感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

今と夢、一昨日の夢、僕と夢

何で人間を生きるのはこんなに難しいんだろう。ずっとトンネルを歩いているようですぐに追い詰められてしまう。

外を歩いて風を浴び星を見ているとその外側に居られる気がするのに、また元の場所に戻ってきてしまう。自然の中にいる自分と人々の中に居る自分がこんなにも違うのは、この2つが全く別の世界だからじゃないだろうか。

そのまま飛んで行ってしまいたくなる。薄れて漂って。でもそれができないのは縛られていて縛ってるからだろう。

 

全て終わればその先は安らかなのかなとか、外に出られるのかなとか、どうしてもそっちに考えちゃう。今を懸命に生きてる人は尊敬に値すると思う。楽しんでいる人達も頑張っている人達も。

僕もそうやって生きれるのだろうか。でも他人の生き方を目で追うべきなのだろうか?

夢の延長に生きている人間にはやっぱりその生き方は難しいのかなとも思う。

今が大切なのはわかるし、森の中に居る時のように今という瞬間の連続で在る時の感覚はとても自然。なんだけど、やっぱり僕は夢の中が好きなんだよね。

 

草の気持ちを思ったりだとか、小さな木に30年後の姿を重ねたりだとか、ピョンピョン跳ねてる鳥の中に入ったりだとか、川の底に見えない魚や怪物を想ったりだとか、花の香りに記憶のワームホールをあっちに行ったりこっちに行ったりだとか、沢山の星々の下で時間も距離も超えたりだとか、あと月を旅行したりね。

今っていうのも難しい。外の知覚に集中していればそうなのだろうけど、僕は気づけば自分の中に居て、記憶や思考やイメージや感情を行ったり来たりしてる。

 

前は夢見がちな自分を良くないと思ってたけど、今はもう認めていると思う。完全にかどうかは自信がないけど。だから今に生きるのが難しくてもそれでいいと思う。今が今とは限らないかもって思っちゃうしね。

 

一昨日2つの夢を見た。1つの夢は(また)ゾンビ系だった。籠城拠点を構えるの。そっちはまぁいいんだけど、もう1つの夢は海外の女子学生が何人か出る夢。

多分僕の家かどこかに数人が滞在していたって設定。で、僕は彼女たちと同じくらいの学生らしい。その夢は1シーンだけだった。夜、翌日国に帰るであろう彼女たちの部屋(個室)に順番に行って挨拶する。2人挨拶して、最後の1人はちょっと親しかったみたいなの。凄く別れ惜しいけど、でも顔を合わせるとその瞬間は嬉しかったから笑顔で別れを伝えられたの。最後にさっとハグをしたんだけど、柔らかいセーターの繊維の感触、温かさ、それとすごく鮮烈な匂いを感じた。人の匂いだけど、そして普段嗅ぐ人の匂いより強かったけど、でも不快ではなかった。懐かしかったし落ち着いた。

夢の中でこんなにはっきりと匂いを嗅いで、そしてその記憶をこっちにそのまま持って帰ってきたことは初めてかも知れない。

 

凄く色んな感情や感覚が入り混じったシーンだった。でも夢にしてはとても自然だった。ゾンビの夢と違ってね!

 

その寂しいけど懐かしくて幸せなハグだけで夢が終わって、その朝はとてもセンチメンタルな気持ちだった。その満たされた気持ちを再現したくて、もう一度その夢に入ってそのままもう出られなければいいのにとも思ったね。今もちょっとそう思ってる。ちょっとじゃないね。いっぱい。 

あんな匂い嗅いだことなかったと思うんだけどな。人間はとても不思議。気付くと手を眺めてる。手がとても不思議。

 

また会いたいな。

あ、いやらしい気持ちはないよ!二人はそういう関係じゃないはず。それに僕は生まれて3回しかいやらしい夢は見てない。1つはゴリラにレイプされる夢、1つは男性にレイプされる夢、もう1つは覚えてないけどそれもろくな夢じゃなかったと思う。前の2つは飛び起きて脂汗いっぱいの夢だった。ネタにしたいけど誰にも言えないからここに書く。多分前にも書いてる。

 

今夜も良い夢見たいなぁ。あんまり良い夢って見れないけど何よりも楽しみ。見れるかどうかもわからない夜の夢を楽しみに一日過ごす日もある。逆?違うんだよなぁ。そう言い切るくらいには現実の濃度が薄い。それだけが救い。

夢は楽しい。無限大。満たされる。現実は辛くなってしまう。現実の大切さが薄い。そもそも現実とは?

 

夢見るから生きれるんだよ。僕はね。Q.E.D.