月が眩しいと感じる時は駄目だなぁ。
僕は何を求めているのだろう。静寂、温かさ、優しさ、柔らかさ、強さ、抽象的なんだよね。どうしたら見つけられるのだろう。
内側の問題なのはわかる。掘って掘って掘る。色んな断片を組み合わせて、他者のリフレクションを作り出して、見つけようとすればするほどよく分からない自分が増える。
人生の課題なのは分かる。焦っても仕方がないのも分かる。でもその時間の流れでこっちの世界は動かないし、こちらについていくならやはり自分の内面にケリをつけないとどうしようもない。
抑圧と影なのか、レイヤーなのか。元々持ち合わせているものなのか、作られたものなのか。結局どこを探せばよいのだろう?一つ掘り起こそうとすれば鎖状の記憶が邪魔をするし、記憶にまだ大きな氷河が残っているのも気づいてるけど、これに触れる勇気もない。
DDだとかDIDだとかCPTSDだとか理由をつけるのは簡単なんだけど、それは点だから見ても仕方がない。
例えばDDだとして、元々の気質にレイヤーの形成があるとするならどちらを見ればいいのだろう?両方、もしくはそれ以上の要素の複合というのが一番自然なんだろうけどね。
結局の所、人格のレイヤーなのか、分裂なのか、捉え方次第でどうとでもなる。
『主観的事実』と『思い込み』の違いは何なのか。思い込んだ時点で事実ならば、そしてその主観的事実が経験、記憶をマニピュレートして人格を作り上げていくのなら、例え自己暗示でも気質にしてしまった方が良いでしょ。と思うのだけど、思うのだけど…そうは問屋が卸さないんだね。めんどくさ。
いつも迷子。
でもやっぱり無意識を急いで掘り返そうとするのは良くないのかもしれない。見つめれば見つめるほど、深く入れば深く入るほど、何が何だかぐちゃぐちゃになって分からなくなる。
例えばさ、輪廻転生っていうけどそれがあるとして、「この生に意味がある」なんて言うのなら、僕はどんな大悪党だったのだろう。いや、そうならそうと言ってくれれば…まぁ苦しいことに意味があるのなら理にかなってるか。もういっそエル・カンターレでも信じようかな。うそ。
最近思い出したように酒井法子の曲を聴いたりするんですよ。
特にこういう沈んだ時。
昔色々あった後、だんだん感情が戻ってきたくらいの頃だったと思う。もっと前の夜と霧状態の時だったかもしれないけど。まぁいいや。
穴が開いたような、晩秋の寒さのような孤独感が酷い時とか、抑えて抑えて色々決壊する時とか、この人の歌にはよくお世話になった。今聴いても好き。
特に『碧いうさぎ』と『鏡のドレス』。どちらも同じドラマの主題歌らしい。
僕はのりぴーさんって歌しか知らないのだけど、この人の歌う淋しさ、孤独さ、悲しさ、寒さ、反転して優しさ、温かさって感情がとても自然に入ってくる感じがする。逆に明るい系の曲はちょっと痛々しさを感じる。
多分だけど、ドラマのキャラクターなんかも自分の内側で人格を作って演じるタイプの人なんじゃないかなと思う。ジョニー・デップ的な雰囲気がある。それって自分の中で元々持っていて、それを元に練った、感情で作る人形のようなものだから、凄く自然な感情がこもった演技になるのだと思う。感情的な根拠があって作られるもので、それは本人の分身だから。
本人の孤独さがあって、それに基づいて表現されるから、それに付随する感情も付いてくるというのかな。孤独から希望への浮き方、寒さを知っている人特有の柔らかく強い温かさの与え方というか。若い頃は色々大変だったんだろうなぁと思う。
勝手な想像だから的外れかもしれないけど、一応僕の主観的な根拠がありまして…
まぁ、同族意識もあるのかなぁ。同じものに基づいてる、そういう感触のある感情だから身を任せられる気がするし、だから引っ張ってもらえるっていうのもあるのだろう。チキンだからそういう根拠がないとダメなんだよね。
待つ側の人間の孤独と寒さ、でもだからこその強い想い、祈り。
この歌は終盤に飛翔的な明るさも備えている。靄が晴れた後のような、雲の上に出たような。それがまた気持ちの浮き沈みに対応しているようで、静かでも溢れるような希望がこもっていて、そのまま引っ張りあげてくれるような感じもある。
こっちも好き。
「ショーウィンドウの中の笑わないマネキン」とか抑圧という部分で僕そのものだし、「暗幕の星々が教えている」って素敵じゃない?
こっちの作詞の人は探してみたけど他の曲が見つからなくて残念。
どっちの歌もかなり自分を当てはめて没入してたと思う。今もできる。
乙女ちっくなおじさんでしょ。いつも寒さに震えてるから愛の温かさに憧れるのだろうね。迷子だから許して。