしていても色んな自然音に包まれることになる。様々な虫の声、カエルやヤモリの声、ヨタカやアオバズクの声、イノシシやジャコウネコの足音、コウモリや虫の羽音、風で沢山の葉が擦れ、木が風の声を代弁する音。

 

ここではそれがない。全くないわけではないから意識すれば見つけることが出来るけど、意識すれば人の生活音が先に入ってくる。それに、点在する音は僕を包んでいない。自然の中で音に包まれている時、僕は自分自身を実感することが出来る。音、景色、匂い、感触、五感を通して澄み切った自分の存在を感じることが出来る。考えるまでもなく、その中の存在として過ごすことが出来る。

 

このコンクリートとセメントとアスファルトのジャングルではそれができない。景色も、音も、匂いも、風の感触でさえ、全てに不快感が混じるものを感じることになる。何も僕を導くものはなく、ただ孤立したような感覚がある。ただでさえ迷子なのに余計迷子になる。

草むらに居たバッタが草のない水槽に入れられ、キュウリを食べさせられているような状態なのかなってさっき思った。

僕が過敏なのは街中という環境との相性の問題なのだろう。その過敏な感覚も自然の中ではギフトとなるからね。

もし僕に見えない飼い主が居るのなら、飼育環境間違えてるよと言ってやりたいよ。

まぁいいや。

 

人の作り出す音は自然音とは違う感触のものばかり。感覚的に合わない。いや、まぁ精神的なものだから嫌悪が先にきてそう感じるだけかもしれないけど。でも実際音の速さやテンポが不自然で不調和。

 

自然音は色んな音が干渉し合うから調和する(している)のだと思う。生き物もそれを乱さないようにしているし、それが乱されてる場では心拍数が上がるようなことが起きている。そのぐらい配慮された空間。

 

街の音は雑然としていて自己主張が強い。バラバラで煩い。周りの空間と調和しない中国人観光客みたい。心拍が乱される気がする。

 

だから僕はお散歩のときは大体イヤホンで音楽を聴いてるのだけど、さっきは久々にジムノペディを聴いてた。お散歩には合わないかなぁと思ったけど意外と良い。夜だからかな。No.1とNo.3を交互に。No.2は苦手だから入れてない。

 

僕はどちらもテンポが遅めなのがいい。虫たちの声のテンポは遅めだから。

人々の作り出す時間の流れ、その速度で回る世界、それに巻き込まれるのが凄くストレスなのだけど、一定感があるゆったりめの音楽を流して自分の速度を保つのもありなのかなぁと思った。


Erik Satie - Gymnopédie No.3

これくらいがいい。虫の声の間隔と合う。

 

No.1も好き。ちょっとゆったりなのがあったらいいなって思って探してみたら練習用のがあった。このくらいがいい。もう一個スローバージョンがあったけどそっちは音程も低くなっててなんか色々不安になった。影響されやすい。


Gymnopédie no 1 - E. Satie - Slow - How to Play Relaxing music- Tutorial

 

サティってどんな人だったのだろう。グノシェンヌとか聴いてても謎の親近感がわいてくる。

まぁいいや。おやすみ!

 

*そういえばメトロノームを心拍より遅めにしてかけると入眠に良いって以前どこかで読んだ。多分それ系のアプリもあるだろうし、そういうのとホワイトノイズの併用で何かできそう。

でもあまりに一定過ぎて僕はメトロノームが苦手だったり。わがまま。