感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

イトミミズの塊 オートマタ インナーSM

頭の中がぐちゃぐちゃ。色んなものが絡まりあって排水溝の淀みに群れるイトミミズの玉みたい。でもこんなイトミミズ食べたらフナもウグイも嘔吐するだろう。鬱血して腐敗してるからね。

 

そのイトミミズの塊のような物体は僕の主観による疑念と、臆病の結びついた懐疑的な思考が作り上げたものなのだろうか。ほんっとにぐちゃぐちゃ。それが感覚にまで影響を及ぼしていることを実感しているから余計に物事について人と話すことが出来ない。

当たり障りの無い話に逃げる苦痛。

 

色んな精査をして物事を捉えなおす作業をするのだけど、それが主観に根ざしている以上、こっちを引っ張ればあっちが絡まり、強く引っ張れば千切れて痛いし、結局悪化することが多いんだよね。マシになったとしても糸ミミズの玉が分割される程度の話で、スッキリすることはありえない。気づけば分割したものをまた別のものとくっつけてややこしくしてるし。それをアライグマが食べ物を洗うくらい自然な動作としてやっているからたちが悪い。

自己矛盾製造マシーン。早死にするだろうなぁと思うんだけどやめられない。オートマタみたいなものでさ、その作業の結果なんて頭にないんですよ。

 

A「はいこれ違和感」→『遠近法』→「こんな感じかな。じゃあ後よろしく☆」

B「ほい。あれ、ぐちゃぐちゃじゃん。まぁいいや。どれとくっつけると見栄えいいかな?」→『紐付け』→「あー楽しかった!後よろしく♡ 」

C「(巨大化した謎の物体を見て)え、何これ…ダメみたいですね(記憶領域的に)。適当に千切ってその辺に仕舞っとこ♪」

知覚「あ、あれなんだっけ。」

記憶の司書「あああああああああああああ!!わっかんないよぉ!!!」

精神「ギギギ…」

思考「これはいけない。通念的な概念を導入しよう!」

感情「ダメです。だって違うもん。あ、でもここだけ好きだからこれはオッケー♪」

思考「よし、Aに処理させよう。急がなきゃ!」

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みたいな。こんなに単純でもないけど。これが繰り返されてる。致命的なエラーなんだよ。それを出火元をどうするわけでもなく消火器で火だけ消そうとするからこうなる。

 

矛盾しかない世界に合わせようとするからいけないのか。あちらを立てればこちらが立たず。どちらに引っ張ってもイトミミズは苦痛に叫び声をあげながら千切れる。その苦しみの喘ぎが支配的で…

いや、なんで両方立つことが前提なんだよって話だけど、それは何度も考えてる。片方を切る、割り切ることは僕にはできないのであって…その痛みを背負えと言われても無理だし。

何故背負わなきゃいけないの?って言われても、それを拒絶し続けた故の繰り返しだと思っていて…

繰り返しがいけないの?だって苦しいじゃん。僕が苦しいということは僕以外に苦しい人がいるわけで…

その基準となってる仮定がよろしくないのではないかな。でもさ、それを捨てるのは違うと思うんですよぅ…

結局チキンだから1000年先の夢を見るしかない。いや、それでいいんだと思う。

 

スパッと割り切って単純明快な人見ると「いいなぁ」って思うのは、多分憧れてるのもあるの。でもその「いいなぁ」に皮肉が混ざっちゃってる時もある気がする。良くないなぁとは思うけどそれは置いといて、そう感じるという事は心の底からそうなりたいとは願ってないわけですよね。

じゃあ何が望みだてやんでえ!べらぼうめ!

ふぇぇ…わかんないよぉ…

 

だからすべて捨て去って動物になりたいって話でして…

 

そう言いながら苦しいのが気持ちいいんだろぉ?ほら!

苦しい!もっと!

 

文字にすると滑稽を通り越してやばいね。でもまぁこんな感じだろうなって。

金曜の夜だよ!お散歩しよ…