強くなりたいとは思う。でもそれは君を打ち倒す強さではないし、君を言い負かす強さではないし、君の排他的な言葉の流れ弾を受けて傷つかない強さでもない。
君の攻撃的な言葉に相槌を打つ自分にはうんざりだけど、相槌を打たないのが強さだと言うならそれも求めてない。
僕は相槌を打ち相槌を打った自分自身を軽蔑することでしかバランスが取れない人間だ。
僕が求めるのは自らをより強く罰すことで君の排他性を受け止めた自分を、君が蔑む人たちへの、その人達が直接受けずに僕が今手に持っているその言葉達を僕の中で中和し消化することなのかもしれない。
刺々しく瘴気を帯びた言葉を消化する強さ。言葉だけではなく、様々な形で入り込んでくるもの達を処理する強さ。
それは、君の世界も、君が蔑む世界も、君が賛美する世界も、全てをそれぞれ僕自身の目で見つめるために必要な強さでもある。
見つめなくてはならない。業が深かろうが、おぞましかろうが、美しかろうが。
でも今の僕は君の言葉を受け止めるだけで精一杯。受け取ったその言葉達の不快感に打ち震えるばかり。このままでは君という世界とは対峙できそうにないから、だからその強さが欲しい。
それは僕の内側で君の世界を再構築するために必要だ。なぜ再構築が必要か?そうしなければ存在しないからだ。
必要性などわからない。でもそうやって組み上げて初めて僕の内側の同じ部分を確認できる。確認できないものは捨てることも、それだけを見ることもできない。
君との時間がどんなに辛くても、僕が穴を掘る以上君の存在は僕にとって無価値にはならない。同じように瘴気を放つ僕を見つけ出す為に。分離する為に。