感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

2021年初夢 から

初夢、一晩に3シーンあったけど順番は覚えてない。

記憶の片隅にある光景が支離滅裂な内容と混ざり合っていて面白いけど、あんまりおめでたい感じはなかった。

 

・何故か昔住んでた家の2段ベッドの上の段から魚の仕掛けを垂らし、中くらいの根魚3匹と小魚、エビが多数捕れた夢。捕れたエビを1匹猫にあげた。(こんな家だったら楽しそう)

 

・これも昔住んでいた家の夢。そこは祖父所有の雑居ビルの3階で2階には塾が入っていたのだけど、夢の中ではそこの人と思われる人がうちの玄関前まで掃除に来てる(過去そんなことは1度もなかった)。向こうは気づいていない。僕は鍵を閉めようとするのだけど、ドアの種類がかみ合っていなくて鍵が上手く掛からず、警戒から鼓動が速まる。

その家では布団で寝てたのだけど、子供?弟?が僕に気を遣ってか寝る場所を代わってくれた。

 

・これは全然関係のない夢。原風景は自分の記憶にも全くない。でも一番印象に残ってる。

僕は少女(非実在)の家で本を借りる。僕はその子に気があって、その子は僕に気があるけど、お互い恥ずかしいのか自制的で距離は詰まらない。少女は僕が好きなことを姉に知られることを恐れていた(からかわれたり馬鹿にされるのが怖い)。この時夢の主観は少女と僕をいったり来たりする。我ながら中々斬新な夢だった。よく考えると肌の色とか身体的な特徴は僕に似てる子だった。色々深読みしたくなる。

僕に本を貸した時、ベッドに寄りかかって本を読んでいる姉に僕が居るのが見られそうになるのだけど、その時少女側はとても焦る。姉は誰か来てるのかと僕が見える位置で本を読んでいる弟に尋ねるのだけど、無関心な弟は表情も視線も変えずに誰も来てないと答えてくれて、僕もその子もホッとする。

それも束の間、今度はその子の両親と遭遇する。ここからはずっと僕視点だった。お父さんはやせて顔色が悪く、具合が悪そうだった。「最後に会ったのは去年の2月だったから1年とちょっと前だね」って言ってた。(ってことは夢の中は初春頃?)おじさんはその頃からずっと具合が悪いと言っていて、僕は心の中で「(もう長くないのかな)」とか、「(コロナにかかったら危なそうだな)」と思い、ちょっと寂しく、悲ししい気持ちになった。

 

ようやく外に出て、少女と別れた所で夢が終わり。家と外は境界があるようでないような世界だった。でも廃墟とかではなく、緑や清水がいろんな所にある。淡く、明るい世界。

お互い好きな気持ちに気付いていて、でもそれを表すことがない。それでもこのいつもと変わらない、お互い笑顔のバイバイが心地良く嬉しかった。

だからそれが大切で、壊したくないのかもと今になって夢の中での気持ちを振り返って思う。

 

 

1つ目の夢はなんかこう、内容的には小吉!って感じ。

 

2つ目の夢はちょっと怖かった。原風景があって、そこでの感情劇のような感じだった。何でドアが違ったのだろう?

あと、寝る場所を代わってもらった時、気を遣って譲ってくれたと僕は感じたわけだけど、その時に譲るという行為をした子供か弟は僕に対して気を遣ったのであって、それは推測でも共感でもなかった。

多分だけど、夢を作る側の意識と僕の個人としての意識はやはり繋がっていて、だからわかるという感じ。いや、当たり前なのだろうけど、あらためて体感したという感じ。なんだろう、夢の世界のワンネス的なものを感じた。

その一方で一つ一つ起こる事象やそこに働く思考や感情の意味が僕自身には分からないものも混在しているから、これって普遍的無意識と潜在・顕在意識の関係ともいえるし、例えば現実世界に個々と繋がる大いなる存在があるなら、こんな感じなのかなって。そしてそう思うとエスパー的なものとか、霊能者的なものも理解できるような気がした。

僕は実感が伴わないと理解できないタイプなのだけど、現実世界で僕ができない(から理解に至らない)ものを、夢の中で感じて感動したという話でした。

 

3つ目の夢はもっと深い所の夢だと思う。見た順は覚えてないから、1,2,3ってこれ無意識に自分の思う無意識の深さに並べたのだろう。記憶よりも向こう側の風景だから。でもコロナとか、そこら辺の思考が冷静に働くのは面白いと思った。

この少女が誰なのかは今は考えないことにするけど、これはとても大切な夢だと思った。

 

夢の中くらいもっとハチャメチャにやりたい放題したいって思うのだけど、僕はそういう夢を見ない。この夢から過去の夢を振り返っても、夢の中でも自制が働いてることに気付く。だから夢はただ見ているようでも、やはり夢の中の個人レベルで思考したり感じたりしていて、怖れも行動の選択も存在しているのだろう。これって途方もないことだと思う。

それと同時にその外側の夢を作り出す意識も存在しているのなら、夢を変えようとするときはそちら側にアクセスできないといけないと思う。そしてそれには夢の外側の意識があるのが手っ取り早いのかもしれない。だから明晰夢の手法は意識を保ったまま夢に入ったりするのかなって。

 

僕はすぐに何でも繋げて考えてしまうのだけど、仮に現実世界の中での意識の外側に意識があるなら、それもまた途方もないことだけど、こうして考えると全くそこに繋がる糸口がないわけではないのだろうとも思った。現実にそれを実際している人達は程度やアプローチは違えどしているのだろうと思う。

 

あと、夢の中にまで自制、コントロールが持ち込まれることについて、それだけ恐れが根底(?)にあって、だから自由を探すことに躍起になるのだろうと思った。根底ではないかな。でも思考の基盤にある。盲点にある?

 

 

なんかもう早々から初夢とか関係なくなってて笑える。おっさんの夢の話題とかつまらないものの上位らしいけど、落書き帳に何書いても僕の自由だからね。気にしない!あと、僕は他人の夢の内容を読むのは好きだよ?夢は楽しいです。悪夢ばかりで恐怖してた時期もあったけど、今は好き。