感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

優しいお姉さんが欲しかったこと 自分を愛する、認めることの難しさ 『寄り添う』

5歳の時に弟ができ、7歳の時に妹ができ、長男として生きてきた。

小学校の頃からいつも思っていたのは、優しいお姉さんが欲しいということだった。究極の無い物ねだり。

なぜそんなことを思っていたのかはわからない。家庭環境は複雑だったけど、母には在るがままを認められていたし、母方の祖父母にも愛されて育ってきたはずなんだけど。

色んなものを受け取っていたはずなのに、受け取っている側としての実感があまりなかった。本当に感謝はしているのだけど。

 

小学校低学年の頃から、僕は良い子でいることを意識していた。子供だから美化された記憶でもあるのだろうけど。

いつも辛い想いをして泣いていた母を救いたかった。笑ってはいたけど、辛さが透けて見えていたから。もっと笑って欲しかった。だから良い子にしていた。

褒められたくてやってたわけじゃない。だから褒められたくなかった。

 

酷い喘息持ちの母が眠れず辛そうにしている時、背中を叩いてあげると喜んでくれた。それが嬉しくて何時間もずっと叩いていて、翌朝母の背中にあざが出来ていることがあった。痛いとは言わないけど、痛みが顔に出ていた。

とても悲しかった。痛くても黙っていてくれたのか、痛いのにも気づかないくらい疲れていたのかはわからない。僕は楽になって欲しいと思って一生懸命叩いたのに、それが母を傷つけていたことがとても怖くなった。

DVに遭っている母をサポートできるのは僕だけだと思っていた(他の誰も知らないし、弟と妹は小さかった)ので、更に辛かったんだと思う。そんなこともあった。

 

何故だかは分からないけど、いつも救う側に回ろうとしていた。多分、辛い人の顔を見るのが人一倍辛かったからだと思う。内側を抉られるような感覚がする。だからそうすることで自分を守り、満たそうとしていたんだと思う。

 

でもそれは結局僕を満たすことはなかった。優しいお姉さんという抽象的な概念は、多分、認めて欲しいという欲求の現れなんだと思う。長男だから寂しかった。

ひとりでいいから、こんな僕を優しく包み込んでくれるように認めてくれる存在が欲しかった。内面の奥底から外側まで、僕のすべてを僕として存在していいと認めてくれる存在が欲しかった。

相手を認めようとするのは、自分を認めて欲しかったからだと思う。救う側に回ろうとするのも、救われたかったからなのかもしれない。(鶏と卵的な順序の問題はいつも僕を混乱させる。分からなくなる。)

 

 

無い物ねだりをしないで自分自身を救うには、自分を認め愛するという作業が大切だとよく説かれている。

でもそれは、特に僕にとっては本当に難しい。歪んでいるから。

目の前に監獄の鍵があるのに、手を伸ばせば届くのに、鍵を掴むことが出来ない。そうやってずっと足踏みをしている。

 

本当の意味で自分を愛することが出来る人、自分を認めることが出来る人は、きっと強いんだろうなって思う。ニーチェも超人にはなれなかった。

 

僕はどこかで『自分は愛されるに値してはならない存在でなくてはならない』『自分は認められてはならない存在でなくてはならない』と強迫的に思っている部分がある気がする。『自分自身を認めてはならない』っていうのもあるかな。

回りくどい文だけど、そのぐらい何重にも縛り付けられている。

 

それがどの段階で生まれ、根付いたのが分からない。色々あったからなのか、元々あったものなのか、気質による捉え方の中で生まれたものなのか、よくわからない。

愛というものに昔からすごく憧れがあるのだけど、その愛のイメージに自分の姿を映すと拒絶反応が出る。

 

褒められる時もそう。折角頂いた言葉を、胸の内にしまうふりをしてこっそりゴミ箱に投げ捨てている。僕にはそれを受け取る資格がないから。

何故だかは分からないけど、認めてはならないの。相手の言葉を無下にしてしまうこと、結果的に嘘をついてしまうこと、それが本当に苦しい。

悪いことならいくらでも認められるのに。妖怪ねじれ人間。

Twisted ManとしてCrooked Manの友達にしてもらおうかな。

 


There was a Crooked Man Song Lyrics | Nursery Rhymes TV [Music 4K Video]

 

 

『受け取る資格』何故この言葉が出たんだろう。今日の収穫。

 

 

『寄り添う』という言葉。時々耳にするけど、僕はこの言葉が好き。

この言葉を自然に使う人は、他人によって救われることが出来ないタイプの人であって、自分自身を救う闘いの孤独さを知っている人だと思う。だからこそ、寄り添ってくれる存在の大切さを認識するんだと思う。

また、その自分を反映して彼らは寄り添うんだと思う。

強引さのないその姿勢が好き。

 

優しいお姉さんもまた、孤独な存在なんだろうな。