感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

高熱

気づけば自分が高熱に喘いでいた。全身関節痛に頭痛、揺れる視界。

でもこれだけ突き抜けた高熱だと「しょうがないね」と思ってお仕事に行かない自分をあまり責めなくて済む。そもそもこっちは病欠にはかなり寛大だから、そこまで考えなくて良いはずなのに。

 

何故病欠で自責するのか、この感覚はいつ導入されたのだろう。

「~がどれだけ辛いけど仕事は頑張ってる」とか「最近の若いのはどうの」とか「私が君たちくらいの年の時には寝ないで働いたよ」とか聞くの大っっっ嫌いなんだけど影響されちゃってるんすよねー。

それに気づいてるから聞くのが嫌なのか。

 

そういう人に限って自分が風邪をひくと疲れが出たと言ってしっかり休むのに、それを真に受けるなんてバカバカしいと毎回思ってる筈なのに。

異人種の言葉は所詮異人種の言葉でしかない。そういう前提でコミュニケーションしてるつもりでもマウント取られるとダメ。だってすぐ怒るじゃん。そう、怒られたくないだけなのね。小学校から何も変わらない。

 

三日四晩寝込んだ。

身体中痛いしダルいしで何もできなかったけど、こんなに幸せなことはないね。数時間間隔で目を覚ましてはまた気怠さに落ちてゆく。その瞬間が本当に幸せ。時間を気にすることなくただその気だるさと眠気に全てを委ねる。

身体的にはまぁ辛いけど、その悦びの方が圧倒的に勝る。

生きていても劇を観ながら苦しんでるばっかりだから、そういう意味ではある種の解放。強制的で強迫的な時間からの保釈。誰にも妨げられない眠り。なんて心地よいのだろう。

 

落ちる度に同じような夢を見た。もやがかかっていてはっきり見えない中、何故か浄水器のフィルターが生命の源とリンクしてるっていうやつ。他に覚えてるのは気づいたら腹から血が出ていて、見たら穴が空いてる夢と、ゲジゲジの大群がたかってくる夢。ゲジゲジ達は何故か怪力で自由を奪われた。どうでもいいね。

 

今日はまだふわふわ気味だけど、明日には全快かな。

一ヶ月くらい寝たい。