感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

クラクションに見る攻撃性 正当防衛 感情の発散

車を運転してて、咄嗟にクラクションを鳴らすという行為がとても苦手なことに気付いた。

クラクションは全く使わないわけではないけれど、やっぱり最小限。僕が使う時はいつも無意識に線を引いてるんですね。相手が車でも歩行者でも、何となく「怖いなぁ」と事前に僕が察知していることが条件で、その時に鳴らす条件を作っているようだ。

そういう時はいつも右手の親指をクラクションに添えて「来るなよ…来るなよ…」と念じてる。攻撃性を見てるのだろう。

 

映画やアメリカ警察のボディカム映像にある、武器を拾おうとする相手に向かって念じてるやつ。ブラックホーク・ダウンでマイクが「Don't do it lady!」って言ってる場面とか、そういうのが頭に浮かぶ。

仕方なく鳴らしてる。少なくとも正当防衛だ、そう思いたいんですね。

クラクションというもの自体の認識が既に攻撃的なもので、武器のような感覚があるんだろうな。

 

それだけ鳴らされた時に精神的な攻撃を受けたと認識しているのだろう。

こっちが悪い場合はいいのだけど、示威的に使う人と行き場のない感情エネルギーの捌け口に使う人が多いから、それが嫌。

こっちが悪い場合でも、加減ってものがあると思う。自分の正しさを主張したいがためにワーワーワーワー言う人も好きじゃなくて、多分それと同じものもクラクションの世界に見てる。

あ、それらと同じに見做されたくないというのもあるのか。いつもの…

 

だから舐められる?

そうなんだけどさ…でもそれで僕がいいんならいいんじゃないって思う。

ダブルパークされて駐車場から出られない時も、まぁクラクション鳴らせば早いんだろうけど、別に急いでないしなって思っちゃうし。急いでてもトラブルと天秤にかけるとまぁ遅れる方を選ぶだろう。

 

事なかれ主義なんだよね。

以前同居してる人が、自分の駐車スペースに知らない車があるのを見て、運転していた僕にクラクション鳴らせと言ってきて。仕方なく鳴らしたら出てきた持ち主と怒鳴り合い始めるし。

別に他の駐車スペースあるんだからそこに置いといて、後でやんわり言えばいいじゃん?って思っちゃう。実際は結局言わないんだけどね。

ダブルパークにせよ無断駐車にせよ、相手にも事情があるかもしれないじゃん?それなりのリスクを冒さなきゃいけない状況かも知れないし…そうじゃないことの方が多いんだけど。

 

まぁでも怒鳴る人、クラクションも似た物として、そのハードルが低い人、そういう人たちは感情のエネルギーが有り余ってるのかな。外に出すってすごい。

 

僕はなんか感情に振り回されてるくせに外に出すのは苦手。

あ、外に出す人はそれで発散できるんだよね。発散する機会をう伺っているとすら思えることがある。僕を巻き込まないでくれればどうでもいいんだけど。

 

発散、僕は外に出しても発散になるどころか増幅した挙句負に反転して返ってくるから。良いことがない。まぁ苦手なだけなんだけど。

コントロールを解き放って放出したら気持ちいいのかな?と一瞬思ったけど、出来ないものを想定しても仕方がない。

 

やっぱりクラクションは嫌い。せめてこう、もう少し茶目っ気のある可愛い音ならいいんじゃないかな。

気付いて注意が向けばいいんでしょ?可愛い音なら受ける側も変なダメージ負ったり、無駄なこと考えたりしないし、増してやパニックを起こして余計危ないことになることもないだろう。

音に感情を乗せる側も可愛い音なら感情が乗らないと思うから、使いどころをもう少し考えるようになると思うんだけどな。

 

そもそもクラクションの目的は何なのか。そこなんだろうな。

多分、多くの、特に車好きには僕の今思いついた意見は嘲笑された挙句却下されるのだろう。パラリラパラリラやってる兄ちゃんとそんなに変わらないんじゃないかなって思ってしまうけど、まぁ彼らにも『かっこいい車』に特別な想いがあるのだろうしね。そうじゃないと特定の層には売れないのだろうし。

 

そういう人達からしたら、可愛い音のクラクション鳴らされると逆に腹が立つんだろうなぁ。中学生の頃不良くんに、にやにやしてんじゃねえぞ!って連れて行かれてプールの陰で殴られたけど、それと同じことが起きそう。不愛想にしてると怒る人もいるし、何なんだ。

人間とはつくづく面白い生き物だと思う。

 

めんどくさ。