感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

髭 服装 節度

僕が髭を剃らなくなって二か月になろうとしている。特別な理由はない。

普段は村にいる時は剃る理由がないから面倒くさくて放置して、街に戻ると剃るのだけど、今回は街に戻った時シェイヴィングフォームが切れていた。そのままオフィスに行ってもそこまで嫌な視線は感じなかったから、慣れてしまった。

それはそうだ。こっちはイスラム教徒だらけだから珍しいものでもなんでもない。

 

ここまできたら屋外で半裸になってヨガのポーズで写真を撮ってから剃ろうかなとか思ってたら、それも面倒くさくて実行できずにこうなっている。

生化学兵器を使った戦争になったらガスマスクがしっかり使えずに真っ先に死にそうだけど、そもそも僕のような民間人である外国人にガスマスクが支給されることはないので心配の必要がない。

 

さて、そろそろ長さ的に不快も増えてきた(乾きづらい、食べ物が口ひげにつく、鼻水が出ると災害状態)のだけど、ここまでくると剃るのが本当に面倒くさい。先ずは切らないと上手く剃れないし、時間も掛かるし、剃った後痛いだろう。

 

それに何となく、ここまでくると剃るのがもったいなくも思えてくる。

以前同じくらいの長さになった時は段階的に剃って遊んだ。顎髭の脇だけ剃って数日過ごし、顎先だけ残して数日過ごた。その後は口ひげだけ残し数日過ごし、最後はちょび髭で数日過ごした。

東条閣下からヒトラーになった感じ。

本当は馬蹄型をやってみたかったんだけど、僕は口の左右下側に髭が生えない。他は多いのに。

 

今回は折角だから口ひげを整えてどこかの軽騎兵紳士風にしてみようと思ったけど、おしゃれの為にジェルや油のような不快なものをつけて過ごすのには抵抗がある。というよりそんな気力がない。

切り揃えてもいないし、髪も伸びてきたし、服はどれもよれよれでウェストポーチは継ぎ接ぎが目立っているので浮浪者にしか見えなくなってきた。

元々浮浪者気質なので、ある種のアイデンティティを確立(回帰?)したようでそれはそれで良い。

 

それなりに綺麗な服はないわけじゃないんだけど、特別な時用にセーブしてある。入管に行くときとか、日本からの人と会うときとか。

普段は着慣れた服がいい。でも10年ものになると普段着としては生地が限界になってくる。限界が見た目に見えていても、そろそろ捨てろと言われても、着慣れた服やズボン、パンツは着心地がいいのだもの。着る前に着心地が分かる、自分の皮になってるんだよね。その安心感は形容しがたい。

こっちは穴あきの服でも、子供向けキャラ柄のTシャツでも、股下に継ぎ接ぎが見えるズボンでもあんまり気にする人がいないので、気が楽でいい。日本や韓国から廃品回収として無料で集められたであろう古着がいたるところで安売りされていて、中所得くらいの人はそれを普段着にしていたりする。

 

古着はたまに掘り出し物があるから見ていて楽しい。どこかの体育祭か文化祭でお友達同士名前やメッセージを書きあったのであろうTシャツが日本円にすると50円で売られているのを見た時は複雑な心境になった。

僕も村用は古着を買う。洗剤とか香水とかいろいろな匂いが染み込んでいて辛いので何回も洗わないといけないのが大変だけど。

 

僕のおしゃれ用ズボンは日本に帰った時にホームセンターで買った作業着。何と履きやすく丈夫なことか。そしてこの機能性。作業着という概念が一般労働者にないので、オフィスに履いていっても誰も気づかない。そもそも僕も違いが分からない。日本からの知り合いには指摘されたから、どこか違うのだろうけど。

 

こっちで作業着屋を開けば一発当たるかな。でも肉体労働者はパスポートも持ってない海外からの貧困労働者が多いし、難しそう。

 

日本の速乾性肌着やランニングシャツもなかなか着心地が良いので一時帰国の際に2枚ほど買うことがある。裸の大将よろしくお散歩には丁度いい。

 

 

服装、髭。流石に日本人と会う機会もあるお仕事でこれは良くないと思うことがある。

 

良くない?良くないというのは偏見ではないか。それを考えると逆をやりたくなる。

でも不快に思わせるのは、例えその土台が偏見であったとしても良くないかなぁともい思う。でもその偏見を打ち破るためにはその不快を恐れていてはどうにもならない。そもそも他人軸で考える問題なのか。

見た目整っていないと信用されない日本に居るならまだしも、そうじゃないからハッキリ言ってどうでもいいんだよね。あ、でも日本人と会うからという前提だった。

 

この前も日本人の知り合いと会った時は羞恥を感じた。こっちの住民と会うときは全然気にならないのに。勿論その方にその意図はない(と思う)。相手の感じ方は関係なく、僕の中に根付いている節度というよくわからないものがあるのだと思う。めんどくさ。どこまでいっても僕は日本人。中途半端に節度を捨てれば戻れなくなるだろうし。

それでもいいけどね。でもどこかでそれでいいと思い切れてないからこうやって意識に浮かぶんだろうなぁ。

 

何で髭ごときで日曜の朝からこんなことを考えているのだろうか。

おしまい。おでかけしてきます。

 

 

*追記

『身だしなみ』という言葉を思い出した。これは正に身だしなみ事案だよね。

語彙力を疑われるのも悪くないけど忘れないように書いておきます。