感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

道の覚え方から 知覚機能と躓き 僕と学校の教科

この街に移って間もない頃、助手席に乗る知人に道順を教えてもらいながら運転していました。彼の説明は「そこを右」「次の信号を右」「~の建物の次の交差点を左」といった順番通りの説明。説明通りに運転するのだけれど、何回通っても『道順』を覚えられない。

「道順なんか一回で覚えられるだろ?」という心無い言葉。「道覚えるの苦手なんですよ。」と誤魔化しつつ心の中では(イメージが湧かないんだから覚えられるわけないのになぁ…)と思っていた。

次の日、仕方がないのでGoogle Mapで調べ、広範な地図、主要道路、要所の位置関係等を調べてから運転した。運転しながら頭の中で地図をイメージし、連動させながら覚えると、しっくりと地図情報や位置関係が頭に入り、いつでも頭の中で3次元を描き、移動できるようになる。

 

こういった事は小学校から今まで、無数に経験してきた。

学校の授業やテスト勉強も、中学校の頃やっていた剣道部も、言われた通りにやるのだが、何かが違っていた。

学校で習ったことは「なんとなく」言われた通りやってしまうので、楽しくもなければ「なんとなく」答えは分かってもしっかり理解しておらず、応用できないことが多い。

剣道もまた、なんとなく言われたことをやっていた。別に思い入れもなかったし、部活だからしかたなくやっていた。今思えば意義も見出せていなかったため、楽しくもなく、ただ体を動かしていただけだった。そしていつも途中でいつの間にか空想に浸り、何をやっているのかわからなくなる。

何事もわからないままなんとなく合わせてやることに慣れてしまっていた。

 

色々な心理学で説明がされるが、MBTIに繋がるユング心理学の優先される心理機能の違いという説明が僕の中ではしっくり来ている。この場合は知覚機能の違いが大きく、詳細からボトムアップで認識するのが得意な感覚(S)型の人、全体からトップダウンで入るのが得意な(N)直感型の人、という優位性の傾向の話。

誰もが双方の機能を持っているが、知覚機能の場合は特に意識しない限り優位(得意)な方が自動的に優先されるとされる。それが子供の頃の違和感を説明するにもしっくりくる。分かりやすい授業と何をやっているのかわからなくなる授業の違いもその部分に見出せる。僕の場合我侭だから興味も大きいけれど。

各教科と僕の関係を振り返って例に挙げてみる。

 

『国語』

漢字の読みは得意だった。形が何となく意味と関連付けて記憶されてるから。でもいざ書き順通りに正確に書こうとすると出てこないので、書きは苦手だった。

音読とかよくわからないから、自分一人で読むのは好きだった。作文はいつか書いたと思うけど、別の理由で嫌いだった。

テストに出る

漢語はどの枠でやったのか忘れたけど、これも苦手だった。意味が分からないまま覚えさせられて楽しくなかった。和歌もそう。意味やロジックが分かれば楽しかったかもしれない。今は和歌や俳句も好き。

 

『算数』

算数は得意だったけど数学に移って駄目になったのもその点だった。算数は数字や図形が形でイメージできる。数学はそこにたどり着けなかった。算数の延長みたいな教え方をしないで、言語的に教えてくれればよかったのに。

 

『理科』

好きなのは勝手に教科書読んで覚えてた。

化学は興味がわかなくて未だに苦戦する。もう少しこう、物質それぞれのイメージが固まって現実と関連付けて覚えられればいいのだけど。教科書や動画を見ても、それぞれの物質のイメージが違うのは良くないと思う。一度定着すれば問題ないと思うけど、僕のようにイメージに振り回される人間には辛い。化学式も算数の延長だと思い込んでいたのがいけなかった気がする。また勉強してみようかな。

 

『社会』

小学校の時は記憶にない。何やったっけ。

中学に入ってからは地理は得意だったけど歴史は苦手だった。特に日本史が苦手だった。年号とか覚えさせられるのが苦痛でしかなかった。

でも趣味として点で記憶されていった戦史や政治、地理や自然環境、芸術が繋がるようになってくると、全てが勝手に繋がって気づけば世界史が頭に入っていた。覚えようとしなくても自分の中で繋がれば勝手に記憶される。近代なんかは大英帝国様様である。今更覚えてもレール的に見れば手遅れだけど、レールに乗らなくて結果オーライだろう。

日本史も結局は日本だけで覚えていたからいけないんだと思う。世界史の中の日本なのだから。年号と名称とかより、『いつ』『誰が』『何を』『何のために』『どのように』を、それぞれの関連性を持って覚えられないと難しい。そういう意味で戦史や政治状況の概略図、相関図なんかはとても分かりやすい。ハプスブルク家とかもうぐちゃぐちゃだけど、興味がそのぐちゃぐちゃを気持ちよくして覚えるわけで、それが日本史に適応できれば気持ちよく覚えられると思う。その興味がまだ湧かないけど。僕の場合日本史は人物に興味が湧かないから、土地の特色、交易なんかから繋げられれば面白くなるのかもしれない。

あと第二次大戦楽しみにしてたのにさらっと日本が悪いで終わらせるのほんと酷いと思った。人の楽しみを何だと思っているのか。

 

『体育』

体育は苦手だった。体動かすのは得意ではなかったし、複雑なことを順に覚えさせられると途中で何やってるかわからなくなる。球技は一番嫌いだった。痛いの嫌だしチームプレイも嫌いだもん。失敗したら迷惑かけちゃうじゃん。ボール追っかけるのも意味わかんない。できるのは跳び箱や体操、水泳ぐらいだった。

 

『音楽』

歌も楽器も強制作業にするからいけないと思う。楽しくないし覚えられない。その上点数までつけられるから興味を失ってしまった。やり直したいなぁ。

 

『図工・美術』

好きだった。『自分の表現』が許される時間だった。皆がウサギの笛を作る中カエルの笛を作っても怒られなかったし、絵も好きに描けた。でも中学の美術では先生に「いいんだけどこまごまし過ぎ」と言われて傷ついた。僕の見る森はこまごましてるんだけど…僕がいいなぁと思ってた友達の絵の評価が低かったのも気になった。今考えるとそもそも評価いらないと思う。

 

『家庭科』

小中を通して僕の成績が一番よかったのが家庭科である。楽しかったし、現実にすぐ結びついた。給食に食育の一端で栄養の説明がいちいちあって、それが家庭科で習う栄養ともすぐ結びついた。ある意味で味覚に直結したのも良かったんだと思う。

 

『英語』

英語は好きだったけど授業はつまらなかった。点数は取れたけどあんまり釈然としなかった。今考えても必要のないテストが多いと思う。それと名称を『アメリカ英語』か『英語(US)』に変えたらどうかと思う。

授業の思い出と言えば、クラスに一人帰国子女の子がいて、先生はその子に発音させるのだけど、その時の周りの反応が僕は嫌いだった。日本の学校の象徴的な空気。

 

『道徳』

ふざけてるの?

 

 関係ないことまで書いてしまったのでわかりづらくなってしまった。

 

傾向として、僕は順番に与えられた情報をそのまま作業的に覚えるのは不得意で、全体が見えるとイメージが繋がり、理解し易くなるという事。

MBTIの便利なところは、その傾向に基づいて色んな所で情報が集められているところだと思う。僕はそのS感覚 - N直感では後者の傾向が強いのだが、これもマイノリティ側。社会全体で多くの人はS側に傾いているのでそこに躓きを感じないし、教科書もそちらに合うように作られている(意図されず)ものが多い。順番に淡々とただ情報をインプットする先生と、分かり易く概要を伝えてから入ってくれる先生(珍しいタイプ)の違いもそこにあるのかもしれない。

 

このひたすら情報を覚えさせる授業方式に躓いたり、そういった教室に馴染めずに弾かれたりするのも僕と同じタイプの人が多い。それはマイノリティ側なので仕方ないことなのだろうけど、感覚の優位と同じく、これも早めに対処法に気付いていれば対処することが出来た問題だった。

 

僕はまだ『わからないままなんとなく合わせてやること』に慣れられたのでマシだったとも言える。それは逆に不幸だったとも思っている。でもそもそも社会の枠やキャリア自体に魅力を感じないからこれでよかった。

ただ、多くの人は社会に生きる道を求める。しかしこの学校で人生が決まってしまうような社会では、先ずは多数派の性質に合わせて合理化された学校教育によって同質性の篩にかけられる。その篩で可能性を潰されてしまった子はどれだけいるのだろう。どれだけの子が無意識のままこれから選別されようとしているのだろう。そう考えるととても辛くなるのです。

 

せめて彼らが自分を知り、違いを知り、対処法を知っていたなら、たとえ自分に合わない中で学習することになっても自分自身に『出来ない子』というレッテルを貼ることもないだろうに。

子供に対して合わせられない方が悪い(と口には出さなくてもそういうシステムになっている)というのは横暴だと思う。必要なのは個が自分の特性の活かし方に気付けるサポート、そして生き残るためのサバイバルツールだと思う。

難しい問題ではないのに、マイノリティであるがために認知されずに、又は無視され、繰り返されてしまう。それは悲しいことだと思う。

 

 

「道順なんか一回で覚えられるだろ?」

子供の頃からこういうことばっかりでした。それに適応したがために、テストで答えは分かるけどなんでその答えが出てくるのか自分でわからなくなったりする。せめて自分に合った地図・位置関係の覚え方のように気付き、理解しながら学習していればそうではなかったのかもなぁと思うのでした。