感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

深淵の底 戻ってこない人達 生き残り

生きていることはどう捉えるべきなのだろうか。

沈んでは浮き、その繰り返しで今日も生きている。

 

本当に酷い時は、暗い深海にフェードアウトするような感覚だった。

深淵は何度か覗いたが、それでも完全に引き込まれることはなかった。

深淵の底まで沈んだときには何を見るのだろう。

 

自分が生き残っている中、同じ世界を見ながらもう戻ってこない人達がいる。

僕の恩人の一人もそうだった。あの人は何を見たのだろうか。

僕にできるのは安息を願う事しかない。

そのことを思い出すと、あまり楽しんではいけないような気がしてきてしまう。

 

日本では電車が止まる度に同じ気持ちになった。

同じものを見た、同じものを感じたんだなという一方的な共感からだろうか。

彼らを脱落したと捉えたくはない。でも戻ってこない。どう捉えればよいのだろう。

僕が生き残っている中、戻ってこなくなる人達が沢山いる。

戻ってこなくなる人達が沢山いる中、僕は生き長らえている。

 

 

生き残ってしまった者の生は、自分でも気づかぬ間に重くなっていく。

『ランボー』のジョン・ランボーのように。

 

幸い(と書くと不幸から脱したと書いているようで、なんだか悪い気がしてきてしまうが)今は沈んでもあまり深い所にはいかない。多分底を見ることはないだろう。

でもそれはどう捉えるべきなのだろう。

 

彼らを弱者や異質や敗者として切り捨てるこの世は地獄で間違いないだろう。

もしも浮き上がり生き長らえることが地獄の継続で、深淵の底にその苦しみの対価となるような楽園があるのなら、僕は本当の意味で、素直にこの地獄に生きていることを感謝できる。

でもそうではなしに、どう自分が生きていることを捉えればいいのだろう。

これも答えが出るのはまだまだ先だろう。そんなことばっかりだなぁ。

 


Dan Hill - It's a Long Road + lyrics

 

 

*下書き行き候補だったけど書き直す気力もないので上げます。

下書きばっかり溜まるなぁ。