感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

選挙 投票の価値観

選挙は権利の行使という意味で僕は行った方がいいとは思うが、一方で行かないという人の気持ちも分かる気がする。

特に「行かない奴は馬鹿だ」「行かない奴は意識が低い」っていう雰囲気の人達を見ていると、うーん。って思う。

 

そういう風に捉え方の違う人たちを見下す発言をすることは、異質を貶める自分を同質にアピールすることに目的があって、投票に行かない人を既に異質と決めつけている姿勢が見える。

そのアピールは同質の中での示威行為でもあって、集団の中のいじめやはぶきと同じ行動原理があるのではないだろうか。人間の行動なんて単純なものなのだろうし、どうでもいいのだけど。

ただ、その言動は行かない人を説得することには繋がらないし、投票率を上げることにも繋がらない。

 

民主主義というもの自体もずっと試行錯誤の中にあるのだから、色んな人の意見があって当然だと思う。投票が義務ではなく権利であるのなら、受け取らないことを含め、色々な権利の受け取り方があるのも認めなくてはいけない。

 

政治家が自分の票にしか興味がないように、人もまたそれぞれの価値観や捉え方で選挙を見ている。であるなら、投票率を上げたい人は行かない人を貶めるのではなく、いろんな価値観の上の選挙があることを認めた上で、投票率を上げるにはどうしたらいいのかを考えるべきだと思う。

 

国、政治体制、地域、票、単純な中にもの凄く沢山の要素がある。行く人にもいろいろな考え方があるように、行かない人にも色々な考え方がある。

票の格差に目が行く人もいるだろうし、選挙制度そのものに疑念がある人もいるだろうし、民主主義自体に違和感がある人もいるかもしれない。

権利を行使しないだけなのだからいいだろうと考える人もいるだろうし、疑念があるものに参加することは肯定することに繋がるから嫌だという人もいる(僕もそういうところがある)だろう。

 

自分の時間と投票を秤にかけて行かないと判断する人たちもいるだろう。でもそういう人たちが全て同じわけでもない。

投票自体の意義が小さい人もいれば、自分の時間の重要性が大きいがためにその人にとって選挙の重要性が高くても結局行かない人もいるだろうし、移動や投票所の雰囲気が嫌いで、結果自分の時間を優先する人もいるだろう。

 

 

僕は選挙は与えられた権利だと思っているので行くようにはしているけど、それで何か変わるかと言われればそれは見えない。馬鹿らしくなってやっぱり行くのやめようかなーと思うこともある。

でもまぁ、政治家がお金渡して票を入れさせるこの国よりは、日本の投票所の雰囲気は公平感が出てて面白いなぁと思う。本当に公平なのかは知らないけど。