感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

線と結び目

人や動物の人生を線で想像していた。

同じ時間軸の方向にそれぞれ動きながら進む沢山の線。

 

出会いは線と線の交差になる。

色んな交差があるが、交差したように見えても僕のような人間の場合、多くは接触には至らない。微妙に距離が開いたままとなる。そしてまたそれぞれ別の行き先に向かうことになる。

線と線の距離は、実際の人と人の距離とは違う。実際には離れていても、やり取りの中で結び目が出来ることもある。

 

時に会話は線と線のダンスとなる。それは互いに心を開いて初めて起きる現象なのだろう。その時線と線は初めて接触し、そのダンスは結び目となる。互いに惹かれ合いながら、恒星の周りを螺旋を描きながら銀河をまわる惑星たちのように、躍動的な心の呼応。

 

結び目は互いの過去を繋ぎ、未来を繋ぐ。その結びつきが時に呪縛となるのは、それだけ心の交差は意味があるものだからだろう。

どんなに強い絆も結びつきでしかない。それぞれが進む方法が同じでも、その線達の作り出す結びつきが強くても、二本の線が一本となることはない。

しかしその一本の線にとって、その過去や未来の結びつきは大きな意味を持つことになる。

 

この先に結び目があるのなら、今の苦痛や苦悩もその結び目の糧となる為にあるのかもしれない。今がなければこの先の結び目もないのだから。

 

線は命が消えればそこで止まってしまう。どんなに強い結びつきを持った線が止まってしまっても、生きている線は進み続けなければならない。

その線が生き続けている限り、結びつきを持った線はたとえ止まってしまっても線であり続ける。

そう考えるとまだ、その止まってしまった線もどこかで進み続けているような気がする。どこかで。

この線の視点を越えられない限り、それは見つけられないだろう。でもいつか見つけたい。

 

いつか、僕が線であることを超えることが出来たら、色んな線、そして線と線の繋がりを時間を越えて傍観したい。きっとそれぞれの人間や生物そのものを観るよりもずっと美しい物語となるだろう。

そしてその先に、人々の絶望や悲しみが本当は光であったことを見つけられるかもしれない。それを希望に僕は生きている。

だからこそ、今見ている情景ばかりに惑わされず、命の結び目を大事に生きていこうと思う。まだ見ぬ結び目、そして今はもう見えない線の為に。