感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

昔のこと1 僕のこれまでの概要

昨日中途半端に過去のことについて触れてみて、やはり少しずつ不定期に出していこうかなと思いました。誰かのために書くのではなく、いつかは清算しなければならないから。訣別の為にも。もう10年以上過ぎたのだし。

 

前提として軽く今までのことを書いてみる。

 

僕は周りの子たちより幼く小さかった(早生まれの上に成長が遅かった)ので、小中と軽いいじめにはあったりしたけれど、それでもどす黒いヘイトの標的になるようなことはなかった。ただ性格的に合わないことは色々あったけど、生活に支障をきたす程ではなかった。

 

僕の人生で今も重く残っているのは高校時代の出来事と、その後の空白期間の出来事。

時空の歪みのように、その時の出来事で色んなものが歪んでしまった。

具体的にはヤクザ見習い連中の奴隷のようになり、呼び出しに次ぐ呼び出しと暴行でボロボロになった。呼び出しはそれなりにまじめに学校に通っていた僕にとって、悪いと言われるようなことは出来ない性格だった僕にとっては結構辛かった。睡眠時間も少なかったし、昼食代を取られたり夕食の時間呼び出されたりで食べることが出来ないこともよくあった。

 

結果、出席日数が足りなくなったうえ帯状疱疹になって何か吹っ切れて、学校を辞めた。でもその後すぐに通信制の高校を母が見つけてくれたので、事実上の転校となった。

 

何とか高校の卒業要件を満たしたけれど、支えだったオカメインコを僕の不注意で殺してしまい、受験は諦めた。その後2年間引きこもった。体調的にも精神的にも限界だったし、未だに逃げた僕を捕らえようとする彼らの下っ端が見張っていたので、一人では物理的にも外に出られなかった。

その当時はネットゲームをしたりして、そこでの交流は意味のあるものだった。ブログもやっていた。もう消してしまったけど。

 

20歳になって、自動車の運転免許を取ろうと茨城の教習所に合宿に行ったとき、パニック発作を起こし、初めて何かがおかしいことを自覚した。病院を受診しつつどうにか免許を取った。

一度自覚してからは色んな症状に悩まされた。

診断を受けたのは複雑性PTSD(C-PTSD)だった。過覚醒や不眠、悪夢、フラッシュバック、パニック発作、解離、鬱、色んな症状に悩まされた。何回かふらっと死にそうになった。

薬に頼った時期が長かった。障害年金をもらっていた時期もあったし、EMDRという療法を受けたこともあった。

 

それでもやっぱり勉強がしたくて、同じく20歳の時に通信制の大学に入った。スクーリングで度々外に出なければならなかったけど、それは良かったのだと思う。そのころにはほとぼりが冷めていたので、隣駅を利用して外に出るようになっていた。

また趣味だった釣りにもいくようになったし、小学校の放課後の児童コミュニティクラブで指導員をしたり、発達障害と言われる子たちを支援するNPOでボランティアをしたりした。里山整備のボランティアをやったこともあった。

今いるこの国に来るようになって、日本語教師のコースを修了した。

その頃には薬を本当に少しずつ減らした。色んな症状に加え禁断症状を経験することにもなった。

 

現在はこの東南アジアの国で結婚して、子供にも恵まれて暮らしている。不信心な形だけイスラム改宗者。

NGOでゆるめに働きながら、街とジャングルの中の村を行き来しながら生活している。

 

取り敢えず、しこりは残しているものの、精神面はほぼ治ったと思う。まだ日本の冬は引き戻されてしまうので怖いけど。

身体も今までの人生の中で一番健康状態がいいと思う。腰以外。腰に爆弾。猫背や仙骨座り、巻き肩の人は本当に早く気を付けた方がいい。

今思えば、当時症状だと思っていた社会不安だとか対人恐怖なんかはその前から傾向があった。神経症や精神病は曖昧なものなので、どれが何に根差しているのかわかりづらい。それらが単なるストレス反応なのだから元の性格的特徴や傾向が助長されて当たり前だと知るのに12年かかった。

元々性格がずれていたから、余計混乱して迷走していたのだろう。

 

大切な友達との出会いもあり、MBTIから自分の性格を許容できそうになってきた。今は内面が急激な変化の途中だと感じている。周りに合わせるために感情を殺して理屈に生きてきたけど、自分が感情・感覚人間、脳内世界の住人であることを去年あたりに認めてからかなり楽になった。

外の世界を知るために自分の内側をもっと知りたいし、そうするうちにアウトプット(というか捌け口)が必要と感じてこのブログを登録した。

 

過去のことをここに書くかどうかは迷っていた。でもやはり、自己否定に向き合うには必要だと思うに至り、少しずつ出していこうと思った。今ジャングルの中に居るからかな。気持ちが波立つようなことだけど、本当に落ち着いた気持ちで、ざっと振り返れた。本当にざっとだけど。

気まぐれだから本当に書いていくか、そして公開するかはわからないけど、気長にお付き合いください。

 

本当は昨日書いた解放の朝に繋がる教師とのやり取りを書こうと思ったけど、前提として必要だと思う軽い自己紹介で2100字を超えてしまいました。それについては気が向いたらまた今度書きます。

 

 

関係ないけど今日は毒棘のあるナマズに刺されて痛かった。鈍痛。でもそれも良いなぁとも感じた。生きているんだなって。昔はあんなに痛みに弱く、嫌いだったのに。変化とは面白いものだなぁと思う。