感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

お買い物

買いたいものがあるのでお買い物に中心街に来た。

ショッピングモールに入るが人が多くて目は回るし頭も痛くなる。少しでも落ち着いて買い物するためにはイヤホンが必要だと思い、エアパッド付きのイヤホンを買った。

 

だいぶマシかな… 日本にいる時もずっとイヤホンに頼っていた。一時期はサングラスもしたけど、今はコンタクトじゃないのでハードルが高い。

 

目に入る人々、単なる人なのだけど、多分色んな情報を拾いすぎるんだと思う。動き、特徴、表情、集団。気にしていないつもりでも通り過ぎた後に頭に浮かぶから、やはり捉えてしまっている。

特に表情は色んな情報が含まれているから、それだけで重い。

 

耳に入る雑音もそう。特に人の声は認識していないつもりでいても、やはりどこかで認識している。

 

念を拾いやすいんだって言われたことがあるが、そんなものではないと思う。ただ勝手に情報を拾って、その処理が複雑で疲れたり気持ち悪くなるのだと思う。

念というものを信じる信じないではなく、ただそう感じる。

感度の高いレーダーが必要のない小さな情報を拾いすぎてノイズだらけになり、目的のものに集中して処理できないのと似てると思う。人の多い都市生活に合う性質じゃないんだろうな。

 

 

こっちの店員は親切心なのかそういう指導なのか、店に一歩入ると「何探してるの?」と声を掛けてくる。

元気な時は「ちょっと見せて」と言って無視するのだけど、今日はそういう調子でもないらしい。

探しているものがないといけないわけでもないのは当然だし、気にする必要もないのだけど、やはり落ち着かない。

接客が万引き防止の意味があるのも分かる。これだけ万引きの多いところだと店側のその気持ちは理解してあげないといけない。

万引きするつもりがないなら堂々とすればいいじゃんって思うだろうが、疑われていることが申し訳ないというか、余計な手間や心配をかけてるんじゃないかとも思ってしまって、やはりゆっくり見れない。

こっちにとっては無言の圧力に他ならない。商品を見ていても頭の中でチクタクチクタク、1分も経たずにそろそろ出なきゃという衝動に駆られる。

 

ウインドウショッピング好きにとっては地獄。

 

店に入っては店員を確認し、寄ってくるようならサッと進路を変えて出る。その繰り返し。怪しいなぁ。

 

取り敢えず偵察に偵察を重ね、買う商品の当てはできた。今日最初に入った店で「これだな」って思ったやつ。

 

4つのモールと市場を見て回り、おそらくこれを買っても悔いがないことも確認した。

あとは店に行って店員に頼んで見せてもらうというハードルがある。

 

でもそれには多大なエネルギーが必要なので、今はマクドナルドでコーヒーを飲んでいる。ただでさえ緊張型なのにコーヒーが好きという矛盾も、そろそろ考えた方がいいかもしれない。

 

 

物を選ぶのは好き。色んなことを感じたり考えたり思ったりしながら、自分の気持ちに合うものを探していく。それは単なる作業ではなく、色んな内側との対話なのだと思う。

 

それが人にあげるプレゼントなら、その時間はもっと大切なものになる。

喜んでもらえるかなとか、選んだ気持ちが伝わるかなとか。独り善がりだけど。そのプレゼントが残るものでなくても、相手にとって思い出となってくれれば一瞬が永遠になる。お互いの大切な瞬間をものが繋いでくれる。

人によっては重いと感じるかもしれないけど、そんな思いは伝えないので重くもないだろう。その辺は人によって変えるしね。

 

 

目的の物を買えたら、あとは野菜を買って帰ろう。

今は一人暮らし期間なので、鶏がらスープを鍋いっぱい作りました。

スープとしてご飯と食べ、雑炊にして食べ、麺を入れて食べ、味付けを変えて食べ、野菜炒めの味付けに使ったり、簡単で意外と便利なのです。ガラも身がついていて食べられるし。

料理は楽しい。

 

 

*追記

店が閉まってしまったので明日出直し。

そうこうする内にもうひとつ良さそうなのを見つけてしまった。優柔不断だから選べるかな…

 

イヤホンの問題は背後の不安が増すことにある。他者との距離を常に計ってる身としてはどっちがいいのだろうか。

一長一短だなぁ。