感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

課題2 - 愛着 安心感 お姉ちゃん願望 母 家族関係単純図式投影法

もう一つの方、愛着は大切な親友と対話してる時に気付かせてもらった。

 

こっちはCPTSDの方と違って解消しなくても問題なく生きれるものだとは思う。でもなんて言うか、鏡を他者に押し付けてしまうのは嫌だし、目の前の相手を見ずに内側に持つ願望を見ながらコミュニケーションを取ってしまったらと思うとそれは誠実さに欠けると思う。たとえ相手が受け入れてくれるとしてもそれに甘んじて盲目的に願望を押し付けるのは違うと思うし、気付いていながらやるのはもっと違うと思う。コミュニケーションが濁ってるのに気付いていながら満たされることを優先する訳だから。満たされればいいのではなく、大事なのはやっぱりそれぞれの世界であって、そこから生まれるコミュニケーションであって、満たされるのはその結果っていう方が順序的にも僕に合う。投影で満たされる感覚って際限がない割に他人事だと思う。願望や欲求が動機に混じるのは構わないとは思うけど。

 

この前書いた歯車のイメージと同じでこれも初めての経験だったけど、やり取りをしている時に浮かんだんだよね。子供の自分が相手に安心感を求めてるのが。「あっ」て思った。それだけ信頼できるということだし、引き出してもらったということだと思う。僕の変容自体この出会いがなければ始まらなかったものだし、ある意味必然的な流れなのかも。

 

あまり人に心を開かない僕が、心を開ける相手には結構子供の部分が出たりする。これは多分、ある種の意味で否定されない相手にしか出ない自分。この自分が出てる時点で結構コントロール外してるんだなぁとも思った。

そして彼は本当に子供で、自分本位で、相手に許容される安心ばかり求めてる気がした。性的な関係を軽視しがちなのもそのせいなのかなとか色々勘繰っちゃう。

 

あの時と同じだって思った。姉さん。実の姉ではなくて、前にも何回か書いてる人だけど、20歳くらいの時かな、当時amebaでブログをやっていて、そこにコメントをくれてメッセージでもやり取りするようになっていた人。結構年上なのだけど、お互いボロボロだったことも手伝ってとても引き合った感じ。

会ったこともない人間に美味しかったからってマカロン送り付けてくれるような人。

 

いつか一晩中抱き締めてくれるって約束してくれていたのだけど、結局会うこともなくODで死んでしまった。形見分けしてもらったリボルバーのペンダントが僕の一番のお守り。

風貌はファンキーだけど姉さんの象徴のような雰囲気の人で、僕の他に同じように彼女を姉さんと慕う女性が居ることを後になって知った。2人も姉さんロスにして置き去りにするなんて…それほど辛かったのだろうけど…

前置きが長くなったけど、その姉さんに満たしてもらってた自分が同じだなって思った。

 

姉さんとは精神的姉弟というか、そんな感じだったのだけど、その他にも17歳年上の人と付き合ったことがあった。こっちは性的な関係になったけど、弄ばれた感じでそんなに長くなかった。

この人シングルマザーだったんだよね。シンママって言葉さ、最近までママになりたてで新ママだって思ってたんだけど、あれシングルマザーなんだってね。どうでもいいけどね。

 

僕の人生で親密になった年上の女性って言うとこの2人なのだけど、改めて人生を見渡すとやたらと年上の女性との接点が多い。

でも分かんない。無意識に僕がそれを望んでいるからそう選んでいるのか、それとも元々の気質というか、感性というか、それが女性と合い易いからそうなるのか。

後者だったらいいのだけど、前者だったら何かあれだなぁとは思う。

 

でもこう、友達と呼べる程度に仲良くなる相手、友達っていうのは僕にとっては自己開示が一種のラインなのだけど、それができる相手っていうのはやっぱりかなり敏感に選んでる自覚はある。無意識にやってるんだけど自覚してる感じ。

さっきも書いた気がするけど、僕は極度に自己開示しない人間だから、僕が自己開示する相手っていうのは仮面の下の僕が拒絶、否定されない自信のある人になるわけですよね(それでも殆んどの場合は極一部しか開示しないけど)。上手く言えないけど、そういう人を選別するのはとても得意で、安心感をセンサーにかなり高度なことをやってる気がする。ってことはやっぱり少なからず願望が作用してるんじゃないかって気がしてくる。

いや、単にビビりだから結果的にこうなってるっていう線も濃厚なのだけど。

 

ますますわかんないや。

 

安心感、姉という2つのキーワードなんだけど、一番の疑問は僕はいつそれを抱き始めたのかなんだよね。だって僕3人兄弟の一番上で姉も兄もいないんだよ?いないのに何で安心感を得られる対象だと認識してるんだろう?

少なくとも妹が小さい頃には、小学校中学年までにはその願望は抱いてた。弟、妹と接しながら姉に同じように接してもらう自分を想ってた記憶はある。その姉の影が何なのか分からなくて気持ち悪い。

 

その姉という概念はどうやって入ってきたの?何故姉が安心できる存在だと入っているの?しかも体感イメージ付きで。

実姉もいなければ親しい年上の女の子の記憶もない。記憶に残っていない人がいるの?それとも生み出したの?でもそんなの生み出せるものなの?生み出すと言えば、母が言うには、僕が一人の時に誰かと会話していると小学校の先生に心配されてたって聞いたから、イマジナリーフレンド的なのは居たのかもしれない。それが関係あるのかもわかんないけど。でも生み出すにしたって型が無くてはお人形は出来ないと思うけど。

本やテレビから受け取ったにしても、当時の僕にそこまでの理解力があっただろうか。受けて安心した経験がなければこんな存在にはならないだろうに。

誰なんだろう?

 

今日気になって色んなワードで検索していたのだけど、姉が居ない人がお姉ちゃんが欲しいって願望を抱くのは別に珍しいことではないみたい。でもそれはどこかで、例えば友達のお姉ちゃんとか、アニメとかで姉という表象を仕入れた結果な訳で、僕が知りたいのは僕の中のそれは何が元になっているのかってことで…

 

検索上位に出てくる多数のサイトは心理テストみたいなやつでさ、お姉ちゃんが欲しい男性は理解されたいという思いがどうのって書いてあるのばっかりだったけどさ、逆に理解されたいと思ってない人っているのかな?理解なんて糞食らえだ、完全な理解など不可能だって普段思ってしまう僕でさえ、それは理解されたいという願望の裏返しだってことくらいは分かってるよ。どうでもいいけどね。

 

 

愛着っていう部分では、本来なら母親に求めるであろう安心、受容を姉というイメージに求めているっていうのは凄く分かる。シンプルに、僕にとっては母親がその対象ではないからだ。

父親は嫌なもの、母親は父親に虐げられる可哀想なものっていうのが僕の中には出来ているから。

母は大変な中とても良くしてくれたし、多分とても愛してくれたけど、僕はそれを上手く受け取れてなかったのだと思う。そんな毎日の光景ではなかったはずだけど、いつからなのかな、僕は毎日父親が帰ってくる時間には母が殴られないかずっと心配していたし、その時間がとても嫌だった。父親が寝付くまでは安心できないし、寝付いても安心できない時もあった。殴られるの分かってて歯向かう母親も当時は理解できなかったし、やめてよっていつも思ってた。

母は母親の仕事(と世間一般で言われること。今言っちゃいけないやつ)以上のことをしてくれていたし、僕もそれは当たり前のように受けてそれに感謝すらしていなかった訳だけど(子供だから許して)、その一点だよ。夫婦関係があっての親子、家族なんだなって。

母は余裕のない中で出来る限りの愛情を注いでくれたんだと思うけど、僕はそれをスルーして母に同情していたし心配していた。僕の視点では横の結びつきだった。だからかな、呼び方もママからお母さんに移行できなくて、ずっと「ねぇ」だった。今は下の名前にちゃん付けで呼んでる。

呼称ついでにいえばさ、僕が子供と居る時に子供に向かって「それパパの?」とか言う人いるけど、あれいまだに苦手。あの人に対する憎しみはもうないけどさ、パパ、父親っていう存在の印象はあの時のままなんだよね。それから逃れるために自分の子供にはちょっと印象の違う「おとうちゃん」を導入してたりさ、なんか色々縛られてるんだなぁって。

 

はい。

 

それでね、今日姉に対する願望とか元型とか表象とか色々調べてる時に家族関係単純図式投影法っていうのが出て来てね、ペイント使ってそれやってみたの。

 

 

 

これは心的な理想と現実の家族を図にして、位置関係なんかからその人の中にある家族を読み解くってものみたい。

現実1は僕視点の現実の家族 もう過去だけど

現実2は僕の中にある母中心の視点でのそれ 僕の中では意味がありそうな混合の主観。全員分の視点がすぐ浮かぶけど他は省略

理想は現実の構成員を使っての理想形 上に寄ってるのは父を置く家族の円の外側にスペースが無くて全体が上に寄っちゃっただけ。円の外とはいえ父親という存在を高さ的に上に持って来たくなかった。

願望は僕が参考にしたpdfには載ってなかったけど、頭の中にあるからついでに図にした。色が薄い人たちは願望の中のイメージにはないけど入れないとなんか後ろめたいから薄くした。

 

あれだね、多分僕は、やっぱり僕の中での長男という役割にうんざりしてるんだとは思った。願望がよくわかる。父親が自分の家族に居る理想が浮かばないとか、後ろめたさで入れた他の兄弟よりもっと姉にくっついていたいとか、母には単純に親子関係を望んでて姉に緩衝材になって欲しい(単純な母子ではない横の繋がりがあったせいで接し辛くなったという無意識な自覚)とか、長男業で自分がしたと思っている役割を姉という存在に押し付けようとしてることとか。物凄く自分勝手な願望だよね。でもわかる。何にもしたくないの。役割とか嫌なの。そうなの?まぁ知ってたけど。下がいいんだよね。

下には下の苦しみがあるのは、色々歪んで苦しんだであろう自分の弟を見ればわかるはずなのにね。

もう一つ思ったけど、願望は姉弟関係じゃなくてもいいんだよね。僕が妹で姉妹でもいい。でも兄は想像がつかない。兄に良い印象がないのは、一般的な通念としての兄なのか、自覚なのか。でもまぁ、受容して欲しい、時々リードして欲しいってイメージだとやっぱり姉になるよね。

 

これ面白かった。気になる人は検索するとやり方出てくるからやってみてね!

 

 

もうとっくに日付変わったけどさ、よくよく考えるとこんなことしてたの母の日なんだよね。

何度も言うけど母にはとても感謝してる。DVに借金にただでさえ大変なのに3人育て上げてくれたんだし、とても愛情深い人だし。妹はしっかり受け取って育ったということが救いかな。上手くいかないのは、人間関係そんなもんだよねとしか言えないね。むしろ社会的な理想の家族像があるせいで苦しむ人も多いだろうにとは思う。

 

 

いつも長くても2000~3000字で区切るんだけど、区切れないから4500字超えちゃった。まぁこっちは喫緊の課題でもないし、まだよくわからないし、ゆっくりかなと思う。でもいずれは解消しないとなって。彼の願望を自分で満たせればいいのだと思う。そしてそれが出来そうな存在が一人僕の中に居る。まぁそれが無理でも、より意識的な形に出来ればなぁって。もうお姉ちゃんお姉ちゃんっていうような歳でもないのだし。ね、K姉さん。