感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

観光客と貧困者の生活圏

先日この街で日本からの観光客が強盗に襲われたらしい。

東アジアからの旅行者が多く、主に中国、韓国、日本人。日本人は以前はメジャーだったが、外務省の勧告もあり今は減っている。代わりに韓国人が増えた。どれも服装で簡単に見分けることが出来る。日本人はの服装は落ち着いた印象で、韓国人は少し前の日本人に近い印象がある。

ただ、両者ともあまりに小綺麗なのでとても浮いてしまう。

 

町中で見かける旅行者、特に日本人と韓国人は僕が言うのもあれだけどとても無防備だ。浮いている上に無防備で、しかも危険なエリアに入ってしまう。他の周辺諸国に比べれば治安は特別良い部類に入るが、それでも事件は日常茶飯事。

 

先ず多民族国家であるからには様々な格差が出てしまうのは当たり前。町中にそういった人が溜まるのも当たり前。不法入国者や薬の売人、売春婦に宿を運営する怖い人たちが集まるのも当たり前。 そういうことを知らないのは百歩譲って良い。自己責任だし。

 

でも貧困者が多いエリアでそんな小綺麗な格好をして、集団でニコニコしながらカメラ持って歩くのはどうなのだろう。逆に考えてみたらどうだろう。

お金がないのが日常で、盗みや詐欺もいとわないような生活をしているとする。それでも周りの家族や仲間はそうなのだと耐えることが出来る。でもそこに一回り違う生活をしている他国人達が来る。彼らは仲間が持てない国籍やパスポートも持ち、海外旅行する金もあり、小綺麗な新品の服を買う金があり、それを見せびらかしながら、にこにこ集団で楽しそうに高そうな携帯やカメラで自分たちの水準の低い生活を見て、写真を撮り楽しんでいる。地元の金持ちとは違い、自分たちから物を買うわけでもなく、珍しいもの見たさに見物していく。

 

人によって感じ方は違うという前提はある。中には歓迎する人もいるだろう。でも僕がその光景から彼らの表情を見て感じるのは常識の無さに対するヘイトが大きい。

中流以上の生活者は襲われた日本人に同情する(国の観光に対する打撃を憂えることが出来るレベルの知識もある)が、多くの低所得層はこの事件は仕方ないと思うだろう。僕もそう思った。

 

日本でも目を凝らせばそうだが、多民族国家にはよりハッキリとした、沢山の枠が存在し、それぞれに違った常識やマナーが存在する。そこに入るのであれば合わせる、合わせられないなら入らない。それは暗黙の了解。

でも何故か日本人(韓国人も)はそこに、日本人を主張したまま入っていってしまう。それは無礼なことだし、危険なことだと思う。その積み重ねは日本人と言う集団としてのヘイトを集め、溜めることになる。

 

以前、郷に入れば郷に従うという事を言っていた人が居た。そしてその人も同じようなことをしていた。それを思い出してこの文を書いた。

『郷に入れば郷に従う』それを振りかざす人は多いが、その人達は実際に自分が別の郷に入った時に従うことが出来るのだろうか。

 

そういった場所に足を運ぶなと言うわけではないけれど、もう少し周りを見て合わせて欲しいと思う。常識もマナーも場所や集団が変われば変わるものだ。

色褪せた中古服を買うのが当たり前の人たちの中で小綺麗な服を着て恥ずかしくないのだろうか。ただでさえ目立つのに色んな荷物を見せびらかして気にならないのだろうか。自分の生活圏を『観光』という名目で見せ物のように扱われるのはいい気分がしない人が居ることに気が付かないのだろうか。

そういった事が気にならないのなら端から自分を別物扱いしていて線を引いているのだと思う。それが悪いとは言わないが、それならばリゾートに浸っていた方がお互いの為だろう。『旅行者だから』は通用しないし、『自覚のない旅行者』だからこそ狙われるのだと気づくべき。

貧困者に日本人の価値観は分かるはずがない。日本人にも貧困者の価値観は分かるはずがない。それでもお互いが尊重する気があるなら、距離を取ることが一番だろう。

 

『相手の気持ちになって考えましょう』そう言われて育ってきたなら、今一度考えてみるべきだと思う。 

観光地としても良い所だし、良い観光客も沢山いるのだけれど、目に余る人が多いので毒を吐いてしまった。

そもそもそういう場所があると注意しない旅行会社やガイドブックも悪いのだけど、彼らの好きな自己責任論を使うなら、立ち入る者の自己責任でもあるです。言葉を振りかざす人のダブルスタンダードは嫌いだよ。