感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

先送り主義 迫ってくる時間

軽いギックリ腰をやってしまい、携帯から書いています。

 

痛い…けど痛いから明日決めていた外出の予定をやめちゃおっかな♪とすぐに予定キャンセルに結びつけてウキウキできる程度には元気です。自分で勝手に決めた買い物の予定なのに。

 

僕はあまりワクワクを感じないと思っていたけど、よく考えたらそうでもなかった。

昔から予定キャンセルはウキウキ、ワクワクでした。お家で『何もしない』をすることが大好き。『何もしない』は本当に何もしないわけではなく、ダラダラしたり、動画を観たり、本を読んだり、何をしてもいいのです。何にも縛られず自由な時間であることが重要であって、場所は家の中でも森の中でも海岸でも、人との接触が少なければそれで良い。

 

この時こそ生きていることを実感する。

 

でも問題は月曜日がすぐそこという事だ。楽しみの先に嫌なことがあると思考も引っ張られてしまう。1週間休みがあっても8日後を憂鬱に過ごす人間だから、逃れられない呪縛なのかも知れないけど。

 

僕が先送り主義なのは、この性質に依るところが大きいのかも知れない。

早く終わらせるべきという人の論理では、早く終わらせればそれだけ自分の時間が増えて気持ち良く過ごせるらしい。

確かに事実として自由な時間は増える。でも僕の場合はその自由な時間も結局は次の作業開始が見えてしまい憂鬱に過ごすので、あまり褒美として認識されず、その行動が強化されづらい。

ぐだぐだやってても時間に追われているのだけど、早く終わらせても結局時間に追われてしまう。

そういう宿命なのかもしれないなぁと思うようになった。

 

正確には追ってくるものは時間ではなく予定や期限なのだけれど、イメージとして迫ってくるのはカレンダーや時計なので時間。

迫ってくるというのも面白い。自分が時間軸に乗って進んでいるので相対的にその時間、期限や予定が迫ってくる。向こうは立ち止まっているのに追いかけてくるように見える。

 

時間軸から抜け出すのは現状難しい。死んだら抜けられるかもしれないが、そんな保証もない。これはやがて分かるだろうからそれで良い。

ならできるのは迫ってくるという認識か、迫ってくる対象の捉え方を変えるしかない。でもそれが難しい。

解放されるにはまだまだ時間がかかりそうだ。時を超越したい。

 

超越って言葉を思い浮かべると紫色の服を着たあの人が頭に浮かぶ。今日はもうやめとこう。