感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

エネルギー枯渇問題 変化が嫌い 穴を掘る

僕は新しいことを試すのには凄くエネルギーが必要。

 

RPGのゲームとかだとMPっていうのがあったと思うけど、どの行動にもそれをとても沢山使う。キャパシティも少ないから常に回復を優先しないといけない感じ。

戦車で例えるとガスタービンで燃費が悪いM1エイブラムスみたいな感じ?もっと駄作感があるといい例えになるんだけど。

 

僕は昔からあまり変化を好まない方だった。

道順もいつも同じだった。

新しい道を歩くのは好きなんだけど、それは余力のある時。

 

おかずは一種ずつ順に手を付けるから変な食べ方と言われた。

味が混ざるのがあまり好きではなかった。今は気を付けてはいるけど、いろんな味が喧嘩しているような料理を食べると疲れる。

 

匂いも同じがいい。

 

今は軽い化学物質過敏状態なので、香料の匂いとかも辛い。それがなかった昔も色んな匂いが混ざるような空間は苦手だった。

 

容姿もそう。

気にしないというよりは慣れている格好がいい。

髪型とか変えるのが嫌だったし、ワックスとかも付けたくなかった。

これは多分理由が混ざってる。

 

流行とか誰かがやってるから変えるっていうのが嫌。趣味もそうだけど、流行るとやっていたものもやめたくなる。

 

話題にされるのも面倒くさいからっていうのもある。それほど仲が良いわけでもない人との意味のない会話ほど疲れるものはあまりない。

そもそもおしゃれの優先順位が低いというのもある。中身がめちゃくちゃな人間が外側だけおしゃれしても滑稽だしね。

 

おしゃれな男の人を見るのは嫌いじゃない。素直なんだろうなと思う。求愛ダンスを踊る鳥たちのようで、生殖意欲に溢れていてすごいなぁと思う。

女の人のおしゃれは辛さが垣間見えるからあまり気にしたくない。

 

音楽も同じのばかり聴いてる。新しい曲との出会いも好きなのだけど、それにはとてもエネルギーを使う。新しい曲は数曲聞くともう頭に入らない。

人で選ぶと間違いがないので、同じ人の新しい曲とかは聞いていく。

 

本を読むのは好きだけど、一冊読むのにとても時間がかかる。新しい文章を読むのに疲れるのかな。

イメージしながらじゃないと頭に入らないのだけど、少し疲れると文字だけ追って頭に全く入らなかったり、イメージが別の世界にいってしまって、同じ行や段落を行ったり来たりすることになる。でも性格が似ている人の文章なんかはイメージが容易なので、あまり疲れずに読めたりする。

 

 

『新しいことを試したい欲』(語彙力が足りなくてなんと言うのかわからない)はかなり強い方。ただそれにエネルギーが要るから手が出ないだけなんだと思う。充電されると自然と手が出る。

 

僕はあまり他人のレビューを信用できない(他の人と感覚があまり合わない)ので、自分の価値観に合うことならどれも自分で試したくなる。

特に知覚とか、内的な経験とか、そういったものに対する欲や興味が強い。

村に生っている果物の木とか、全部の味を確かめないと気が済まなかったり、聞こえてくる鳥の声も姿と一致させたかったり。色んなものを触ってみるし、匂いも色々嗅いでみたい。色々一度に入ってくると疲れるのだけど。

 

内的な経験というのは、夢もそうだし、感情もそうだし、アドレナリンが出ている時はどんな感覚だとか脳内麻薬的なものも色々感じてみたいと思うし、色々ある。快楽もそう。快楽主義ではないけど、そこに快楽という報酬があるのは理由があるはずだから。理由がなくても経験することは悪いことじゃない。価値観の範囲内なら。

 

明晰夢は何度も挑戦しているけど、立ち上がるまではできて部屋から出られない。

同じものを視野や認識を変えて捉え直す作業もそれに近いのかな。

 

 

『自分なりに』というのが僕にとってはとても大事。だって自分にとっての事実は自分の内側にしかないのだから。内側に穴を掘るために外に機材を調達しに行ったり、お勉強に行っている感じがする。外の穴を眺めるのも、内側の穴を理解するためなのだろうなって。

この考え方はしっくりくる。穴掘りがメインだから、外の情報に触れると疲れる。でも穴掘りの為には新しい情報が必要だから、穴を掘って充電されると外側に行くんだろうな。「穴を掘る」は回復技なのだろう。

穴を掘るためには他人の感覚は頼りにならないから、知覚や経験に欲張りになるのだろう。

日常の行動がルーチン化しやすいのは、多分だけど、余計なことにエネルギーを割かない為なんだろうと思う。疲れるから。過敏なのもあるんだろうけどね。

 

倫理や道徳、善悪というものが僕の敵になることが多いのは、それらが僕の感覚に合わないからだとは思う。それと同時に、それらは僕が欲するものを敵視してくるから、ということもあるかもしれない。穴掘りの敵なんだろうな。

悪いとされる物事は僕の感覚に根差していない限り、僕にとっては悪いことにならない。「悪いことだから駄目だ!」って言われたって、そんな大人達の理屈が僕にとって正しかったことなんて少なかった。だから穴を掘るのを邪魔したいんだろ!って敵視しちゃうのかもしれない。

実際邪魔してくるわけだしね。「穴なんて掘るな。実益のある事をしろ」って。

 

 

では何のために僕は穴を掘るのだろうか。それは分からない。

自分を知りたいのから穴を掘るのか、穴を掘るために自分を知りたいのか。

真実を知りたいから穴を掘るのか、穴を掘るために真実を知りたいのか。

宇宙を知りたいから穴を掘るのか、穴を掘るために宇宙を知りたいのか。

人間を知りたいから穴を掘るのか、穴を掘るために人間を知りたいのか。

時を知りたいから穴を掘るのか、穴を掘るために時を知りたいのか。

穴を掘る意味を知りたいから穴を掘るのか、穴を掘るために穴を掘る意味を知りたいのか。

楽しいから穴を掘るのか、穴を掘るために楽しいと感じるのか。

 

多分どれでもいいんだよなぁ。穴を掘る存在として今ここに存在する。いつまで掘り続けるのか知らないけど、そういうものなんだろう。

 

 

そういえば『掘る』というのはゲイ用語で入れることらしい。下ネタだと思って開いた方、関係ない記事でごめんね。下ネタもいつか書いてみたいなぁ。性的なものを下といって蔑む風潮は好きじゃない。