感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

地球環境 菌 迷子

地球環境システムを人間とすると、一人一人の人間は細菌だろう。

善玉菌か悪玉菌かで言うならば悪玉菌なのかなと思う。

環境の一部、システムの一員としての存在をやめ、環境を食い物に居して単一種で環境を支配しながら増えていくのだから、善玉や日和見と言うのは無理がある。

現在は全身感染の状態で、この菌は今も爆発的に増えている。

 

人間ならここで抗生物質を投与して全て殺してしまおうという発想に至るが、地球環境はどうだろうか。

それがなくとも地球環境システム自体が安定を失い、急激な変化が起きれば菌は激減することになるだろう。

地球環境システムは人間と違って中々死なない。それは決まった形がなく、長い年月の末また新しい秩序で安定し、不安定になりを繰り返す。

 

人間という菌は神に許可を得た唯一種のように振舞うが、環境変化の中で絶滅すればそれまでだし、一部生き残れば自然の回復速度の中で新しい秩序に飲み込まれ、環境システムの一部に戻るだろう。それは幸せな在り方に戻るという事なのかもしれない。

 

なぜ生物は環境に恵まれると増えすぎてしまうのだろう。短期的な生存戦略しか組み込まれていないからなのか、それとも別のベクトルの意味を持って増えるのだろうか。

後者であるならば生命の繰り返しにも救いがあるかもしれないが、前者であればとても虚しいものではないだろうか。

 

人間が不自然な存在として地球環境を食いつぶしていても、地球環境の生物史から見れば自然な種の繁栄であり、その先には約束された、自然な盛者必衰があった。

自然のこの繰り返しは何なのだろう。

そんな壮大な繰り返しの中では、一つの菌に何の意味があるのかが分からなくなる。

 

それでも、一つ一つの菌の中にはその一つの地球環境システムに負けずとも劣らない環境システムが備わっていて、一つ一つの菌に固有の美しく壮大な内なる世界が広がっている。そしてそれぞれがそれぞれの壮大な過去の物語を紡いでいる。

全てのものが壮大だからこそわからなくなってしまう。

僕はどこを見て生きていけばいいのだろう。

 

僕がもう少し素直な人間のままで居られたのなら、自分の内なる世界をより自分らしく創造することに意味を見出せたかもしれない。

でもそんなことは意味がないとどこかで思うぐらいには、まともに育ってしまった。

つくづく迷子だなぁと思う。

 

僕は後回し人間なので、答えが出ないことは死ぬまでには自分なりの答えが出るだろうから、まぁいいかなと思っている。

迷子の一個の菌として、取り敢えず手探りで生きている感じ。でも折角迷子なのだから、最期には迷子なりに見た世界を心に描けたらなとは思う。

最期の最期に自分が納得できる『辞世の句』でも詠めたのなら、もう何も言うことないんだろうな。