感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

チェーン怪談

急に思い出したんだけど、小学生の頃、確か6年の初め、何とか婆さんっていう怪談があってさ。その怪談はチェーンメールみたいなもので、詳しくは覚えていないのだけど、話を聞き終わった後に「何日以内にこの話を何人にしないと今聞いたことと同じことが聞いた人に起きる」ってやつだった。

確か子供だか孫が事故で死んでばらばらになったから、その部品として腕とか足を取りに来るとか何とか。今考えると一人から全部取れよって思うよね。迷惑な話だ。

 

それを僕に話したのは、当時少し仲良くなったくらいの女の子だった。漫画が好きな子だった。何度か家に呼ばれたことがあって、段々と打ち解けている段階だった。

確かあれは掃除の時間で、第一校舎の1階の、東階段下の踊り場だった。その時はもう一人、口数が少なくてお姉さん的なポジションと僕が勝手に思っていた子も一緒にいた。

 

でね、僕はクラスで一番お子ちゃまというくらいのお子ちゃまだった(身長も一番低かった)のだけど、案の定その話を聞いて凄く怖くて大泣きした。

話した子はおろおろしていて、もう一人の子は一生懸命慰めてくれた。先生も駆けつけた。

本当に怖かった。数ヶ月はその話のことを考えたし、夜車の後部座席に乗ってる時はいつも追われているような白昼夢を見た。(そのおばあさんは車より速く這って走るとかって。今思うと痛そう。)

でも僕がもっと嫌だったのは、裏切られた感覚がしたからだった。僕が心を許そうとしていた子が、僕に対してその怪談話を持ってきたことが信じられなかった。自分が助かるために僕を差し出したも同然だって気がした。

それは多分、自分ならそんな話を誰にもしない、お婆さんに殺されても誰かに話せるものではないっていう感覚があったから余計にそう感じたんだろう。実際誰にも話さなかった。チェーンメールはいつも僕で止まる。

 

その子は「わたしだってこんな話したくないの。お兄ちゃんに聞かされちゃったから話さないといけないの。」って言ってたと思う。今思うとその子にとってはそうだったんだろうなぁとは思うのだけど。

そうなっちゃうともうその子の目も見れないもので、それからずっと小学校でも中学校でも話すことがなかった。

 

僕は根に持つタイプなのかと悩むことが何度かあった。しばらく我慢するんだけど、一度糸が切れると修繕不能になる。生理的に受け付けないって言葉があるけど、本当にそんな感じ。許す許さないの問題じゃなくて、もう近づくのが無理になる。チキンだからね。物理的にというよりは精神的な距離感で。

裏切られるのが怖いって頭で思ってるわけじゃないんだけど、身体は正直なんだよね。

 

ちなみにその子の出す僕に対する空気は、ずっと怒りと申し訳なさを混ぜ合わせたような感じだった。これは僕の主観だからそんなことあの子は思ってもいないかもしれないけどね。

 

一つ弁明しておきたいのは、それが、糸が切れるということがすべての相手に起こることではないということ。こちらがドアを開けなければそうはならないからね。そのドアは滅多に開かない。しかもセヴァストポリ要塞のように磐石…陥落するじゃん。マジノ線にしとこう。

 

まぁ、そう考えると僕はその子に好意を持っていたということで、そうなんだなぁって思った。

ピンっと切れた糸ばかりを見がちだけど、それ以前にはそうじゃない瞬間が続いていたってことでしょ。そう思うと面白い。

 

 

ノストラダムスの大予言とか関東大震災がまた来るとか、小学生時代は凄く怖かった。いや、中学校入ってもそのままだったかな。今だってそう。ただプロセスが早くなっただけで、誰よりも怖がるし不安になるから誰よりも早く冷めるのかもしれない。有り得ないようなことを想像しては恐怖と不安に震えてる。でもまぁ、チキンはチキンなりに生きるよ。