感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

普通のこと

たまには普通のことを書こうと思う。でも普通のことって指が動かないんだよな…

普通って何だろう。普通。何が普通だこの野郎ってまた始まりそうだけどそれはやめよう。理性の力である。

 

今日はオフィスに行きました。皆出張なので気が楽です。お昼ごはんは焼きそばを食べました。美味しかったです。

 

違うなぁ。

 

あ、そうだ。ネオワイズ彗星が1等級の明るさになって日没後すぐに見えるらしいから見たいなって思ってる。肉眼で見える1等級の彗星って中々ないと思う。こういう自然のイベントこそ子供と見たいなって思うけど、残念ながら最近は毎日夕方になると雨が降るからまだ見れてない。

日本からも見えるのかな。

面白いよね。別の座標から同じ天体を同じ瞬間に見てるって。同じ場所から広がる光を別の場所で受け取っているともいえる。不思議。

天体を見るというのはそういう関係を夢想する楽しみも含むと思う。

 

その天体から放たれた光が目に届き、きっと気持ちに至るまで入っていく。同じものを見ているのかな?

その人が見た天体は、その記憶に残ってきっといつか想起される。その想起されたものを僕は見ていたのかな?

思いも、人生さえも交差しないにせよ、同じ瞬間に同じものを見たということであればそれは一つの繋がりになるのかな。それがもし似た情景を作り上げたとしたら、心が交差したも同じようなものではないだろうか。

 

はい、普通のことを書こう。

 

そうそう、本来なら、ウイルス騒動さえなければ、今頃は買ってあったチケットで日本にいて、久々の日本の夏の空気を吸い込んでいたはずだったんだよね。

 

いつも帰る度にバスから見る東名高速の景色、久々に会うと始めはちょっとよそよそしくなっている家族、実家の香り、1年半ぶりの湯船、お味噌汁や家庭の味、色んなものが詰まった自室の空間、僕の枕とベッドの感触、朝日が顔に当たる目覚め。そういったものを昨日から今朝にかけて感じていたはずだったのだけど。

 

友達と会うのもとてもとても楽しみにしてた。前回は冬だったから、どうしても気分が上がらないことが多かっただけに、夏の空気の中で、晴れやかな気持ちの中会うのが楽しみだった。

 

帰れないことはないのだけど、今帰ると今度こっちに戻るのが大変そうで。この国のこの地域は思ったよりも広がりが悪かったので(それは強権を行使した政府の頑張りもあるのだろうけど)、頑張って封じ込めたという意識が市民の中に芽生えてしまった。実際に封じ込められてるのかは知らないけど。

そんな状態だから、じゃあいつ平常運転に戻すんだい?という話になっても、市民を納得させるのは難しい。失業者も多くて大変そう。それを必要な犠牲を払って勝ち取った勝利だと捉えるからこその市民なのだろうけど。

 

国や地方によって状態やその捉え方までもがバラバラなときって難しいね。予測どころじゃないから皆不安になってしまう。

まぁ、あんまり先のことを考えても仕方ないと思うけど、帰るならやっぱり春か夏がいいな。でも春は子供の学校があるし、次の夏だと1年後。早く友達と会いたいし、湯船に浸かりたいなぁ。物欲塗れだから一時帰国時に食べたいものリストも頭の中に出来上がりつつある。

実家の一員であるにゃんちゅう君(猫)ももう20歳。会えるときに会っておきたい。

 

それとお散歩。

故郷の里山、河川敷、田んぼ、よく釣りに行った砂浜。そういったところをその季節の風に包まれ散歩するのは、なんだかこう、記憶の中を行ったり来たりするはずなのに、なぜかそこから自由になれる感覚がある。夏は特に。

 

まぁ、延期は延期で仕方ないし、延期になった分次の一時帰国はより深く楽しめるのかなって思おう。

予定外だからこそ出逢えるものもあるのかもしれないし、その為に延期になったと思うのも運命論的でなんとなくロマンチックな感じもして良いかな。

 

例えば晩秋に帰って、大根おろしをたくさん添えた秋刀魚の塩焼きを食べたり、冬も終わる気配の頃に食べるふきのとうのおひたしのほろ苦い風味が脳に景色を呼び出した時、このために延期になったんだってきっと思えるようにね。

 

取り敢えず普通っぽいことで良いこと言った感じになったからここでおしまい!