感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

解離 から そもそもずっとバラバラ? 母の子であった僕の不在 Love Lost (Piano) - Mattia Cupelli

解離について、海外のサイトを巡ってると気質によって解離になり易いのではないかという説があって面白かった。その人は性格型をもとに書いていたけど、あるトラウマに対処するのに心理機能的に脳内に逃げ場を作るタイプは解離になり易いのではないかと。心理機能的に反射的なタイプの人は無意識に投影で対処するけど、前者の場合は投影を意識してしまうのでそれが対処にならないのではないかとも。トラウマがそういう性格を作るという分析をする人もいる中で、この見方はなかなか面白いと思う。

 

大事なのは解離であれ投影であれ抑圧であれ統合失調であれ、生育過程における自己防衛の結果ということだろう。

 

他の言説では、その人は構造的解離という理論を使ってるけど、『人格の解離は成長過程における自己同一性の確立の失敗だから、すでに分離してしまっている人にとって統合された人格というのは幻想にすぎない』というものがあった。元々バラバラだったものが一つになり損ねたのが今の僕なのだとすれば、確かにそうなのかもしれないとも思う。

でも、昔のことはわからない。苦しんではいなかったけど、バラバラだったのかな?そもそもバラバラなのを意識したのは高校時代色々あって、その後少し回復した20代に入ってからだ。

 

もう一つ気になるのが、この人は、『自己同一性の確立の失敗は9歳頃までにトラウマ体験があると起こり得る』って書いてる。

非統合の記憶っていうのはないんだけど、9歳って言うとさ、母から聞いた話と重なるんだよね。小学校の担任から僕が「一人で誰かがいるように会話してる」って心配されてたって話。全然記憶にないけど。まぁ、その気はあったのだろうね。

覚えてないのが残念。仮にそれが非統合の別の自分なら、聞いてみたいことが山ほどあるんだけどね。

 

これらから気づくのはさ、高校時代の辛い時期に解離が始まったってわけではなさそうということ。僕の記憶の中では、あの時から自分を外側から眺めてたから、そこで分裂したのかなと思ってた。でももともとそうなり易い気質だったっていうのと、もっと前に自己同一性の確立をし損なってるということなら話は大分変わってくる。確かに記憶が抜けてる部分とか、もっと前からあるんだよね。大穴が空いてるのは高校時代だけど。

それにyoutubeで構造的解離理論やC-PTSDについて観てるとさ、これ幼少期からじゃない?って何度も思った。僕の場合、暴行やら生命の危険やらっていうのは高校時代しかないからそっちしか見てなかったんだけど、そもそもC-PTSDで苦しんでる人の中には日常的な家庭内暴力の目撃が原因の人も多いらしく、あれ?こっちもなのかって思った。

 

っていうのはさ、一番最初に戻るけど、これが単にトラウマティックなイベントに対して僕の脳が実行した対処反応だとすればさ、この二つの時期に起こった出来事の連鎖がかなり質の違う出来事だとしても、同じ対処反応を選んでる可能性は高いと思うのね。

「耐え難かった」、「そこに居たくなかった」、という点では同質だから。

 

きつい。もう少し頑張る。

色んな役割を演じながら成長する中で、バラバラが一つになりかけたけど完全に一つになりきれなかったということなのだろうか。そして高校時代ので一発中身が大きく切り替わった。

小さい頃のはさ、言い換えれば一つになるわけにはいかなかったともいえると思うのね。だって僕は同級生と同じく子供ではあったけど、家では兄をやらなきゃいけなかったし、何より毎日地獄を味わってた母を支えてあげないといけなかったしね。僕しかできないから役割になってしまうわけで。だから僕はさ、前にも書いてるんだけど、母に対してみんなが当たり前に使うお母さんという言葉がうまく言えないし、それはその言葉に付随する感情がしっくりこないから。言い換えれば、子の母に対する感情を持っていない。だって僕は支えなきゃいけなかったから。今だって元気そうな母を見れば微笑ましく思う。

どこか上から見てる。可哀想な人だったから。だから僕自身は可哀想の外側の役割として接してたのだろう。子供って単純。

母を尊敬しているかと問われれば尊敬しているけど、それは客観的な視点で頑張ってくれた母に対してで、母の子としてのありがとうではないんだよね。上手く言えないけど。

なんてことを書いてるのが母の誕生日なわけで、いつもさ、もやもやしながらプレゼントが届いたころ合いで「誕生日おめでとう」とだけ送るんだよね。他に何書いていいか分からないから。母は誕生日になると僕にも弟にも妹にも、長々と母親らしいメッセージを送るのだけど、僕は何を書いていいか分からない。おめでとうと言うのは素直な気持ちだけど。

 

何でこんなことを書いたのかと言えばさ、これはこの僕の感覚なわけだよね。仮にバラバラなままなら、母をママと呼んでいた、弟や妹が生まれる前の母が大好きであったであろう頃の僕はまだ居るのだろうか?彼はまだその感情を持ち続けているのだろうか。

だってさ、理屈上、その彼が非統合のままだからこの僕からその感情が抜けてるわけだよね。どこ行っちゃったんだろう。

 

いずれにせよ、やっぱり統合を目指せばいいというものではなさそうだ。解離患者の統合の追跡調査も読んだけど、統合に成功した人は15パーセントとかだった(うろ覚え)。僕自身、無理だろうなぁと薄々思っていて、そこにきて、統合された人格というのが僕にとっては単なる幻想という現実を突きつけられたようだった。

ということは、僕は、私という観念が希薄な、私たちのようなものという、曖昧で統一されてない自己を生きなきゃいけないってことだよね。今までもそうだったから、どこかで縛られていた自己同一性なんてものを完全に諦めてしまうチャンスでもあるわけだ。

 

バラバラなのも居心地はいいんだけどね。ただ、自分のことなのに分からないことが多すぎるし、今まで生きてきた自分たちが繋がってないから生きてきたって感覚も薄いのが難点なのね。虚無感の中に住んでる。

せめて必要な記憶にアクセスさせてもらえればいいのに。でもどうなんだろう。非統合を受け入れるとしたら、別の欠片が持ってる記憶や感情を諦めるってことなのかな。生き辛さを受け入れるってことなの?ここまで向き合ってきたのに詰みを受け入れろってこと?それはちょっと…

でもさ、経験として、凍り付いた記憶が氷解したことはあるわけで、あの時は耐えきれなかったけど、やり方はあるのかもしれない。

まぁ、詰みを受け入れきれないっていうのは肩に力が入りすぎなのだろうね。それでもいいやぐらいに思えれば…って思ったけど、現状がきつすぎて無理だなぁ。

 

先ず泣けないのをどうにかしたいんだけどね。涙が枯れたとか言えば聞こえはいいけどさ、それ出さなきゃその下の感情や記憶もダムの底に沈んだままなわけだよね。そっちが悲鳴あげてて。それがどうにかなれば別に泣けなくてもいいんだけどね。

泣ける自分がどっか行っちゃったってことなのかな?彼じゃ耐え切れなかったから?もうとっくにその状況は過ぎてるのに何で出てこれないんだろう。一緒に封じたのかな。ドラゴンボールにそんなのあったよね。壺に入れるやつ。はい。

 

何か急にドラゴンボールが浮かんだせいで緩んでしまった。今日はこの辺にしとけってことだね。

 

 

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