感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

待ちぼうけ

「今日も来ないなー。」

 

子供の頃、一緒に時間を過ごした子の中でも何だか僕が好意を抱く子がいると、また一緒に遊びたいなって一人で待っていたことが何度もあった。

「どうしたんだろうなー。」「また会えるかなー。」って。

 

僕は小学生の時は外遊びが好きだった。決まった友達と毎日遊ぶわけでもなく、外でフラフラしてそこで会ったこと遊んだり、そうでもなければ一人で虫捕りして過ごしたり。

時折外でたまたま知り会った子と一緒に過ごすのだけど、その子が学校が同じとは限らなかったし、連絡先なんて交換することもなかった。でもその距離感は、今思えば僕に合ってたんだろうな。

 

出逢った子の中でも、一緒に過ごした時間がとても僕の中に残る子がいたもので、一人で遊んでいるふりをしながら待ちぼうけをしたりした。

暫く会っていなくても、急に思い出しては居ても立っても居られなくなり、一緒に過ごした時間を求めるようにその場所に行ったり。

 

 

購読中のブログのリストを眺めてはその時と同じ感覚になる。

 

人の内面に触れることって少ないのだけど、僕にとっては読むだけで一緒に時間の流れを過ごしたも同義なのだろう。僕がその文を書いた人と同じ感覚を持っていれば、言葉を復唱するように内的に経験して物事を感じているわけで、僕にとってのその人やその人やその人に対する心理的な距離感は縮まっているのだろうから。

 

この、ブログならではの書く書かないの自由、そして距離感が好きだからこそ、早く帰って来いとは言わないけどね。

何よりプレッシャーは与えたくない。じゃあこんなこと書くなよとも思うけど、きっと僕のこの、感覚を書き残しておきたいという気持ちは伝わるだろうと思う。

 

でもそれらのブログ名がリストに出れば、きっと僕は喜ぶ。それはもう飼い主の帰りを察知してハァハァいいながら尻尾を振る犬のように。でも見せる素気なさは猫のように。

 

今日もまた夕暮れの公園。でも便箋を空き瓶に入れて流すから、砂浜のようでもある。